第2章 猫とメイドと最初の事件
2.1 実戦経験を積みたいのですよ
ローズマリー・クリーデンス・クリアウォーターの朝は早い。
幼い頃の孤児院暮らしと、
シドのねぼすけぶりも堂に入ったもので、一度や二度揺さぶったくらいでは当然起きない。さてどうしたものかと思案したローズマリーが行き着いた答えが、彼の飼い猫・クロをけしかけること。いつまでたっても目を覚ます気配のない師匠に対して、王子様のキス代わりにクロの爪と牙を食らわせるまでが、もはやお決まりの光景に一連の流れになりつつある。
「人の使い魔をけしかけて起こすことはねーだろうに……」
なんてポロリとこぼそうものなら、
「元軍属だというのに、何をどうすればそこまで生活が不規則になるんですか? そもそも、ご自身の寝室があるのにどうして客間で寝てらっしゃるんです? あと、お仕事は書斎でお願いします。客間を毎朝片付ける身にもなってくださいな。では、朝食は冷めないうちに召し上がってくださいね、片付きませんので」
と、猛烈な反撃をあっさり喰う始末。シドの生傷だけでなく、ローズマリーの小言も日ごとに積み重なる一方だ。
当のシドにも自分がだらしないという自覚はあるので、少女の可憐な口元からとめどなく放たれる文句には為す術がない。おまけにクロが時おり毒舌に相槌を打つように鳴くのだ。一体誰が万屋の主人なのか、だんだん曖昧になりつつある。
尊敬されるガラじゃないとわかってはいるシドだが、大人としての尊敬が今ひとつ得られていない現状はいかがなものか、とぼんやり考えることもある。そういうときに限ってローズマリーのお説教の真っ最中なので、「聞いてらっしゃるんですか先生!」とどやされる始末だ。
とはいえ、家事を引き受けてくれたのはシドも素直に感謝している。実際に一人暮らしをしてみると、男一人というのは想像以上に気がまわらないことも多いのだ。家事をやってくれるなら、と彼女のメイド服着用を認めてしまったシドだが、これは後々、ちょっとした後悔の種となる。
「ムナカタの坊主が若い娘をさらってきた」
だの
「万屋の若旦那がメイドの娘を手籠めにしている」
だのとあらぬ噂を立てられたのにはさすがのシドも閉口するしかない。最も、それをどこからか伝え聞いたローズマリーは
「シド先生の普段の行いの問題では?」
と例の如く毒舌で返したうえ、「メイド服を着ているのだから、メイドらしい仕事をするのは当然です」と主張する始末。もっとも、仕事はきちんとこなしてくれるので、シドとしては文句も不満も言うことができずじまいだ。
警察から万屋ムナカタへ出向して以降、何かにつけてシドへお小言をぶつけているローズマリーだが、もう一人の同居人・クロとはあっという間に旧知の仲のように馴染んだようだ。女同士気が合うのか、クロはよくローズマリーの後をついて行き、時には彼女のグチの聞き手となり、時に膝の上を占拠する黒い毛玉と化す。クロの相手をしているときばかりは、ローズマリーも年相応の表情を垣間見せる。
大なり小なりゴタゴタはあるけれど、クロと仲良くやっている様子の少女を見れば、万屋ムナカタの主人としてもとりあえずは胸をなでおろせるというものである。
「それにしても先生、毎日事務仕事ばかりではさすがに……」
ある朝のこと。
シドに食後のコーヒーを準備しながら、ローズマリーが不満を口にした。
「家事や事務仕事をするのはいいんです。ただ、さすがにそろそろ現場に出て、実戦経験を積みたいのですよ」
小言の多いローズマリーだが、仕事にはきちんと取り組んでくれるのはとてもありがたい。単調な事務仕事も「どこへ言っても必要になるから」と言い聞かせたら素直に取り組んでくれたし、シドの指示もちゃんと理解して淡々と仕事をこなしてくれる。
だが、いい加減、魔導士として現場に出たくてうずうずしているようだ。クールな表情の裏にやる気が見え隠れしている。
そんな彼女とは対称的に、シドは相変わらずどこか気の抜けた表情だ。
「そんなにポンポン事件が舞い込んできたら身が持たねーよ。そもそも俺たちみたいな連中が暇ってことは世の中が平和ってことだ」
屁理屈を並べ立てるシドを見て、ローズマリーは不満げに唇を尖らせる。こうしている限りは年相応の子供だ。もっとも、また変に小言を飛ばされても敵わないので、シドは何も言わない。
「一刻も早く力をつけなきゃいけないんです……。ここで役に立つためにも、私自身の目標のためにも」
それが健全な目標だったら素直に応援できるけどな、とシドは曖昧に
「どんな魔導士でも現場を経験しなきゃ一人前にはなれないのはそのとおりだし、俺としても、君をなるべく早く戦力にしたいとは思ってるんだよ。なにせ、俺たちや君が相手取るのは武装した凶悪犯やら魔導士――要は面倒な相手だからな」
だったらなぜ、と食い下がるローズマリーを制して、シドは話を続ける。
「事件の現場に現れて颯爽と事件解決、なんてのはそれこそ物語の中だけのお話でね。特に荒事に関しては俺たちからクチバシを突っ込むわけにはいかないんだよ。それこそ公的機関のお墨付きがないと、後々面倒になるからね」
「……警察の依頼がないと動けない、ってことですか?」
「そういうこと。公的機関が雇い入れられる魔導士の数が法律で決まってるのは、君のほうがずっとよく知ってるだろ?」
ローズマリーは小さく頷く。
互いのパワーバランスを保つため、魔導士の保有人数を制限している各公的機関だが、彼らはいつだって人手不足、非常時の予備戦力に事欠いている有様だ。そんな時に彼らが頼るのがシドのようなフリーの魔導士、というわけである。
「公的機関以外からの私的な依頼は受けないのですか?」
「あー、うん。警備とかは頼まれることがあるかな?」
歯切れの若干悪いシド、何か隠していると疑ったローズマリーは続けて畳み掛けた。
「例えばどんな方から依頼が来るんですか?」
「言ったらたぶん、怒るぜ、君」
「先生の人間性の評価でしたら、もともと高いものではありません。相当の事案でない限り下がりませんから安心してください」
可愛らしい唇から放たれる刺々しい言葉の数々を聞かされては安心もへったくれもないが、このまま隠しておいてもどうせロクなことはない。そう判断したシドはちゃんと説明することにした。
「きな臭いって評判のところからは一通り依頼が来た、かな? バレれば監獄一直線の案件も結構あったけど……」
一見するといつもと同じ、クールなローズマリーの表情。
だが、その眼差しは普段とは比べ物にならないほど鋭く、見据えられると体温が数度下がる気がする。
「先生、報酬が重要というのはわかります。何をするにも日々の生活の
立ち上がり、腰に手を当てて
「まさかギャングスタに手を貸す方とは思っていませんでした」
「貸してねーよ! 早とちりもいいところだ!」
慌てて弁明するシドだが、ローズマリーの目に浮かぶのは不信感だ。
「依頼は来ただけだ、受けちゃいない。いくら俺でもリスクとリターンを天秤にかけて判断するアタマはある」
「では、そういうところから依頼が来た時はどうしていたんですか? 報復とか口封じに来るってこともあり得るでしょう?」
そういう時は……とシドが言いかけた矢先、事務所の電話が話を遮る。
ローズマリーから受話器を受け取ったシドは、しばらく神妙な顔で応対すると大きくため息を付いた。
「CC、続きは後回しだ。お待ちかねの仕事だぜ。アンディが迎えに来るから、君も準備してくれ」
「一体何が?」
「拳銃を持った男が立てこもりだとさ」
「拳銃? 魔法使いが相手ではないのですか?」
「あいつらも、俺達の力が必要と判断したからここに連絡を寄越したんだろ? だったら相手がどんなやつでも関係ない。事故や怪我なくお仕事を終えて、報酬をもらって帰るだけだ」
ジャケットを羽織るその口調は相変わらずのやる気が感じられないが、表情だけはうって変わって真剣だ。シドの意図を
「いい機会だ、ついてこいCC。万屋ムナカタのやり方を見せてやる」
高揚感をその目に湛え、ローズマリーはメイド服のロングスカートを小さく摘んで一礼する。
「はい、先生。お供いたします」
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