2.2 僕はあれ、どうかと思うんだよね

 アンディが万屋ムナカタ一行を迎えに来たのは、電話を切ってから十分ほど後のことだった。どことなく緊張しているようにも見えるローズマリーと、自分も連れて行けと自己主張するクロを後部座席に押し込むと、シドも慣れた様子で助手席に乗り込む。

 クロが飛び込んできても特に何も言わなかったアンディも、メイド姿のローズマリーを見たときはさすがにぎょっとした表情を浮かべた。その場は特に何も指摘せずに車を走らせたアンディが、道中の合間合間にシドに向けてくるのはかわいそうな物を見る目つきだ。こりゃ絶対なんか誤解してるな、と察知するシドだが、わざわざ自分から藪をつついて蛇を起こす必要はあるまい。

 警察車両は振動が大きく、お世辞にも良い乗り心地ではない。意気揚々と乗り込んだクロだったが、どうも車酔いしたようで、ローズマリーの膝で丸くなったまま、いつもの元気がない。


「クロちゃん、大丈夫でしょうか……?」

「張り切って車に乗るのはいいけど、大体こうなるんだ。猫のくせに三半規管が弱いのかな?」


 あれだけのバランス感覚を持っているのに車酔いとは不思議、とでも言いたそうに、ローズマリーは首を傾げる。


「で、状況はどうなんだよ、アンディ」

「電話でも言ったろう、銀行に拳銃を持った男が立てこもっていてね。そいつを逮捕するのが今回のお願いさ」

「立てこもり犯くらい警察だけでなんとかならねーのか?」

「それができればとっくにやってるよ」


 シドはぼんやりと車窓を眺めている。出発の時に垣間見せた真剣さはどこへやら、いつもどおりの気の抜けた表情だ。


「CCはどうだい、センセイのところの仕事には慣れたか?」

「入庁するやいなや、人のところに出向させて馴れたもなにもねーだろう……」

「私は問題ありません」

「それじゃまるでセンセイに問題があるような言い草だな」


 ええ、と小さく頷いた直後、元栓の壊れた水道もかくやとばかりに、ローズマリーの口からお小言の本流がほとばしる。


「夜は遅いし資料を広げたまま寝るし朝はいつまでたっても起きないしほっとくと野菜を残すし時々電気をつけっぱなしだし行き先を言わないで出かけるし」

「俺の恥ずかしいところを掘り下げるのはやめてくれねーかな……」


 バックミラーの向こう側でシドがいかにだらしないかを滔々と語り続けるローズマリー、それを聞いていかにも楽しそうに笑うアンディをみて、シドは苦い顔をする。


「まあ、これでも魔導士としては優秀なんだ」

「そうでなくては困ります、私の先生なんですから」


 あまりプレッシャーをかけてくれるな、と目線を送るが、ミラーの中の少女は相変わらずの涼し気な表情だ。


「それはそうとセンセイ、僕はあれ、どうかと思うんだよね」

「あれって?」

「メイド服」


 右手親指でローズマリーを差しながらアンディが答える。


「俺も反論はしたんだが、本人の強い意向で認めざるを得なくなってな」

「見た目によらず機能的なんですよ。それに、万屋ムナカタに制服の規定もありませんし」

「まあ、よほど過激な格好じゃない限り口は出さないけどさ。ヤバい橋を渡るのは程々にしといてくれよ、センセイ? 知り合いを逮捕するなんてことになったらさすがの僕も悲しいぜ?」

「せいぜい気をつけるよ」


 逆に目立つのではないかという懸念はあるが、それを下手に口にしてハラスメント扱いされるのも本意ではないから、シドもアンディも黙っている。もっとも、アンディから見れば出向先での話だから、ほっといたほうが面白い、というのも多分に含まれているのかもしれない。現に彼の顔には神妙さが足りない。


「それは置いとくとして……今日CCを連れてきたのは現場の空気を知ってもらうためなんだが、初回だから、まずは見る方に回ってもらうことにする。いいな?」

「え、実戦は?」


 後部座席で行儀よく座っていた少女はにわかに顔色を変えるが、師匠はピシャリと言い放つ。


「初任務でいきなり凶悪犯を捕まえろとは言えねーよ。まずは俺の仕事ぶりを見とけ」


 やっと任務に連れてきてもらえたと思ったらこれですか、とローズマリーはいささか不満げだ。その様子をすかさず察知して、アンディがなだめる。


「センセイにはセンセイなりの考えがあるのさ」

「そういうこと。ただ、俺は攻撃に長けてないからな。いざ攻めに転じるとなったら、君の手伝いが必要だ。【加速】だけはいつでも使えるように準備しといてくれ」


 ローズマリーが渋々ながらも頷いたのをちらりと見たシドは、アンディに事件の詳細を話すよう催促した。


「単に拳銃を持った男一人が相手なら、センセイの力を借りるまでもない。特殊作戦群に緊急招集をかけて、一気にケリをつけさせてそれまでだ」

「そうしない理由は何だよ?」


 いつの間にか手帳を広げているシドに気づいた少女は慌ててそれに倣う。クロが占拠しているから、いつものように膝を机代わりに、とはいかないが。


「ヤツが持ってる拳銃、ガワは俺達の制式拳銃ベレッタと一緒なんだが、防壁をふっ飛ばしたりヘルメットを割ったりするシロモノでね。徹甲弾と炸裂弾、二つの弾頭を用意してるんだろうが、威力が厄介で接近が容易じゃない。そういうわけでセンセイの……」


 はいそこまで、とシドに遮られたアンディは怪訝そうな顔をする。詳しく話をきかせろと言っておきながら自分勝手にも程がある行動だが、彼には彼なりの理由があるのだ。


「この娘に考える時間を与えないとな。そうじゃないと連れてきた意味がねーだろ?」

「警察の事件を新人教育の場に使うとは、まったく大したタマだよアンタは」


 頼んだのは警察そっちじゃねーか、と悪態をついたシドの視線と、ローズマリーの涼し気な眼差しが、バックミラー越しに自然と重なる。


「CC、こういう任務に挑む前に必要なのは何だと思う?」

「……事前の準備、でしょうか」


 「優等生らしい答えだね」と微笑うアンディと、「そうかも知れねーけど、もっと具体的なモンがあるだろ」と苦笑いするシドを見て、ローズマリーは微妙に眉を寄せた。


「ま、ミもフタもない話をするなら、この手の問答に答えはないんだよ。俺みたいなフリーの何でも屋も、アンディみたいな優秀な警察官も、それぞれ経験則を持ってる。俺たちと君の差はそこにある」


 君は力不足だ、と言われているような気でもしているのだろう。ローズマリーの表情に、薄く悔しさが滲む。だが、経験を積まなければ身につかないものがあるというのは、紛れもない事実だ。


「そんな顔しなさんな、誰だって最初は初心者だ。これからちゃんと勉強していけばいいだけの話、そのために現場に連れてきたんだから」

「では、シド先生は任務にあたって、まず何が必要と考えますか?」

「情報を正しく把握することだ」


 シドの教えの要点を、ローズマリーは手帳に書き取ってゆく。


「どんなに場慣れした魔導士でも、判断を誤っちまえばそのへんのガキ相手に命を取られかねない。じゃあ、正しい判断の拠り所になるのは何かっていったら、正しい情報しかねーんだよ」


 ローズマリーの膝の上の毛玉は、猫のくせに狸寝入りと決め込んでいるらしい。目は閉じたままだが、耳だけはせわしなく動いている。


「依頼人がみんな、こいつアンディみたいに協力的でおしゃべりなら楽なんだが、コトの詳細を秘密にしたがるヤツも結構いるもんでな。そう言う連中はだいたい後ろ暗いモンを背負ってるのが相場だ」

「僕も言っていいことと悪いことの区別はちゃんとつけてるんだけど」


 警部という立場ながら、かなり突っ込んだ情報を教えてくれるアンディの存在は大変貴重である。本人が調子に乗るのでめったに感謝の言葉を告げることはないが。


「そういうわけでアンディ、彼女の質問に答えてやってくれ」

「え、私が訊くんですか?」

「なんでも実践しなきゃ身につかないだろ? 多少的はずれなことを聞いても気にすんな。足りないところはちゃんと俺がフォローするよ」


 数日間ローズマリーと暮らしてみて、シドは少しづつ彼女の性格を把握しつつあった。

 クールに振る舞っている彼女だが、心根には負けず嫌いで情熱的な一面もあるらしく、よく観察していれば表情が細かく変わるのがわかる。

そもそも、心になにがしか熱のない人間は、復讐なんて動機で魔導士資格を取ることも、警察に入庁することもないだろう。


「うーん……犯人の人数は?」

「一人だけだ。仲間を逃して、一人で銀行の建屋に残ってる」

「携行してる武装は拳銃一丁ですね?」

「確認した限りはね。弾頭は二種類、魔法を使ってるのか改造拳銃を使ってるのかは不明。着いたら現場を見てくれ。拳銃一丁の被害とは思えないぞ、あれ」

「立てこもってるってことは、人質がいるってことですか?」

「いるというよりは、いた、ってのが正確だな。交戦した警官が遺体と思われる人影を確認している」

「また新聞記者ブンシャ共が騒ぎそうだな」


 シドはこまめにバックミラーに視線を向けている。

 映るのは行儀よく座っている少女。表情は一見冷静だが、瞳の奥の動揺を完全には隠せていない。


「それでいいんだよ、CC」


 シドにしては珍しい、優しい口調。ぶっきらぼうで人の気持ちなんてろくすっぽ考えていないことのほうが多い彼だが、それでもローズマリーをなんとか落ち着かせようと試行錯誤しているのだ。


「人の死や痛みを想像して動揺する、その気持ちを忘れるな。こういう仕事を続けて、死や痛みに対して不感症になる魔導士は少なくない。そうなっちまったら終わりだ」

「それは、魔導士として、という意味ですか?」

「人として、だよ」


 そう答えるシドは、どこか遠い思い出に浸っているような顔をしていた。とはいっても、ただ窓の外を眺めてぼんやりしているわけではない。時折ローズマリーの様子を観察し、目の前の事件をどうやって彼女の経験に変えていくか考えている。

 地頭は良いのだから、多くの経験を積み、発想の展開と転換ができるようになれば、魔導士としてもそこそこのレベルには行けるはず。ただ、それは眼の前の仕事を穏便に終わらせることが大前提。二人揃って無事に帰ってこれなければ、全く意味をなさない。

 そんなことを考えていた矢先に、警察車両が現場に到着する。


「ぼちぼち目的地だ。お客さん、準備しておくれよ」


 アンディの口調は砕けていても、その表情は真剣そのもの。クロを除く万屋の面々の背筋にも、自然と力が入ろうというものだ。

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