3.7 仕事が終わったら迎えに戻るから
糸が切れた操り人形のように、その場に倒れるローズマリーを、シドは優しく抱きとめた。
「シド君、抱きしめるのはいささか破廉恥ではありませんか?」
「シド君のラッキースケベ!」
「あんたらの目は節穴か! 手ぇ貸せ!」
わーきゃー騒がしいシスター見習いたちだが、双子だけあって息はぴったりだ。気を失ったローズマリーを両脇から抱え、医務室へ連れてゆく。シドのそばに歩み寄ってきたシスター・レイラもさすがに心配そうな顔をしている。
そんな中、シドは、力なく垂れ下がった少女の手のひらに得体の知れない痣が浮かんでいるのに気づいた。
「……お嬢ちゃん、どうしちゃったの?」
「魔力切れだと思う。命に別状はないはずだ。ちょっと休めば回復すると思うぜ」
シスター・レイラの問いかけに答えたシドは、顎に手を当てて考えにふける。よほど変な魔法の使い方をしない限り、魔力切れで命を落とすことはない。ローズマリーのように意識を手放すほうが先だ。
問題は魔力切れを起こしたこと自体ではなく、その原因だ。
いつも使っている【加速】魔法、それに自己強化系の魔法を併用しただけで、ローズマリーが急激に魔力を消耗するとは思えない。シドもこれまで彼女の訓練に散々付き合っているから、その限界がどの程度かは百も承知だ。
そうなると、今まで使っていなかった道具――トンファーにその原因を求めるのはごく自然な成り行きである。
「シスター、CCが使ってたトンファー、一体どこから手に入れたんだ?」
「流しの古物商から値切りに値切って買ったって、神父が言ってたけどね」
シドはポケットからハンカチを取り出し、注意深くトンファーをつまみ上げて仔細に観察する。
材質はおそらく鋼鉄。黒染めで目立たないが、奇っ怪な紋様が隅から隅まで彫り込まれており、一見すると実用的なものとは思えない。
右手で把手を軽く握ってみると、不意にしびれに似た痛みが腕全体に走り、思わずトンファーを落としてしまう。
「なんか変わったデザインだなー、とは思ってたんだけどさ。いい機会だと思って引っ張り出してきたのよ」
「変わってんのは見かけだけじゃないんだけどな」
キョトンとした顔のシスター・レイラにトンファーを投げて寄越すが、困惑の色がより深まっただけだ。鼻歌交じりに獲物を振り回すその様子はとても
「魔法使いじゃないあんたにはわからんかもしれないが、そいつは魔導器の一種だ」
「こんなのが?」
シスター・レイラは手を止め、獲物をまじまじと見つめる。この様子だと、彼女は本当にそうと知らず、
「おおかた、使用者の魔力を吸い上げて、【破砕】系統の魔法に変換する術式でも組んであるんじゃねーか? それなら、俺の【防壁】を割ったのも説明がつくと思う。古そうなシロモノだから、
トンファーを渡そうとするシスターを、シドは手で制する。師匠まで魔導器に魔力を吸い上げられて人事不省となっては弟子に示しがつかない。
「ここまで限られた情報でそれだけ推測できるなんて、伊達に長いこと魔導士をやってないわね」
そんな大したことじゃない、とシドは首を振る。
「CCの手のひらに浮かんだ痣を見たか? あれは魔導器が魔力を吸い上げた時にできるものだ。これまでこれっぽっちも見られなかった魔力光の発現まで拝めたんだ。ここまでお膳立てされりゃ、大体の想像はつくってもんだぜ。それよりもシスター、
「知らないわよ。あたしも神父も双子も魔法使いじゃないんだから」
本来、魔導具の所持には専門家の鑑定書をつけた上で届出をしなければいけないのだが、この調子だと神父達は知らぬ存ぜぬを決め込んだまま、倉庫に怪し気な蒐集品を溜め込んでいるのだろう。もっとも、その摘発はシドの仕事ではないので、下手につつくこともなく黙っている。
「こうなることは予想外だったけど、CCでも魔導器を使えば魔力放出ができることがわかったんだ。これで多少は希望が見えるよ」
「そうでしょそうでしょ。あたしに深く感謝しなさい、坊や」
ふふん、とシスター・レイラが誇らしげにその豊満な胸を張る様子を見て、シドは少々ゲンナリした表情を浮かべる。
「ついでにもう一つ教えてくれ。この短期間で、あの娘はずいぶん緩急のある動きを身に着けてたけど、一体何をさせたんだ?」
「フットボールに、バスケットボール」
シスター・レイラから飛び出した予想外の言葉に、さすがのシドも首を傾げてしまう。
「……遊んでたわけじゃないわよ?」
「いや、それは信用してる……。その理由は何だ?」
「一対一の状況で、相手の動きと心理を読んで、裏をかいて出し抜く。あるいは相手の意図を挫く。その駆け引きを体得させようと思って、ストリートサッカーとかストリートバスケのコートに行かせてたのよ。もちろん双子も一緒にね」
体格・運動能力・経験に勝る相手を魔法なしで出し抜くとなれば、観察眼を鍛え、相手の思考を先読みして動く以外に術はない。
「間合いのギリギリ外で立ち回って相手を焦らしたり、近づくと見せかけて引いたりって動きは読み合いができないと成り立たないからね。フェイントとかトリックプレーなんてのはその延長線上にあるのよ。で、その手の駆け引きを会得させるために、フィールドを広く使う
得意気に語るシスターの傍らで、シドは手帳に万年筆を走らせる。彼女の引き出しが広いのは知っていたが、まさかここまでとは思っていなかった。
「あの娘、結構頭いいでしょ?」
「学業の方は、上から数えたほうが早かったみたいだな」
「最初は疑問だらけだったみたいだけど、すぐにこっちの意図を理解してくれたわ。そもそも、バカにはあの手の競技はできないからね」
シドは唸り、手を腰に当ててうつむいた。
「悩んでるの? それとも落ち込んでる? どっちにしても似合わないわね、坊や」
「うるせえ。……自分の視野が狭いことを思い知らされたんだ、多少はガクッと来るだろ」
「魔法の制御で、お嬢ちゃんの一直線な動きをなんとかしようとでも思ってたの?」
図星を指されて何も言い返せないシドに、シスターは諭すように話しかける。
「自分にできることを、みんなができると思っちゃダメ。それぞれにあったやり方ってものがあるのよ。あなただったら魔法の制御で簡単にできることでも、お嬢ちゃんにできるとは限らない。世の中の魔導士が、みんなあなたほど優秀なわけじゃないのよ」
「……俺だって別に優秀なわけじゃないさ」
「魔法の制御が苦手でも、駆け引きや心理戦に勝つ方法を学べば、今までと違う動きを身につけられる。目標を達成する方法がいつも一つとは限らないわ」
そっぽを向いたシドをみて、シスター・レイラはクスクスと微笑う。
「でも、自分にできないと思ったことを他人に任せられるようになったのは成長ね。お姉さんは嬉しいわ」
「できることはやるし、できねーことはやらないだけだ。俺もいつまでも坊やのままじゃねーんだよ」
シスター・レイラには、まだ聞いておきたいことがある。シドは微笑んだままの彼女に向き直った。
「話しついでにもうちょっと教えてほしい。CCになぜ、トンファーを与えた?」
「あなたと仕事をする以上、道具の携行性は重要だろうし、そもそもあの娘は華奢だから長物や大物の扱いには向かない。とは言っても、リーチはそれなりに欲しいところでしょ? ウチの倉庫にあって、その条件を満たすのがこれしかなかったのよ」
それが魔導器とは何たる偶然か――。
実際の運用は別に考えるとして、一撃の軽さの克服とローズマリーの課題にも解決の見通しが見えてきたのは大きな前進だ。
「シスター、しばらくそれ、預かってもいいか?」
「いいわよ。どうするの?」
「知り合いにその手の道具を扱ってるやつがいてな。CCが上手く扱えるように調整できないか、相談してみようと思う」
シドはジャケットを脱ぐと、トンファーを丁寧に包んで小脇に抱えた。直接触れないようにさえすれば、魔力が吸い上げられることもない。
「さて、ウチの姫様が目を覚ますまで、どっかで待たせてもらうかな」
「そうね、そうしなさいな」
旧礼拝堂を出た二人は、扉を開けたところで走ってきた双子の片割れとばったり出くわした。
「あ、シド君!」
「おう、エリーゼ。CCの様子はどうだ?」
「ぐっすり寝てるよ、今はアリアが付き添ってる。それよりも、警察から電話だよ」
「坊や、警察に睨まれるようなことでもしたの?」
「それならわざわざ電話なんかしないで、直接逮捕しに来るだろ。用事があったらここにかけてこいとは言ったけど」
エリーゼはシドに紙片を押し付けた。書かれた電話番号に見覚えはないが、名前には心当たりしかない。
「アンディの緊急案件、って言えばわかるって言ってたよ。折り返し電話してくれって」
「ああ、よくわかった」
アンディ警部からの電話、それも出先にかけてくるとなれば、理由は一つしかない。そもそも緊急案件と念を押してきているのだ。
魔法絡みの厄介事が、また起こったに違いない。
「シスター、電話を貸してくれ」
「どうぞ。出先にかけてくるなんて、よほど急ぎの用件なのね」
「助かるよ。CCのこと、よろしく頼む。仕事が終わったら迎えに戻るから」
トンファーをシスターに一旦返したシドは、ジャケットを羽織りなおす。ローズマリーが魔力切れで臥している以上、今回はシド一人で事件に挑まねばならない。
少女が目を覚ますのが先か、シドが迎えに戻るのが先か。今の彼にできるのは、せいぜい長い夜にならないことを祈るくらいのものだ。
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