3.2 ちゃんと守って叱って導いてやらねーとな

 訓練施設の表で日向ぼっこをしていたクロと合流し、養成機関アカデミーの食堂でみんな揃って昼食を取った後は自由行動だ。

 ローズマリーは生粋のイスパニア娘であり、昼食後の午睡シエスタを欠かさない。だが、彼女は至って真面目な娘である。二時間や三時間も惰眠を貪ることなく、何の合図もなしにきっかり三〇分で目を覚ます。彼女の後ろをひょこひょこ歩くクロのほうがずっと眠そうだ。

 ローズマリーがクロとともに向かうのは養成機関付属の図書館だ。イスパニア随一の蔵書量を誇るこの図書館で、何でも屋の仕事、荒事対策に役に立ちそうな書物を片っ端から読みあさり、要点を手帳に書き連ねてゆく。

 メイド姿の少女が机に本を積み上げ、一心不乱にメモ書きをする姿は傍から見れば若干異様ではあるが、多かれ少なかれ周りの人間も似たようなことをしているから、彼女自身それを気にする様子はない。一方、お供のクロはローズマリーの膝の上で丸くなってあくびをしたり、ときにうたた寝をしたりと、こちらは至って怠惰な猫である。

 放っておいても熱心に仕事や勉強をしてくれるのはありがたい話だが、もう少し適当でもだれにも怒られやしないのに、とシドは思っている。師匠である彼が手を抜けなくのは少々しんどい。それを口にすると例によって毒を吐かれるだろうから黙っているけれど。

 ただ、座学で得た知識は、実戦を経なければ血が通ったものと成りえない。ローズマリーもそこは承知しているようで、時折手を止め、窓の向こうの青空を見つめては、次の実戦はまだかしら、と物憂げに溜息をつくのだった。




 一方、シドは昼食を終えたその足で市電を乗り継ぎ、次の目的地に赴いていた。

 彼はワーカホリックの国・日本ジパングの生まれである。年若くしてイスパニアに来て暮らしている彼だが、午睡シエスタの習慣なんて身についていないし、必要ならば夜討ち朝駆けもいとわない。ただ、二十四時間戦うのは勘弁願いたいと思っているあたり、成長の過程でイスパニアの穏やかなお国柄に多少なりとも影響を受けたようである。

 養成機関アカデミーの売店で買った手土産をぶら下げて、シドは警察署の門を叩く。

 受付嬢も慣れたもので、何も聞かずにアンディを呼び出してくれるし、顔見知りの刑事は挨拶までしてくれる。仕事で何度も来た場所のはずだし、そこに勤める面々も馴染みの連中のはずなのだが、悪いことをしたわけではないのに警察署というだけで緊張してしまうのは不思議なものだ。

 通された応接室には強い葉巻の匂いが残っており、シドは思わず顔をしかめた。たぶん、前に使った者が吸ったのだろう。


「あれ? センセイ、タバコとか葉巻はダメだっけ?」

「俺は平気だけど、ウチの女性陣が異様に鼻が利いてな……。洗濯の度に小言をつかれるんだよ」

「さすがのセンセイも女の子にゃ頭が上がんないか」

「黒猫と合わせりゃ二対一でこっちの負けだ、今じゃ多数決もとれやしない」


 シドが仰々しい包装紙の土産を手渡すと、今度はアンディが苦い顔をする番だった。

「また養成機関アカデミー謹製のチョコかい……」

「婦警の皆さん方からいつもリクエストされるんだよ」

「マジかい? 何だよその謎の中毒性? なんかヤバい成分が入ってたりしないだろうね?」


 文句を垂れながらも包みを受け取ったアンディは、シドの対面に腰を下ろした。


「新しい警視、いつ来るんだ?」

「週明けだね。辞令自体は月明けなんだけど、少しでも新しい環境に慣れておきたいんだとさ。次来たときにでも紹介するよ。ずいぶんな優男だったな。現場に来られて卒倒しないか心配になるレベルだ」


 前任者もたいがい人が良さそうなおっさんだったけどね、とシドは苦笑する。


「ま、上手くやってくれよ、センセイ」

「善処するよ」


 先程の言葉をすっかり忘れた様子でタバコに火をともすアンディに、シドはそっと灰皿を差し出してやる。


「この前の立てこもり犯の取り調べ、何か進展あったか?」


 微妙だね、と呟いたアンディは紫煙混じりのため息をつく。


「ヤツが独立派系の組織とつながりがありそうだってところまではわかってるんだけどね。口が固くて、情報を吐いてくれる様子がまるでない。組織の内情とか逃走中の仲間の行方とか、訊きたいことは腐るほどある。とにかく、アイツとその背後にいる連中については、絶賛調査中であります」

 それにしても、こう魔法使い絡みの事件が多いと参るね」

「報酬次第だが、手は貸すぜ?」


 コーヒーを持ってきた部下の婦警に礼を言ったアンディは、まだそれなりに残ったタバコをもみ消した。


「いつもいつでも、猫の手を借りてるわけにもいかないさ。僕たちだってバカじゃない。センセイと共同戦線を張るなかで色々勉強させてもらってるよ。上層部の頭が固いのは相変わらずだけど、魔導士対策は徐々に進みつつあるし、手前味噌で恐縮だけど、警察だけで対応できた事件もある」

「そいつは結構なことだ」


 警察が対応策を講じて実施してくれるなら、これほどありがたい話はない。毎回のように呼び出されてはシドも身が持たないし、今は弟子を抱えている身分なので、前ほど自由ヒマではないのが正直なところだ。


「本当にヤバい時はセンセイに連絡するから、その時はよろしく頼むよ」

「別にヤバくない案件でも、報酬さえちゃんと払ってくれるなら回してもらってかまわないぜ」

「……CCのことだね」


 わかってなかったらどうしようかと思った、とシドは内心安堵する。


「あの娘を鍛えるってなったら、ある程度簡単な現場から始めてステップアップしてかなきゃいけない。それには警察アンタらの協力が必要なんだよ。よろしく頼むぜ」

「もとはこっちのワガママだからね。こう見えても、彼女の出向を受け入れてくれて感謝はしてるんだよ?」


 アンディの立ち居振る舞いからはとても感謝の念など感じられないのだが、それはいつものこと、シドも今さら特に気にしてはいない。


「ま、互いの利益を最大化できるよう頑張ろうじゃないか、センセイ。手伝ってくれるというなら、こっちとしても大歓迎さ。報酬は今まで通り」

「お代は見てのお帰り、ってな」


 ニヤリと笑ったアンディは「わかってるね」と囁く。警察官とはとても思えない、悪い表情だ。


「それにしてもセンセイ、そうやってると一端の師匠センセイらしいじゃないか」

「ほめてるつもりか、それ?」


 からかわれていると知ってむくれるシドだが、すぐに真剣な表情に戻る。


「まあ、あの娘が魔導士としてものになるまでは、ちゃんと守って叱って導いてやらねーとな。それが先輩の――大人の仕事だろ?」


 普段のやる気のない様子からは想像もつかない殊勝な発言がよほど意外だったのか、アンディは言葉を失っている。からかいの言葉の一つでも飛んでくると思っていたシドが逆に訝しがる始末だ。


「なんだよ? 俺、変なこと言ってるか?」

「……言ってることは正論なんだが、それがセンセイの口からでてくるってなれば話は別だよ。悪いもんでも食べたのかい?」

「うるせえ、俺もやるときゃやるんだよ」


 シドは笑って場を取り繕おうとするアンディを睨みつけた。


「とにかく、こっちは年中人手不足だ、手伝ってくれるならお言葉に甘えるよ、センセイ。よろしく頼む」

「ん、こっちこそ」


 シドはそういうと腰を上げた。


「もう帰るのかい?」

「長居すると上着にタバコの臭いが染み付く。それに、あんまり遅いとお嬢さん方に叱られるしな」

「どっちの?」

「両方だ。片方は毒舌を吐いて、もう片方は引っ掻いてくるから手に負えねーよ……。また何かわかったら連絡してくれ」


 婦警に見送られたシドは振り返ることなく警察署を後にし、養成機関アカデミーに向かう市電へと飛び乗る。

 車窓の外に広がる、燦々と照り輝く陽に彩られた石造りの街並みを眺めながら、シドは次の布石へと考えを巡らせ始めていた。




 養成機関アカデミーにローズマリーとクロを迎えに行き、夕飯の買い物をして家路についた頃、日がようやく傾きはじめた。

 夕食はごく軽いもの。カリカリに焼いたソーセージ、スライスしたチーズ、じゃがいものスープに、付け合せの野菜とクラッカー。ローズマリーは一通りの家事こそできるものの、料理のバリエーションはあまり多くはない。

 もっとも、家事をしてもらっている以上、シドは特に何も言う気はない。そもそも食事にこだわりらしいこだわりもないし、出されたものは文句を言わず平らげろ、と子供の頃から躾けられている。

 夕食と風呂を済ませたシドは届いていた郵便の封を切り、片っ端から中身をあらためてゆく。多くは取るに足らないものばかりだが、一通だけ、蝋で封じられた封筒が目についた。中に収められた便箋も透かしの入った上質なもの、警察の公的文書に間違いない。

 内容も期待通りのものだったが、それを目の前の少女にどう伝えるべきか、シドは少々思案を巡らす。

 ローズマリーは例によって可愛いパジャマに身を包み、丸くなったクロを膝に載せたまま、図書館から持ち帰ってきた資料の複写を読んでいた。


「どうしたんですか、先生? 何かいい便りでも来ましたか?」

「まあそうなんだが……」


 シドは便箋を置いて少し考え込むが、隠したって詮無いこと。ここは順を追って話すほかない。


「前々から、君は近接戦専門の魔導士にしちゃ一撃が軽い、って話をしてたと思うんだが」

「……私は魔力放出ができませんから」

「それを補う手段として武器格闘を提案したのはいいんだが、あいにく、俺は武器格闘が不得手だ」


 いつもどおり、対して表情も変えずに、ローズマリーが相槌を打つ。


「そんなわけで、君の格闘戦の訓練を外部委託したいと警察にお伺いを立ててたんだが、正式にOKが出たわけだ」

「そうですか。どんな方にお願いするんですか?」

「俺の知り合いで、間違いなく腕が立つ人間だからその辺は安心してくれ……」


 言葉を切ったシドに違和感を覚えたか、少女は可愛らしく小首を傾げた。


「どうしました、先生?」

「いや、なんかリアクション薄くないか? 『私の指導を引き受けたなら最後まで責任持ってください』とか言われると思ってた」

「子供扱いもいい加減にしてくださいな、先生。私、そこまで聞き分けのない言動をした覚えはありませんけど?」


 ローズマリーは不服そうに小さくため息をついた。


「先生がそう判断なさったなら、私はそれに従いますし、どこへでもついていきます。魔法の使い方のご指導は、今まで通りしていただけるんでしょう?」


 何も言わずうなずいたシドを見て、ローズマリーは安心したように話し続けた。


「でしたら、何の問題もありません。いつからそこに行くんですか?」

「明日の朝一、王都郊外の教会に出向いて、詳しい話を詰める。そのつもりで準備してくれ」

「私が訓練している間、先生は神様に何か懺悔なさるおつもりなんですか?」


 何を言いやがる、と呟くシドを見て、少女はクスリと笑みを漏らす。


「冗談ですよ、先生。早く出るなら、今日はもう寝ることにしますね」

「ん、そうしてくれ」

「先生も早くお休みになってくださいね。先生の寝坊で到着が遅れたら、先方に申し訳が立ちませんし」


 わかってるよ、と毒を吐き続けるローズマリーを客間から追い出したシドは、警察からの手紙をしまい込み、ソファに沈み込んでしばし天井を見つめた。

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