1.5 最後に決めるのは君だよ、坊や

 世間の人々が既に眠りについている時間だというのに、シドは客間で資料と手帳を広げていた。

 手帳には雑多な数字と文字の羅列が並び、傍らには計算に使った電卓が転がっている。

 ひとしきりケリを付けたのか、シドはソファの背もたれに寄りかかって天井を見上げた。


 あまりにも色んな情報が転がりこみ過ぎだ、とため息混じりにひとりごちる。


 クリーデンス夫妻の娘を名乗る、あの銀髪の少女。

 彼女を本物のローズマリーと思えなかったのは、ロクな物証がないという事実もさることながら、自身の記憶の中で笑顔を浮かべた少女マリエと、復讐に取り憑かれた瞳の少女ローズマリーのギャップが大きく、二人をどうしても結び付けられずにいたことも一因だ。

 とはいえ、警察アンディが提示した報酬は、彼女がホンモノの「ローズマリー・クリーデンス・クリアウォーター」である保証がないという問題を帳消しにするくらいには魅力的。

 先程まで予想される経費を一通り洗い出していたが、取らぬ狸のなんとやらで終わらないくらいの黒字は見込めるのだ。

 契約をまとめるのに必要な確認事項と要望を手帳に書き連ねていた、そのときである。


「やあ」


 彼以外だれもいないはずの客間に声が響いた。

 声の主は穏やかに呼びかけたつもりだろうが、静寂によく響くその声はシドを飛び上がらせるには十分に過ぎた。

 その様子を見たはクスクスと忍び笑いを漏らす。


「相変わらず心臓に悪い登場の仕方しやがって」


 笑みを浮かべたまま、影から足音もなく姿を見せたのは、金色の瞳を持つ

 昼間はローズマリーに可愛がられ、シド達が養成機関アカデミーに行くと聞けばワガママを言って連れてきてもらい、シドとローズマリーのやり取りの一部始終をウルスラの腕の中で眺めていた、あの黒猫クロである。


「いや、実にいい反応だよ、シド君。脅かしがいがあるっていうもんだ」

「主人を驚かすのが生きがいって使い魔はどうかと思うぜ?」

「何を言ってるんだい、主人に悪戯をするのが使い魔の甲斐性ってもんだよ」


 音もなくシドに近づいて驚かすのが趣味、口を開けば皮肉ばかり、おまけに猫らしい気まぐれさを兼ね備えた悪癖の塊である彼女だが、使い魔としての実力は確かだ。


「いや、でも昼間はさすがのボクも参ったよ、シド君。喋っちゃいけないって言われたら喋りたくなるのが世の常じゃないか」

「バカ言ってんじゃねーよ、事情を知らない人間の前では黙ってるってのが鉄則じゃねーか……。こっちからわざわざ素性を晒して回る必要なんてないだろ」


 そりゃそうかも知れないけどね、とクロはため息をつく。

 中性的な言葉遣いではあるが、彼女は間違いなく女性であり、好きにおしゃべりできないという状況はあまり好みではないらしい。

 そのため、夜になるとシドのところにやってきて好き勝手に喋ることもしばしばだ。

 クロは軽々とテーブルに飛び乗ると、シドが広げた資料を覗き込む。


「ずいぶん楽しそうじゃないか?」

「そう見えるならあんたの目もいよいよ節穴だぜ」


 やれやれ、と肩をすくめたシドは、真面目な表情で話を切り出した。


「ちょっと仕事を手伝ってほしいんだけどさ」

「昼間言ってた、あのお嬢ちゃんを護衛するって話かい?」


 猫らしく、昼間はのらりくらりと過ごしたり、陽のあたる場所でうとうとと惰眠を貪っているようにも見える彼女だが、案外話をちゃんと聞いている。

 同じ説明を何度もしなくていいのは、シドにしてみれば大変ありがたい。


「エプサノの生き残りで、ナントカ大臣の娘って言ってたっけ?」

「確証はまだないけどな。ただ、俺に護衛を受け入れさせるためだけにあそこまでの嘘をつく理由はないってのも道理だし。それに」


 二つ目までまったく同じ文言の、二人の魔法詠唱。

 魔導士のシドからすれば、これこそ彼女がエプサノの関係者で、内務大臣の娘だという証左にも思えるのだ。二人が出会っていなければ、詠唱の文句が一言一句揃うことなんてありえない。

 しかし、彼女が仮にマリエ――ローズマリー・クリーデンス・クリアウォーターならば、あの惨劇の現場からどうやって逃げ延びたのだろうか? 

 顎に手を当てて考え込むシドを見て、クロはため息をつく。


「ま、あの娘が本当にエプサノの生き残りかどうか、真偽はひとまず置いといてもいいんじゃない? まずは目の前の仕事を受けるかどうか考えようじゃないか」


 彼女の提案により、二人はわからない問題を一旦棚上げしておくことにした。


「警察の依頼を受けるかどうか、最後に決めるのは君だよ、坊や。ただ、あの娘への同情とか、事件の責任を感じて受け入れるんなら、ボクは反対だ」

「何を余計な心配をしてやがる」


 猫らしくないクロの忠告をシドは一笑に付す。


「いつだって、俺が仕事を請け負う理由は一つ。それに見あった報酬が得られるかどうか、それだけだ。警察が出してきた条件を見て、かかる経費を試算して、交渉で落とし所が見つかったなら、契約成立だ」

「それならまあ、いいけどねえ。あとは厄介事に巻き込まれなきゃいうことなし、ってわけだけど」


 彼女には珍しい、やや心配げな口調だが、シドは特に気に留めなかった。


「それよりも、クロスケから見て、あの娘の将来性はどうだ?」


 クロは行儀よく座り、首を少々傾けて考え込む。


「まあ、速いことは速いよねぇ。坊やが危うく防御を抜かれそうになるくらいだ」

「あれは一応、意図した上での行動だったけどね」


 そういうことにしとこうか、と微笑うクロを見て、表情を渋くするシドだがそれ以上のことは言わない。


「ただ、それを活かしきれてるかって言ったらそうでもないところだけど」

「やっぱり【魔力放出】を使えたほうがいいかな、って思うんだけどさ」


 その意見を聞いたクロは、小馬鹿にしたようにニヤリと笑う。

 もし彼女が人間だったら「ちっちっちっ」と指を振ってみせたことだろう。


「べつに魔法にこだわる必要なんてないじゃないか」

「……武器格闘を教えろってことか? それこそ俺の手には負えないぜ」

「経費はある程度警察で持ってくれるんだろ? それに坊やには万屋ココの仕事があるんだ、全部を無理に背負い込む必要なんてないはずだよ」


 そうかもしれないけどな、と小さく答えたシドは、先程計算した表を見直し始めた。


「格闘戦技の教習を外注して、俺は魔法を教える方に集中する、か。現場の仕事には彼女を連れて行って実地訓練させる」

「ある程度の事務仕事は、彼女に投げてもいいんじゃない? 警察でも似たようなことはするんだろうしね」


 クロの話を聞きながら、シドは下手な字で書き散らしたメモに赤を入れてゆく。

 できることしかしない、できないことは誰かに頼む――。それなら、もっと選択肢を広げられる。


「そもそもシド君、魔法を教えた経験なんてあったっけ?」

「こちとらガキの頃から魔法使いだ、それくらいどうにかしてみせる」

「魔法を使うのと教えるってのはだいぶ違う話だと思うけど、本当に大丈夫かなぁ?」


 クロは飼い主の顔を覗きこむが、彼女の暗い表情は長くは続かない。

 なんだかんだいいながら、彼女も根っこは猫らしく楽天的なのだ。


「ま、これもいい経験だ。人の上に立たなきゃ見えない景色もあるからね。せいぜい頑張れ」


 簡単に行ってくれやがる、と苦笑いしたシドは、すっかりぬるくなった紅茶を口に運ぶ。


「しかし、こんな場末の何でも屋を選ぶとは、警察も随分物好きだね」

「相棒にたいしてずいぶんひどい物言いをしてくれるじゃねーか」

「契約が正式に決まったら、あの娘、ここで仕事するんだろ? お願いだから仲良くやっておくれよ、ギスギスした関係に巻き込まれるのはまっぴらだ。今日みたいなラッキースケベ、死んでも起こしちゃいけないぜ?」


 ローズマリーの下着姿を見てしまった一件は大いに反省しなければならない。

 女性がいる職場となると相応に気を使う必要がある。やれハラスメントだの何だのとセンシティブな昨今、女性を部下に持った時のハウツー本でも借りて勉強した方がいいのかなぁと本気で悩む、根は真面目なシドである。


「他人事みたいに言うけど、それは君も一緒だぜ? クロスケこそあの娘とちゃんと仲良くやっていけるのか?」


 ボクだったら大丈夫さ、と黒猫が自信たっぷりに胸を張る。


「相手がよほどの猫嫌いとか猫アレルギーならしょうがないけど、そうでなけりゃ上手くやっていける自信はあるんだ。彼女の撫で方、ありゃ素人じゃなさそうだからね。ボクの方は心配しなくてもいいぜ」

「そいつはようござんした」


 シドの気のない返事を聞いて、クロはテーブルから飛び降り、玄関へ続く扉を目指して歩き出す。


「ま、せいぜい悩むことだね。またなにかあったら相談しておくれよ」


 よろしく頼むぜ、と声をかけようとしてシドが振り返ったときには、既に彼女の姿は闇に溶け、事務所の客間はもとの静けさを取り戻していた。

 自分勝手にやってきて、言いたいことをひとしきり言って、挨拶なしに帰ってゆく。

 猫そのものの、自由気ままな相棒の振る舞いに苦笑したシドは、再びソファに行儀悪く座り込み、資料に目を通し始めた。

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