第3章
3.1 そんな顔しなさんな
「……せいっ!」
懐に潜り込み、短い気合の声と共に放たれたローズマリーの一撃を、シドはお得意の【防壁】で完封する。
その反応は織り込み済みなのか、間髪入れずに背後に回って首を狙いにかかる少女だが、そんな安い手はお見通しだと言わんばかりに、シドは逆に距離を詰めて攻撃を封じ込める。
どんな魔導士にも自分の間合いというものがある。それは【射撃】系統の魔法に限ったことではない。ローズマリーのように、格闘戦を主体とする魔導士ならなおさらだ。手足が伸び切ってしまっては攻撃が届かないが、間合いが近すぎても当然例外ではない。
大きく飛び退って距離を取ろうとしたローズマリーだが、着地の際にバランスを崩してたたらを踏む。
「ん、今日はここまでかな」
その様子を見たシドは、そろそろこの辺が頃合いとばかりに構えを解く。
結局、少女は今日もシドの防壁を抜けなかった。
悔しいのか、ローズマリーは小さく唇を噛む。以前よりは表情がわかるようになったとはいえ、その違いは僅かなものだ。シドも真剣に見ないと見落としてしまう。
「……ありがとうございました」
「ん、ご苦労さん」
ローズマリーのきれいな一礼、シドのラフなねぎらいの言葉とともに、本日の訓練は終了。
万屋ムナカタに急ぎの仕事がない日には、二人はこうして
彼女はたしかに速い。
多くの修羅場を潜ったシドですら、彼女の動きを全て捉えることは容易ではない。初見であれば誰もがその速度に度肝を抜かれることうけあいである。
だが、最初の数分間を耐え抜き、目が慣れてしまえば話は別だ。
荒事慣れした相手なら、彼女の攻撃を数度受けるだけでその「軽さ」を見破り、次の行動を先読みしてカウンターを合わせるか、敢えて持久戦に持ち込むか、いずれの選択を取るはず。長期戦に持ち込まれ、動きを見切られてしまったローズマリーは、脆い。
手合わせをしてみるとよく分かるのだが、彼女の動きはどうも単調になりがちだ。速くても直線的で、フェイントや緩急で相手を幻惑させることはほとんどない。まずはもう少し速度を下げて緩急をつけてみては、とアドバイスしたのだが、思いの外難航している。
「あれだけ速く動けるなら、すこし手ぇ抜いて速度を下げるくらいどうってことないと踏んでたんだがな」
「思った以上に難しいですね………」
一見涼し気な表情の少女だが、眼差しには薄く焦燥感がにじむ。彼女いわく、
「相手が対応できないくらいの【加速】で距離を詰めて、一撃で仕留めれば問題ないと思っていました」
とのこと。同じ相手と戦場で二度相見える機会なんてほとんどないのだから、最初の一撃で全てを決めてしまえばいい、というのは確かに理にかなっているのだが、それは次善の策を用意しなくてよい、ということではない。彼らの仕事はあくまでも依頼の遂行であり、それには生きて帰ることが含まれる。刺し違えてでも仕留めるというのはご
とにもかくにも、彼女は魔法を覚えてこの方、とにかく速く相手との距離を詰めてぶっ飛ばすという戦法にご執心だったようで、緩やかに【加速】する感覚を今ひとつつかめないまま、試行錯誤の日々を過ごしている。
魔法の制御が効かなくなり、ローズマリーがつまづいたらその日の訓練は一旦終了。彼女の魔力容量は人並み外れて多いわけではないし、【加速】を緩急自在に操るという慣れない技術に取り組んでいるため、どうしても今は魔力の消耗が激しくなりがちだ。
子供の頃から慣れ親しんできたはずの魔法の、一歩進んだ使い方。新しい技術の習得を始めたはいいものの、なかなか使いこなすまでに至らない現状に、少女は苛立ちを感じているらしい。本人は隠しているつもりかもしれないが、鈍感で通ったシドすらも用意に察知できるほど、態度や行動に現れている。
使い慣れた魔法ほど、その使い方を変えるのは難しい。
それはシドも重々承知だが、自分の魔法をどうやって御するかは自身で掴むしかないのも事実。彼にできるのは気長に粘り強く訓練を続けるよう弟子を見守り、参考程度の経験談を話すことくらいだ。
「感覚だけで魔法を使っている魔導士は、遅かれ早かれ壁にぶつかる。自分の言葉でいい、理論を組み立てるんだ。今までカンでやってきたことを言葉に置き換えてゆく」
またか、と言いたげにローズマリーは
「そんな顔しなさんな、重要な事だから何度でも言うんだ」
「……もとからこういう顔です」
年相応に笑ったりすりゃもっと可愛いのにと思うシドだが、言葉にすることはない。今すべき話は彼女の容姿ではなく、彼女の魔法の話だ。
「感性に頼る魔導士は、最悪の場合自らの魔法を失う」
「……それは初めて聞きますね。どういうことですか?」
「言葉通りだよ」
突如、冷たく陰惨な雰囲気をまとったシドをみて、ローズマリーの背筋に寒気が走る。
「ある日突然、魔法が使えなくなるのさ。まるで使い方を忘れちまったみたいにな。昨日までできていた魔力の変換や放出が急にできなくなる。魔法使いの大半が若い連中で、年寄りが極端に少ない理由の一つはそれだ」
魔法使いを対象に年齢別人口構成図――いわゆる人口ピラミッドを描くと、年齢が高くなるに従って急激に人数が減ってゆく。その事自体は、ローズマリーも
「若くして魔法が使えなくなっちまうのは、別に珍しい話じゃない。歳を取ってから魔法が再発現する例もほとんど無い。結果、魔法使いに年寄りはほとんどいない、って話になる」
「でも、
ローズマリーの反論も一理ある。アカデミーの講師陣はどんなに若くても三〇才前後だし、上層部や理事クラスになると棺桶に片足を突っ込んだ年齢の者もいる。
「長く現役を張ってる魔導士はね、それぞれ独自の理論を持っている。あのレベルの連中に、感覚と感性だけで魔法を使っている人間なんていない」
だから何度でも言うぜ、とシドはまっすぐローズマリーの眼を見る。
「もっと頭を使うんだ。使い慣れた【加速】でも、理論的に魔法を組み立てて、人に説明できるようになるまで訓練する。それが『魔法を使いこなす』って言葉の真の意味だ」
「人に説明できたって、理解してもらえるかはは別でしょう?」
「理解してもらう必要なんかない。重要なのは自分の魔法をきちんと順序立てて説明できるかどうかだ。それこそが魔法を理解している証だからな。もし魔法の使い方を忘れてしまっても、そこまでの道しるべが……理論があれば、立ち戻ってやり直すことができるだろ?」
一旦言葉を切り、苦い表情を見せるシド。それはほんの一瞬のこと、ローズマリーがその意味を察することもできないくらいの短さだ。
「君は頭のいい子だからね、大丈夫、できるはずだぜ」
「……子供扱いしないでくださいよ」
悪い悪い、と笑ったシドの顔には、もう先程の暗さはない。
「さ、難しいお話はここまでだ。メシにしようぜ」
「はい、先生。お供いたします」
踵を返したシドを、ローズマリーが小走りで追いかける。
隣に追いついた少女を横目で見ながら、こういう暮らしも案外自分に合っているのかもな、とシドは内心で微笑んだ。
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