2.3 後はセンセイたちにおまかせだ
車を降りた途端にに立ち込める埃っぽい空気と、それに混じった生臭い血の臭い。
普段はまず嗅ぐことのない、肺を
「気分が悪いなら無理しなくていいぜ?」
「大丈夫です。これくらい我慢できないと魔導士とはいえませんしね」
「俺は血が苦手だから、できれば遠慮したいところだけどな」
日常とは違う現場の空気に緊張感をみなぎらせる少女と、車を降りてほっとした様子の黒猫を引き連れたシドは、アンディの後について行く。
彼らを出迎えてくれたのはアンディの部下の一人・トビアス。雲を衝くような大男だが、警官にしては人が良さそうな顔をしており、住民から悪口を言われることもなさそうな、気が優しくて力持ちという言葉がよく似合う好漢である。
「お疲れ様です、警部、ムナカタ先生!」
でかいのは図体だけではないようで、大男が一言喋る度に、クロとローズマリーが面白いくらいにびくっと震える。話すときもその大きな体をぶん回し、身振り手振りを交えるものだから、頭を引っ込めて話を聞かなければならない有様だ。
「センセイを迎えに行ってる間に、随分散らかされたもんだね? 奴さん、またぶっ放しやがったのかい?」
「続けざまに六発を三セット、こっちは二人やられました! 一人は肋骨を折られて、もう一人は防弾ヘルメットを真っ二つに割られています!」
台車に載せられてきたのはグシャグシャのボディアーマーに、真ん中から真っ二つに割れたヘルメット、ひしゃげた上に穴が空いて使い物にならなくなったジュラルミン製の防盾と、立てこもり犯の武器の威力を物語るのにはこれ以上ない証拠物件だ。それらを見た少女の顔はいつもよりも青ざめている。
「獲物は拳銃で間違いないんでしょうね?」
「それは複数人で確認してます! 改造拳銃なのか魔法なのかはわかりませんが、ひどい威力であります! 周りを見ていただきたい!」
トビアスの腹を震わせる大音声を受け、シドとローズマリーはそろってキョロキョロとあたりを見渡す。
拳銃一丁と撃ち合いを繰り広げたにしては、被害が尋常ではない。警察の防御装備が受けた損傷もさることながら、レンガ造りの建物に空いた大穴、深くえぐれた石畳などは、とても拳銃によるものとは思えない。
「相手の獲物の威力はよくわかった。ま、せいぜいうまくいくよう祈るこったね」
「どうにかなりそうかい、センセイ?」
「俺たちが達成すべき目標によって、うまくいくかどうかは変わってくるけどな」
その一言に何か気づいた様子のローズマリーを横目で見ながら、シドは話を続ける。
「犯人をいかに制圧するかも重要だが、それが依頼人の目的に合致してなきゃ何の意味もない。で、アンディ。今回の目的は?」
「犯人の逮捕。状況次第だけど、可能な限り生きたままだってさ。あの拳銃が改造品か魔法絡みかはともかく、野放しにはできない。流通ルートも解明したいし、それにはあいつを取り調べなきゃいけないからね」
「事と次第によっちゃ、ブッ飛ばしてもかまわないわけだな?」
両手の指先まできっちり巻かれた包帯、その上にハーフフィンガーグローブをはめながら尋ねるシドに、アンディは困った様子で答える。
「原則生け捕りで頼む。それに、初めての現場でいきなり武力制圧じゃ、お嬢ちゃんの教育にもよくないだろう?」
「わ、私は大丈夫です、お気になさらず」
いよいよ犯人と対峙する段になって緊張が隠しきれなくなってきているようで、少女のクールな表情は明らかに強張ったものになっている。
「
「相手の魔法がわからないのに、出ても大丈夫なんですか、先生?」
「向こうの手の内がわからなくても、使う魔法の作用さえわかってりゃ、当座の対策は立てられる。心配すんな」
一方、シドの肩の力は相変わらず抜けきっている。それもローズマリーの不安を余計に煽り立てているようだ。
「目的を果たしてくれるなら、後はセンセイたちにおまかせだ」
「ん、じゃ、ちょっと行ってくる。ついて来い、CC」
携帯無線機を身に着け、
「先生、どこから突入する気なんですか?」
「決まってんだろ、正面だ。屋根裏とかから侵入してる余裕もなさそうだしな」
先程まで借りてきた猫のようにおとなしくしていたクロも、シドに同意するように一声鳴く。だが、経験の浅いローズマリーは一言言わずにはいられない。
「正面って、警察が受けた被害をご覧になったでしょう? それに周りを見てくださいな!」
割れた窓ガラスに、ひっくり返って煙を噴き上げた乗用車。
現場の銀行に近づくほどに濃さを増す、埃っぽさと血の臭い。
近隣住民が避難してがらんどうになった、エアポケットのような街の一角。
知らず知らずのうちに弱まっていたローズマリーの歩調に気づき、シドは一旦足を止めて振り返った。
「正面突破なんて無謀だ、って言いたそうな顔だな」
図星を突かれたのか、ローズマリーは何も言い返せない。
「引き返すなら今だぜ? この一線を越えちまったら、もう二度と『普通の魔導士』に戻れなくなるかもしれないぞ?」
「……戻ってたまるもんですか!」
白手袋をしまい込み、ハーフフィンガーグローブをはめた拳を強く握りしめた少女は、唇を固く結び、再び一歩を踏み出してシドを追う。
「恐怖や緊張ってのはあって当然の感情だ。俺も緊張はしてんだよ、顔に出ないだけでな。それを飼いならす手段の一つが、場数をこなすことだ。現場を経験して、自分の考えと感覚を洗練させていく。自分の気持ちをコントロールする術を身につける」
シドの背中を見ながら、ローズマリーは心の暗い部分を振り払うかのように大きく頷いた。
「俺も魔導士の端くれだ。こっちの魔法は
「でも先生」
ローズマリーの言葉を遮る、クロの穏やかな鳴き声。
よっぽど心配しているのか、それとも信頼されてないのかと、シドはつい苦笑してしまう。
「まずは俺のやり方を見とけ。無為に現場をこなすな、一つでもいいから、そこから何か学び取れ。それが今日の君の仕事だ」
「……攻撃とか、囮とか、必要だったら言ってくださいね」
ローズマリーのわずかなためらい。それはたくさんの文句やお小言をぐっと飲み込んだ証でもある。
「必要なときは合図する。くれぐれも勝手に俺の後ろから出てくれるなよ」
シドは一旦足を止めると、大きく息を吸い込み、詠唱を始める。
「右手に銃を……
両手から放出される、可視光外の波長の魔力。
「左手に花束を……
外界に解き放たれた魔力は、シドの前方に徐々に収束してゆく。
「その唇に誓いの詩を……
高密度に圧縮された魔力越しの風景が、徐々に歪む。
「去りゆく者に餞を……【圧縮】
物理現象――光の屈折を経て初めて、防壁の全貌が明らかになる。
たっぷり一分弱かけて形成されたのは、シドの前方五十センチに展開された薄い魔力の壁だ。叩けば割れてしまいそうな見かけだが、高密度に圧縮された魔力でできたその壁がいかに強固か、ローズマリーは身を持って知っている。
前と何よりも違うのはそのサイズ。二人と一匹を銃弾から守るには十分大きい。
「……前に見せてくださったのは実力の片鱗、というわけですね」
「徹甲弾や炸裂弾相手に、自分を含めて複数人を守るとなれば、それなりにでかい【防壁】じゃないと対応できないからな。そのぶん、具現化には時間がかかるけどね。
さあ、本番はここからだ。ならず者退治といきましょうか、お嬢さん方?」
「はい、先生。お供いたします」
ローズマリーはいつものようにきれいなお辞儀で、クロは元気に一声鳴いて、それぞれ応える。
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