2.4 やれるもんならやってみろよ

「立てこもり犯に次ぐー。聞こえるかー? 聞こえるなら返事しろー」


 拡声器片手に、とても事件の現場と思えないのんきな口調で犯人に呼びかけながら、シドはずんずん前に進んでゆく。

 その足元をついて歩くのは、軽やかな足取りの黒猫。これが初任務のメイド服の少女・ローズマリーは、シドの言いつけどおりに少し離れて不安げについて行く。


「おたくの逃げ場所はもはやない。投降して協力すれば悪いようにはしないぞー」

「適当なことを言って、あとで怒られても知りませんよ?」

「いいんだよ、終わり良けりゃ全て良し、ってね」


 ちらっと後ろに振り返り、イタズラをする子供のようにニヤリと笑ったのは一瞬だけ。シドは犯人への呼びかけを再開する。


「そっちの手の内はわかっている。大人しく出てこーい」


 呼びかけに反論するかのように、銃弾が数発打ち込まれ、炸裂音が二人と一匹の耳を貫く。ローズマリーは短い悲鳴とともに体を丸くし、近くに着弾した炸裂弾が巻き起こす暴風に頭を抱えた。

 恐る恐るあたりを見てみれば、周囲の石畳が見るも無残にふっ飛ばされている。でも、防壁のおかげで、二人と一匹は無傷だ。


「実際に撃ち込まれるとあんまり気分のいいもんじゃねーな」


 気合の入っていない口調のシドとそれに呼応するように鳴くクロを見ていると、ここが事件の現場だということをうっかり忘れそうになる。


「万が一のことがあっても面倒だ。後ろの警戒と守りは頼むぜ、クロスケ」


 心得た、とばかりに胸を張ったクロは力強い鳴き声で応えると、しっぽをぴんと立てて少女の足元に寄り添った。


「見てのとおりだ、そちらの攻撃は届かない。当方は警察ではなく、君と同じ魔法使いだ。話し合う準備ができている。今からそちらに向かう」


 頭を上げたローズマリーは呆れた表情を浮かべている。ここまで明け透けな投降の呼びかけを素直に受け入れるほど犯人もアホではあるまい。仮に万屋ムナカタ一行を素直に招き入れたのなら、それは十中八九、罠だろう。

 だが、目の前のベテラン魔導士とその使い魔は、バカ正直に正面から乗り込む気満々だ。


「向こうも本気で正面から乗り込むなんて思ってないでしょうね」

「さっきから言ってるだろ、それ以外に適当な方法もないしな。後は野となれ山となれ、だ」


 とてもこの後の作戦なんて考えてなさそうな様子の師匠に命を預けなければならない現実を憂いたか、ローズマリーは気づかれない程度に小さくため息をついて彼について行く。

 犯行現場に近づくにつれ、血の臭いとローズマリーの眉間の皺がどんどん深くなる一方。彼女の苦い表情は濁った空気だけでなく、一見すると無謀としか思えないシドの作戦も原因なのだが。


「……撃ってきませんね?」

「無駄弾を撃たないに越したことはないって思ってんだろ? 魔力と弾数にも限りがあるからな」

「犯人は魔法使いで間違いないんですか?」


 シドとクロに習い、抜き足差し足で扉に近づきながらローズマリーが尋ねる。


「どんな形であれ、魔法が関わってるのは間違いないだろ。そうじゃなきゃ拳銃ベレッタからあんなトンデモ弾丸は出てこねーよ」

「そのトンデモ弾丸を防ぎきりながら、与太話とともに近づいてくる魔導士も十分常識外ですよね。考えの底がまるで読めませんから」

「……なんかほめられてる気がしねーな」


 ローズマリーから憎まれ口が出てくるのは、悪い兆候ではない。彼女の意識と体が、徐々に緊張に慣れ始めているのだろう。初任務でガチガチに緊張し、実力の半分も発揮できない魔導士は意外に多いものだが、ローズマリーはそういうタイプではないらしい。

 シドの経験上、女のほうが一旦度胸が据わると強い気がする。もっとも、彼の周りには強い女しかいない、という可能性は否定しきれないが……。


「相手の心に少しでも迷いや油断が生まれれば、付け入る隙もできるからな。道化を演じるのも時には役に立つもんさ。

 ……本番はここからだ。突入する」


 そっと扉を開け、中を覗き込んでも、犯人の応戦はない。

 カーテンもシャッターも降ろされた部屋は薄暗く、灯りと呼べるのは非常灯と天窓から差し込む光くらいだ。

 目を凝らしてみると、部屋の隅で女性が倒れているのが見える。血溜まりのなかでうつ伏せのまま、ぴくりとも動かない。

 もう助からないだろう。

 初任務の魔導士にはショックが大きい光景に目をそらしてしまったローズマリーだが、シドはあえて、優しい口調ながら厳しい言葉を投げかける。


「気持ちはわかるがな、CC。残酷だけど、目を伏せちゃいけない。それは真実から目を背けるってことだ」


 言い終わるやいなや、シドの足元でクロが鋭い鳴き声を上げる。

 夜目が効く分、早く気づいたのだろう。部屋の奥にいるのは万屋ムナカタ一行を除けば唯一の生存者――犯人だ。

 着崩したスーツに刈り込んだ頭、いかにも街のチンピラ然とした装いの男は、こわばった顔つきで二人と一匹に拳銃を向けている。


「どーも、魔法使いです。おたくが犯人?」

「何しに来た!」

「さっきも言ったろ、話し合いに来たんだ」


 拡声器を放り出したシドの、芝居がかった鼻につく振る舞い。犯人の額に浮かぶ青筋を見れば、神経が逆撫でされているのは一目瞭然だ。

 普段のだらしない姿、事務所を出る時に垣間見せた真剣な眼差し、そして道化じみた軽薄な演技。猫の目のように次々と変わるシドの立ち振舞いを、ローズマリーは後ろから緊張とともに観察している。


「テメェ、本当に魔法使いなんだろうな?」

「ご自慢の弾丸をタネも仕掛けもなく防いでみせただろ? それが何よりの証拠だろうが。そんなことより、あんたはこんなところで何してるんだ?」

「見てわかんねぇのか? 強盗だよ強盗! 俺達にはカネがいるんだよ!」


 犯人の言葉は怒気に満ちており、苛立ちを隠す気もまるでない。


「後はドロンするだけって時に、こいつらが呼んだ警官が来やがった! おかげで俺だけが逃げ損なう始末だ、畜生が! 魔法が使えるっていったばかりにこんな役回りだ、ろくなもんじゃねぇ」


 犯人が怒りに任せて蹴飛ばした銀行員の亡骸の頭は、力なくあらぬ方向にねじ曲がった。それを見た瞬間、軽い性格の魔法使いを演じていたシドの表情に、明らかな嫌悪感が浮かぶ。その行為を直接とがめることこそないが、眼差しは鋭くなるいっぽうで、纏う雰囲気も加速度的に暗く、重くなる。

 ローズマリーは思わず顔を青ざめさせ、小さく身震いした。

 死者を冒涜する犯人の振る舞いもそうだが、シドの後ろ姿から立ち上る、いつもとはまるで違う気配が、彼女の背筋を凍らせたのだ。


「金がいるのか……。何のために?」

「ああ!? そんなのお前に言う必要あんのかよ!?」

「さすがに犯行の目的をうっかり口にするほどバカじゃなかったか」


 シドの唇に嘲笑が浮かぶが、目は一切笑っていない。


「ちょっと待てや、バカって誰のことだコラ!?」


 バカ呼ばわりされたことがよほど気に障ったのか、犯人の口調がますます荒くなる。


「アンタの他に誰がいるんだよ。筋金入りのバカだな。玩具おもちゃにゃ過ぎたシロモノで、無抵抗の一般市民を脅して強盗。ちょっと魔法が使えるからって調子に乗った挙げ句、警察相手に大立ち回りだ。強盗と殺人コロシを働いた人間が迎える結末を想像することすらできねぇチンピラを、バカ以外になんて呼ぶかはこっちが知りてぇよ」


 普段の様子からは全く想像できない、陰惨な雰囲気のシドに怯えていたローズマリーだが、足もとに擦り寄った黒猫のぬくもりで幾分落ち着きを取戻していた。


「おい、チンピラ。アンタ、自分が人として超えちゃいけねー線超えたって、ちゃんと理解してるか? ああ、バカにゃ無理か」

「バカはテメェだ、皆殺しにしちまえば結果は一緒だろうが!」


 下卑た言葉の応酬に怒りも頂点に達したのか、犯人はシドに拳銃を向け、魔力を込め始める。


「立ちふさがるってなら、テメェもメイドの小娘もまとめて皆殺しだ!」

「やれるもんならやってみろよ、バカ」


 犯人の罵声とともに、立て続けに自動拳銃から火が放たれる。

 【防壁】に阻まれた弾丸は、あるものは甲高い衝突音とともに勢いを失って地面に転がり、あるものは閃光とともに炸裂する。犯人の放った弾丸とシドの魔力防壁がぶつかりあう音が反響して容赦なく襲いかかり、ローズマリーは思わず耳をふさいでしまう。

 シドはさすがベテランといったところか、絶え間なく飛んでくる弾丸に怯える様子もない。少々目を細めるくらいで、嘲るような笑みを浮かべたままだ。


「さっきからぐちゃぐちゃと偉そうにくっちゃべりやがって! 何様のつもりだオラァ! 無関係なガキはすっこんでろ!」

「ま、確かに関係はないな。バカの人生に首突っ込むことほど無駄なもんはねーしな。

 だけどな、一介の魔導士として、魔法使いの狼藉を野放しにできるほど無責任でもない。だから俺はここに来た。他に何か理由がいるのかよ、バカ」


 シドの罵倒に一瞬顔を強張らせた犯人だったが、何が可笑しいのか、やがて含み笑いを漏らし始める。


「なぁに大層なこと抜かしてやがる、結局はテメェも私利私欲の為に魔法を使ってんじゃねぇか! 認めちまえよ!

 あんたは俺や俺の仲間と同じニオイがすんだよ。硝煙とか血とか、少なくとも平和ってヤツからは縁遠いニオイだ。こんな場に自分からわざわざ出てくるくらいだ、テメェもどうせ魔法で誰かをねじ伏せなきゃ生きていけねぇ世界の人間なんだろ?」

「一緒にすんなよ、バカ」


 シドは冷たく無情に言い放つ。


「自分の魔法をどう使うか、最低限の矜持と常識は持ち合わせているつもりだ。人を傷つけることにしか自分の魔法の価値を見いだせないバカと一緒にされるのは心外なんだよ、バカ」

「ごちゃごちゃうるせぇんだよガキが! そのドタマブチ抜いたらぁ!!」

「やれるもんならやってみやがれ三下が!」


 【防壁】があることは、ローズマリーも頭でちゃんと理解している。だが、現実はシド達から数メートルと離れていない距離で爆発が起き、耳をつんざく炸裂音の真っ只中に置かれているのだ。さらに、時折織り交ぜられて放たれる徹甲弾は【防壁】にぶち当たって火花を散らす。

 そんな光景を目にしては気が気でない。思わず悲鳴をあげそうになるローズマリーがなんとか踏みとどまっていられるのは、肩に飛び乗ってきたクロのぬくもりがあるからだ。


「アンタの魔法の特性はだいたい理解してる。それが俺の【防壁】を貫けないことも承知だ」


 呪詛の言葉を叫び続けながら発砲をやめない犯人に、シドは一歩、また一歩と近寄っていく。両者の距離は二メートル程度。


「無詠唱で弾丸の撃ち分けができるのはなかなかだが、所詮はただの薄汚ねぇチンピラか。警察に喧嘩をふっかけるくらいだ、どんな魔法を使うか期待してみりゃこれだぜ」


 これ以上逆上させるのはいかがなものかと思います、とヒヤヒヤしている少女を後目に、シドはずんずん前に進み、犯人を挑発し続ける。


「距離の問題じゃないって気づくのに、何発の弾丸を無駄にするんだ? 魔法使いならもっと頭を使え、バカ」


 犯人は拳銃にさらに強大な魔力を込め始める。

 立ち上る暗緑色の魔力光を見て、ローズマリーはようやく、犯人が魔法によって弾丸の威力を上げている確信を得た。

 だが、魔力の行く先はどこなのか?

 拳銃から弾が放たれる機構メカニズムをよく理解していないローズマリーは、そこから先に思考が広げられない。


「へえ、まだ威力を上げてくるか。面白い、やってみろよ。俺の【防壁】を貫けたら褒めてやるよ」


 これ以上の威力の弾丸を呼び込まれるのは勘弁願いたい、とばかりに苦い顔をするローズマリーだが、シドはもはや彼女に気を使っている様子がない。クロが肩の上で鳴いていなければ、ローズマリーはシドに掴みかかってでも止めに入っていただろう。


「お望み通り、そのドタマふっ飛ばしてやらぁ!」


 ありったけの魔力を込め、犯人が引き金を引く。

 今までのものとは比べ物にならない、大音量の発射音が薄暗い空間にこだまし、ローズマリーは思わず顔を覆った。

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