3.5 気が変わったわ、坊や

 オンボロ教会の敷地は、教会としては広い部類に入る。

 イスパニアでは普通、教会は旧い建屋を修繕して長いこと使うのが普通なのだが、このオンボロ教会は古くなった礼拝堂はそのままにし、別の礼拝堂を建て増して使っている。その程度の余裕があるくらい、敷地面積が広い。

 シスター・レイラに連れられたシド達が足を踏み入れたのは旧い方の礼拝堂である。調度品は新しい方の礼拝堂に移され、中はがらんどうだ。とはいえ、ステンドグラスや金色の燭台などはそのまま残されており、意外と殺風景さは感じない。

 一方、そのなかでは実に殺伐とした話が進んでいる。

 家族の仇に復讐するのならその覚悟を見せろ、と迫られたローズマリーが、その実力を見せるべくシスター・レイラに挑みかかっているのだ。売り言葉に買い言葉だが、本人たちは至って真剣である。 


 決着はほぼ一瞬だった。

 相手が誰であろうが、今のローズマリーが取れる戦術は一つしかない。【加速】魔法で相手を翻弄し、急所狙いの一撃に持ち込むだけだ。

 だが、それはシスター・レイラには全くと言っていいほど通用しなかった。それどころか、シドが懸念していた心配事がそのまま形になってしまった。

 最初の数発は守りに徹していたシスターだったが、その間にローズマリーの速度を体で覚えたのだろう。低い姿勢で死角から飛び込んできたメイド服が繰り出す一撃を半歩動くだけでかわし、返す刀でその襟首を掴んで力任せに床に叩きつけたのだ。何一つ魔法なんて使えないのに、速度に乗ったローズマリーを腕一本でねじ伏せるその姿を目の当たりにしたシドは、相変わらずの天賦の才能センスだ、と感心半分、呆れ半分でため息をついた。 

 一方、仰向けに叩きつけられた挙句に首根っこをを押さえつけられたローズマリーは必死に拘束から逃れようと試みるが、シスターの腕は不動明王の石像と見紛うばかりにぴくりとも動かない。手足を振り回して抵抗してはみるが、体勢が不十分で威力がまるで足りないのが傍から見ても明らかだ。シスター・レイラも蚊が刺す程度の痛みしか感じていないのだろう、表情がまったく変わらない。

 少女の抵抗が止むと、シスターは腕の力を緩めて立ち上がり、シドの方を見て首を横に振った。


「お話にならないわね、坊や。この程度で復讐だなんだって言われても困っちゃうわ」


 シスター・レイラが目線を外したその一瞬。ローズマリーはそれを見逃さなかった。

 目一杯の【加速】で跳ね起きた少女が息をつく間もなく放った回し蹴りは、狙い過たずシスターの後頭部を直撃した。


 入った――!


 普通なら昏倒必至の一撃のはずだが、シスター・レイラは平然と振り返る。

 そんな様子を目の当たりにしてしまったローズマリーの顔に浮かぶものなど、一つしかない。

 

 ――恐怖だ。


「背を向けた相手に本気の蹴りを打ち込むなんて、可愛い顔して随分えげつないことするのね? そのやり口は誰に教わったのかしら?」


 甘ったるいのは口調だけだった。瞬間、豪腕がローズマリーの首元を引っ掴み、シドの方へ力任せにぶん投げる。

 咄嗟のことで反応が遅れたが、シドは何とかローズマリーを受け止めた。だが、その勢いを殺すことは叶わず、一緒に吹っ飛んで壁に叩きつけられる。


「だ、大丈夫か、CC」

「これが大丈夫に見えるんでしたら、眼科の受診をおすすめします」


 それだけ憎まれ口を叩いていれば大丈夫だ、とシドは安心する。もっとも、シドが受け止めたおかげで、本来はローズマリー一人に収まっていた被害が拡大した、とも見えなくもないが。


「……いつまでも痛みで動けない、ってわけにもいきませんね」


 視界の隅、歩み寄ってくるシスター・レイラをみて、ローズマリーは再び前に踏み出して臨戦態勢をとるが、彼女に残された手が尽きているのは明らかだった。

 頼みの綱の奇襲は全て失敗、一撃が通る余地はない。

 【加速】してもその動きは見切られており、カウンターを喰うのが必定。

 もはや何をやっても、ローズマリーに待ち受けているのは、敗北。それでもなお、少女は拳を固め、強敵に対峙する。


「いい表情ね。このまま放っておこうかと思ったけど、気が変わったわ、坊や」

「やりすぎるなって言ったよな、シスター・レイラ!」


 シドの言葉を無視したシスター・レイラはローズマリーの眼前に歩み寄り、


「あなたのお誘い、受けてあげる」


 今までの冷たい眼差しを放り出し、初めて会ったときに見せた妖艶な笑みを浮かべた。


「……どういうことですか、シスター?」

「言ったでしょ、気が変わったって。子猫ちゃんの訓練を引き受ける、って言ってるのよ」


 声色にも表情にも、明確な戸惑いの色を浮かべたローズマリーは、シスター・レイラの言葉を聞いてぺたんとその場に座りこんでしまった。


「それはありがたい話だが、決め手は何だったんだ」

「床に叩きつけたあと、反撃を諦めた時は断ろうって本気で思ったんだけどね」


 子供を抱え上げるようにローズマリーを引っ張り起こしたシスターは楽しそうだ。起こされたほうは少々恥ずかしいのか、耳を赤く染めている。


「その後の蹴りは、実に良かったわ。本当に殺しにかかる気でいたのかしら、そうじゃなきゃあんなところ狙わないもの。あの一発だけで、あたしの目的はだいたい達成できたわ」


 実に満足げな様子で頷いているシスターをみて、シドは軽く表情を引きつらせる。


「アレを受けて平然としてるあんたはやっぱバケモンだよ」

「ありがとう、褒め言葉として受け取っておくわ」



 先程の鬼神のごとき振る舞いなどまるでなかったかのように、シスターは妖しく微笑わらう。


「お嬢ちゃん。来週から週の三日はここで訓練よ。寝技とか寝技とか寝技とか手取り足取り教えてあげる」

「余計なことは教えんでいいぞ、シスター」


 二人が叩く軽口をぼんやり見ていたローズマリーははっと我に返って尋ねた。


「あ、あの、私は強くなれるんですか?」

「そのへんは彼女を信用していい。シスター・レイラは本職はがさつだが、こと格闘戦技に関しては丁寧そのものだからな」

「ずいぶんな言いぐさねぇ、坊や。一応万屋あなたに気を使ってあげてるのよ? ずっとこっちに出ずっぱりじゃ、そっちの仕事のほうが滞っちゃうじゃない?」


 コロコロと微笑わらうシスターと、苦い表情を浮かべたままのシド。あまりにも急に話が転んだせいか、ローズマリーはそんな二人をただ見ていることしかできない。


「そんなわけで、改めてよろしくね、お嬢ちゃん。ビシビシ鍛えてくわよ?」

「は、はい。お願いします」


 いまだ混乱の収まらないローズマリーは、いつもの凛とした彼女からは想像できない、子供らしい間の抜けた返事を返すことしかできなかった。

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