1.4 とりあえず! 表に! 出て!

 ローズマリーがエプサノの生き残りで、クリーデンス前内務大臣の娘。

 共存派からも過激派からも彼女を守り、かつ魔導士として成長を促さねばならない。

 護るだけならなんとかなる。教えるだけなら未経験だがまだマシだ。

 

 それをいっぺんにこなすとなると、一気に難題に変わる。


 自分と縁もゆかりもない相手のほうが、上手く割り切れたかもしれない。

 なまじ知っている相手、しかもつい数時間前まで死んでいるものと思っていた人間だけに、シドの内心は複雑だ。

 先をゆく黒猫の軽やかな足取りとは対称的に、彼のため息は実に重い。

 

 だが――別れ際にアンディが提示した報酬の予定額は、たしかに魅力的なものだった。

 

 必要経費の追加は別途相談ときている。

 受ける受けないは一両日に決定するとして、今夜中にどれくらい費用がかかるか、大雑把な見積もりくらいは出しておく必要があるだろう。


 ひさしぶりに赴く、養成機関の医務室。

 シドも訓練生だった頃は生傷が絶えず、始終ここにお世話になっていたから、勝手はよくわかっている。

 彼が入ってきたのとほぼ同時に、間仕切りのカーテンの向こうから、馴染みの保健医――フレデリカ・サイモンが顔を出した。


「ご無沙汰してます、フレデリカ先生。お嬢さんの具合は?」

「どうもこうも、別に命に別状はない。それよか、そこのお姉ちゃんを落ち着かせてくれないかな? まったく、発情期のクマじゃあるまいし」


 綺麗なブロンドヘアを無造作にくしゃくしゃとかき回すフレデリカが指差す先にいるのは、心配そうにウロウロしているウルスラ。

 入って来たのがシドとわかった途端に睨みつけてくる始末だ。


「まさか、養成機関を出たての新人のお腹に、気絶するレベルの一撃を食わせるなんて」

「魔導士の世界は甘くない、って教えたつもりなんだがな」


 シドが言わなくていい一言を発する度に、ウルスラの眉は釣り上がり、それを見てクロがからかうように鳴く。

 なんとかウルスラをなだめて席に座らせたシドは、フレデリカに代わって紅茶を淹れた。

 訓練生だったころも、シドはここに来るたびに茶の準備をするよう彼女に言いつけられるのが常だった。

 悲しいかな、その当時の習慣が未だに染み付いており、ここに来ると反射的に体が動いてしまう。


「ま、しばらくほっとけば目を覚ますでしょ」


 フレデリカは椅子にどっかりと座ると、シドが淹れたばかりの紅茶に大儀そうに手を付けた。

 診断もその後の振る舞いも、ヤブ医者のそれと大差ないとあっては、ウルスラの表情が曇る一方なのも無理はない。

 一方、ローズマリーが寝込む原因をつくった本人は、無事と聞いて内心安堵していた。

 彼も元傭兵の端くれ、人の意識を奪う技も一通り習得してはいるが、普段使う機会もほとんどないので今ひとつ自信がなかったのだ。


「ムナカタ、あの娘の戦いぶりはどうだった?」

「思ったより【加速】が速かったので、正直驚きました。重複使用障害の影響が少ない相手は初めてで、少し勝手も違いましたし……。あれだけ速く動いて的確に急所を狙えるんですから、目もいいんでしょうね。

 【身体強化】も使うようですから、体の負担の心配はあまりしなくていいでしょう。自己強化系の魔法の種類を増やして、使い方も幅広く覚えれば、もっと上手く立ち回れるかと思います」


 シドは愛用の手帳から目を離さずに答える。長所は長所として把握し、それをさらに伸ばしてゆけばよい。

 ただ、それ以上に重要なのは、自分の欠点に向き合うこと。そして、それを補う立ち回りを身につけることだ。


「問題は魔力放出ができなくて、一撃の威力が足りないことです」


 魔力を纏う、という表現がある。

 体外に放出された魔力が、術者固有の色を帯びた光として視認される現象を指す。

 結局、ローズマリーからはその兆候が見られないままで、【防壁】は一度も抜かれることなく、はじめての手合わせは終わった。

 彼女のように、上背も膂力も不足がちの魔導士が徒手空拳で戦うなら、魔力放出による一撃の威力の底上げは本来、不可欠だ。


「もとより華奢な娘です。【加速】でいくら補ったとしても、相手に動きを見切られて、重い一発を喰って終了、ってなりかねませんからね」

「ならムナカタ、CCに課すべき当面の課題は何?」


 ウルスラの言葉に、シドは手帳とにらめっこしながら考え込む。

 新人らしいと言えばそうかもしれないが、ローズマリーの魔法は荒削りもいいところだ。

 全速力で突っ込んでぶっ飛ばすなんて戦法、今時少年漫画でもなかなかお目にかかれない。

 何よりも【加速】に緩急をつけさせたい。

 目のいい相手なら彼女の動きを予測してカウンターを合わせるだろうし、常時あのレベルで【加速】を仕掛けると魔力消費も心配だ。

 問題は【魔力放出】の方だろう。大抵の魔法使いは魔力の錬成・放出・変換を自然に体得するので、理論立てて教えるのが非常に難しい技術である。

 どうしたもんかね、と考え込むシドの様子を見て、フレデリカが思わず苦笑する。


「なんだかんだ言ってムナカタ、依頼を受ける気満々じゃないか?」

「冗談じゃない」


 シドは取ってつけたような苦い顔を浮かべる。

「俺ならこうする、って考えてるだけです。労力に見合う報酬が提示されなければ降りるまで、ナントカの沙汰も金次第です」


 そうかいそうかい、と言ってはいるがフレデリカの笑みは消えないままだ。


「ん……」


 間仕切りの向こうでローズマリーが体を起こした様子、どうやら意識が戻ったようだ。

 シドは椅子から立ち上がるとカーテンを開いて様子を伺う。

 直前に足元で座っていたクロが、注意をうながすように鋭い声で鳴いたのだが、彼はそれを気にする様子がなかった。


「よう、調子はどうだ……いっ!?」



 思わず素っ頓狂な声をあげたシドの目に飛び込んできたのは、下着姿のローズマリー。

 力加減を間違えてしまえば折れてしまいそうな細い肩、控えめな胸に白磁のような白い肌。

 肉感的という言葉とは無縁だが、少女の醸し出す一切の無駄がない曲線は、それはそれで蠱惑的で、目が離せない。



 そんなことをぼんやり考えていたシドだったが、ローズマリーの顔がみるみるうちに紅潮していくのを見て、自分の行動の粗忽さを呪い、クロの鳴き声の意味を悟った。

 直後、先程まで気を失っていた人間の力とは思えない勢いで枕が飛んで来る。

 少女の艶姿に思考が空白化していたせいか、シドは【防壁】を展開できずぬまま、顔面で枕を受け止めてマヌケな呻き声を上げてしまう。


「何やってるんですか!」

「わざとじゃない! 事故だ!」

「事故でも故意でも結果は一緒です!」

「ムナカタ、あなたねぇ!」

「わざとじゃねーっつってんだろ!」


 反論するシドだが、そもそも一言声をかければ防げた事故、どう贔屓目に見ても彼が有罪である。

 いくらクールなローズマリーも、下着姿を見られては平静を保てない。

 はさみやら花瓶やらを放り投げてくるが、さすがにそれを顔面に受けるわけにはいかないと、シドはすべて【防壁】で叩き落とす。


「とりあえず! 表に! 出て!」


 シドは慌ててカーテンを閉め、診察台に背を向けて座る。

 彼の視線の先にいるのは怒髪天を衝くといった面持ちのウルスラに、声を上げずに腹を抱えて笑っているフレデリカだ。

 自分にも責任の一端があるとはいえ、とんでもない目にあったシドは頬杖をついて文句を垂れる。


「フレデリカ先生、なんで上着を着せてやらないんですか!」

「苦しいかな、って思って。お姉さんの細やかな配慮」

「おかげでこっちはとんでもない目に遭いましたよ」

「いくら何でも不用意だ、ムナカタ」


 ウルスラのもっともな指摘を受けては、シドも言い返せず唸るしかない。


「ま、いいもん見れたからいいんじゃない?」

「おっさんですかあんたは」


 大人たちがくだらないやり取りをしている間に、ローズマリーがすっかり身支度を整えてカーテンを開き、シドの隣の席に座る。

 ジト目でシドを見るその顔はまだ赤い。


「あー、すまない。悪気はなかったのだけは本当だ」

 むくれっぱなしのローズマリーを見る限り、変に言葉を並べ立てるのは愚策だろう、と判断したシドは素直に頭を下げた。


「思ったより元気そうじゃないか、いいね若いって」


 フレデリカは素知らぬ顔で紅茶を少女に薦める。シドがずっと睨みつけているのは見ないふりをすることに決めたらしく、先程からろくに視線が合わない。


「ま、ムナカタが本気を出せば、気絶なんて生優しいもんじゃすまなかっただろうからね。そのへんは忘れちゃダメだよ、CC。

 診察と処置は寝てる間に済ませといた。外傷はないけど、今日一日くらいは痛むだろうから、明日までは安静にしときな」

「そんな、まだやれます! もう一本お願いします!」


 そう言って立ち上がったローズマリーだが、腹部に走る鈍い痛みに顔を歪め、椅子へと逆戻りする。


「そんな様子じゃ、さすがにさっきみたいにゃ動けないだろ? 今日はもう無理するな」

 

 項垂れたローズマリーは再び小さく「はい……」と返事をした。


「ムナカタの実力はだいたいわかったろ? さっきの短いやり取りのなかで、あんたの長所と短所は大方見抜かれてる」

「……その結果がこの痛み、ですよね」


 まあそういうことだ、とシドは立ち上がり、嫌がるクロを無理やり抱きかかえた。


「そんじゃ、お嬢ちゃんも目を覚ましたことだし、俺はもう帰ります。ウルスラ、資料は事務所まで送っておいてくれ」

「あら、受けてくれるのかしら?」


 まだ考えてるんだよ、とシドは静かに微笑う。


「報酬次第としか言えねーけどな。まぁ、あんまり期待しねーでくれよ」


 抵抗するクロにあちこち引っかかれながらも、シドは三人に一礼し、振り返ることなく医務室を後にした。

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