3.6 やっと届くと思ったのに

 ローズマリーのオンボロ教会通いが始まったことで、二人の生活リズムは大きく変わった。

 早朝、クロが収まったケージと手荷物を提げたローズマリーを助手席に乗せると、シドは眠い目をこすりながら愛車を走らせる。少女を教会へ送り届けたあとは、昼間は本業――何でも屋稼業に勤しみ、訓練が終わる頃合いになると迎えにゆく。

 まさかこの歳で習い事をする娘を持つ父親の心境を味わうとはね、というのがシドの本音だ。そういうことをするのはもう少し先になるか、そもそも父親になる以前に自分が天に召されるかのどちらかだと思っていたのだが。

 訓練はなかなか過酷なものらしい。折り目正しいローズマリーが、帰りの車中、挙句の果てには夕食時にまでうつらうつらと船を漕いでしまうのだから推して知るべしだ。にもかかわらずこの少女、次の日は何事もなかったかのようにケロリとした様子で家事をこなし、魔法の訓練に付き合えとねだってくるのだ。若いってのは実に素晴らしい、とシドが言葉とは裏腹なため息をつくのもむべなるかな、といったところである。




 ある日、シドは少女の格闘訓練に付き合うことになった。

 本当はいつものように帰るつもりだったのだが、その後に何の用事もないことをうっかり喋ってしまったため、


「あなたも体がなまってるんじゃない? 弟子に追い越されたら立場ないでしょ?」


 と焚き付けられた。余計なお世話だが、言われっぱなしも癪だし、ローズマリーの成長ぶりもこまめに確認しなければならないのも道理。ちょうどいい機会と、シドは車から予備のハーフフィンガー・グローブを引っ張り出した。

 シドが旧礼拝堂へ足を向けると、ローズマリーはシスター見習い二人の手を借りてウォーミングアップの真っ最中。師匠に気づいた彼女は一旦手を止め、スカートを摘んできれいなお辞儀をする。


「今日は俺も訓練に付き合うぜ」

「……お仕事は大丈夫なんですか?」

「心配すんな、ちゃんとやってるよ」

「安心しました。普段からそれくらいてきぱきやってくださるとありがたいんですけど」


 ローズマリーはいつものクールな顔で小言をぶつけてくれるが、シドも慣れたものである。


「珍しいね、シド君が来るなんて」


 手が空いた方のシスター見習いがシドに話しかけてきた。ローズマリーのストレッチを手伝っている少女とは双子で、瓜二つの顔立ちだ。

 サイドテールを左で結い、シドと話している活発な方が姉のエリーゼ。もう片方が妹のアリアで、サイドテールは右側、大人しく誰にでも敬語で話す。二人ともオンボロ教会で神父の仕事を助ける傍ら、シスター修行に励んでいる。


「ま、たまには弟子の修行を見ておかねーとな。任せっぱなしってのも悪いし」

「そんなこと言って、またレイラ姉さまになんか言われたんじゃないの?」


 女の勘とは恐ろしいものである。まるで見てきたかのように言うエリーゼを上手くごまかしながら、シドは弟子ローズマリーの動きを観察する。


「あの娘の独特のステップは華があるよね。シド君もそう思うでしょ?」

「華があるかはわかんねーけど、相手を惑わす効果はありそうだよな」

「何その言い方、浪漫がないねぇ」


 オンボロ教会のシスターズももっと慎ましやかさを持っていただきたいものだが、どうせ言って聞くような連中ではないことはシドも身にしみてわかっている。だから、エリーゼの額を軽く小突く程度に留めた。


「お嬢ちゃん、今日の相手は坊やよ。訓練の成果を見せてあげなさい」


 静かに頷いたローズマリーは、数回深呼吸をして息を整え、旧礼拝堂の真ん中でシドと対峙する。

 見かけの変化はグローブをしていないことくらいで、それ以上に何か判断できる要素はない。だが、訓練をつけたのはあのシスター・レイラである。何が飛び出してくるかわかったものではない。

 無意識のうちに警戒を強めたシドは、以前のように腕を組んで仁王立ちなんて真似はしない。ローズマリーから視線を外さず、肩の力を抜いて咄嗟の事態にも対応できるよう構える。

 ローズマリーの口角が僅かに上がったように見えた、次の瞬間。詠唱なしの【加速】魔法と共に、メイド服の少女はバカ正直に突っ込んでくる。

 シドの両眼はその様子をはっきり捉えていた。ローズマリーの動きは明らかにいつもより遅い、にも関わらず選んだのは正面突破だ。

 シスターにできて自分にできない道理はないとばかりに、シドは少女の軌道を読み、カウンターを見舞おうと最短距離で腕を振り抜いたが、拳には何の手応えも返ってこない。

 その代わり、彼の目線の先にいるのは、間合いのギリギリ外で踏みとどまったローズマリーだ。


「遅い、ですっ!」


 そこからローズマリーが踏み出す一歩は、いつも通りかそれ以上の速さだ。

 低い体勢から、ガラ空きの右脇目掛けて撃ち出された少女の拳だが、すんでのところでシドお得意の見えない【防壁】魔法で遮られる。

 ローズマリーは畳み掛けることなく、一旦シドから距離を置いて様子を伺う。


「慣れないことはするもんじゃないわよ、坊や。彼女の速度に合わせてカウンターなんて、あなたの柄じゃないでしょ? 自分の得意な分野に相手を引き込まないでどうするの?」

「そりゃそうだが……どっちの指導役だよ、アンタは」


 シスター・レイラの指摘は鬱陶しいがいちいち的確だ。彼女の言う通り、相手の動きを先読みしたカウンターなんてこれまでほとんど試したことはない。

 内心反省したシドは自分の最も得意な戦法に集中する。まずは【防壁】で相手の攻撃を、ひいては足を止めるところから始めなければいけない。その上で弟子の動きと成長の様子を観察しなければならないのだから、師匠とは難しいものである。

 遅い動きでシドを釣り出し、生じた隙を速い動きで刺す。

 今のローズマリーの動きは、シドのイメージしていた緩急とはやや違うが、彼女の狙いに見事に引っかかり、一杯食わされそうになったのも事実だ。

 緩急をつけて一撃を外すか、裏をかいて小細工無しで突っ込んでくるか。この時点で、ローズマリーは相手に選択を迫っている。ここから彼女の十八番おはこである死角に回り込んでの不意打ちや、頭上からの奇襲が繰り出されるとなれば、初見ではまず対応できないだろう。

 とはいえ、ここでむざむざとやられてやるほどシドもお人好しではない。どのような動きで幻惑しようと、どんな質の攻撃が来ようと、【防壁】で受け止める。それだけのことである。

 ローズマリーもそのあたりは承知なのだろう。次の瞬間に踏み出した一歩は、紛れもない全力の【加速】。シドが手を出してこないことも織り込み済みなのか、足を止める様子はない。

 だが、シドをそれ以上に驚かせたのは、彼女が大きく振りかぶった右手。本来なら放たれるはずのない輝きが走ったように見えたのだ。


――これはまずい。


 長年の経験、それに裏付けた直感が衝動的にシドを後ろに下がらせた。直後、硝子細工を捻り潰すように、ローズマリーの右腕が【防壁】を粉々に砕く。


 これまでずっと行く手を阻んできたシドの【防壁】魔法を破ったことで薄く笑みを浮かべるローズマリーとは対称的に、シドの表情はあくまでも冷静だ。足の速さで勝る相手から必死に距離を取り、とにかくその様子を観察する。散々一撃の軽さに悩んできた少女が第一階梯ローとはいえ、【防壁】を破ったのだから、その裏には必ず何か理由があるはずだ。

 ローズマリーの右手に握られたのは無骨な鉄の棒――トンファー。鈍い黒色の鉄塊の表面には、深い紅色をした古代文字のような紋様が走っている。

 いくら格闘武器を使ったとしても、銃弾さえ止めるシドの【防壁】を破るのは容易ではない。それを何の抵抗もなくあっさり割って見せたとなると、何かしら魔法絡みの仕掛けがしてあるに違いないだろう。

 そう判断したシドが【防壁】の密度を上げるのと、ローズマリーが瞬時に間合いを詰めて一撃を繰り出すのはほぼ同時だった。

 【防壁】は少女の一振りを受け止めたが、耳障りな音とともに火花を散らしながら摩耗し続けている。ローズマリーは間髪入れずに左手にもトンファーを握り、目前の【防壁】を力ずくで破るが、その時にはもうシドは間合いの外だ。


「この短期間で【防壁】を破る手段を手に入れるとは、恐ろしいもんだね」

「まだまだここからです」

「……やっぱり君、血の気が多いじゃないか」


 ローズマリーは音もなく間合いを詰めてトンファーを振るうが、【防壁】に阻まれてシドには届かない。


「だけど、いくら一撃が重くなっても、当たらなければどうってことはない」


 少女が腕を一回振るうごとに、その勢いをどんどん失っていることにシドは気づいていた。先程までと違い、【防壁】を削り取るだけの勢いはもはやない。肩で大きく息をついており、傍目から見ても余力が残っていないことがすぐに分かる。


「ここまでかな」


 一歩を踏み出すローズマリーだが、その足取りは鉛のように重く、いつものしなやかさや俊敏さは見る影もない。繰り出した一撃にも力感がなく、振るわれた腕も蝶や蜻蛉が止まりそうな速度なものだから、シドにたやすく受け止められてしまう。先程までトンファーの表面に浮かんでいたはずの古代文字のような紋様は、いつの間にか消えていた。


「やっと届くと思ったのに……」


 聞こえるか聞こえないかの声で、悔しいなぁ、とつぶやいたローズマリーは、力なくトンファーを取り落とし、ずるりと膝から崩折れた。

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