1.3 関係がないといい切るには、現場のことを知りすぎてる
「これは一体どういうことかしら、ムナカタ!」
ウルスラに問い詰められ、シドは思わず口を尖らせる。
「何が不満なんだよ?」
「女の子のお腹に一撃食らわすなんて何考えてるの!」
今さら何を言うのやら、とシドは盛大にため息をつく。
ローズマリーの実力を判断し、かつ彼女が復讐などできる器ではないと思い知らせるには、こうやって拳を交えるのが手っ取り早いと思っていただけに、余計に納得がいかない。
納得ができないのはクロも同様らしいが、こちらは別の理由だろう。
身軽さが身上の彼女、たとえ放り投げられたとしても怪我なんてしないのだが、そんな扱いをされて黙っていられるほど大人しくもない。
シド達の足元に駆け寄って抗議の声をあげるが、当の二人は聞き入れる様子がない。
「ちゃんと加減はしてる。しばらくすりゃ目を覚ますはずだ。お説教なら後でいくらでも聞いてやるから、まずはお嬢ちゃんを医務室に連れていってやれよ」
少女を押し付けるシドからは、先程垣間見せた気迫は微塵も感じられない。
いつもどおりの、どこか間の抜けた表情に逆戻りだ。
「あなたも来なさいな!」
「ちゃんとあとから行くよ。その前にアンディと話がしたい」
「あのねぇ……」
「セニョリータ・ベラーノ、彼の言うとおりにしてやってくれ。何か考えがあるんだろう」
まったくこれだから男は、と際限なく小言をこぼしながら、ウルスラはローズマリーに肩を貸し、訓練施設を後にする。
二人の姿が見えなくなるのを見計らって、話の口火を切ったのはアンディだ。
「どうだい、彼女の腕前は?」
「魔導士資格取りたてならあんなもんだろ。荒さも甘さも年相応。現場の怖さはまだ知らないだろうから、実戦に放りこんで適正をみてみりゃよかろうに、なんで俺のところに話を持ってくるんだか」
「いや、ここはやっぱり、本職の魔導士のご指導を仰ぎたくてさ」
今度はシドが小言をつく番だった。
「現場での捜査だの、凶悪犯の対応だのってのはそっちの領分だろ? 警察の仕事に必要な技能は警察の中で鍛えるべきだ。いくら魔導士の指導経験がなくても、入庁直後の出向扱いなんて横紙破りをしてまで、昼行灯の魔導士に丸投げなんて、とても合理的とは思えない」
「やっぱりわかっちゃうか。もうちょっとその調子でいろいろ聞かせておくれよ。本職の魔導士の見解、ってやつをさ。
まずはあの娘についてだ。エプサノの生き残りって言ってるけど、センセイはどう思う?」
おだてればべらべら喋るとでも思っているのか、アンディは意地悪な笑みを浮かべている。
いつものことだ、と嘆息したシドは、ゆっくり、絞り出すように答えてゆく。
「俺が思うに内務大臣の娘だ」
「そう思う根拠は?」
アンディの顔から一瞬にして笑みが消える。真剣な話をするとなれば彼もこういう顔をするのだ。
「詠唱だ。――あれだよ、俺とCCが魔法を使うときに唱えたやつ」
「ああ、あの長ったらしい呪文か。初めて聞いたぜ?」
「強力な魔法を使うときのパスワードみたいなもんだからな。普段使うことはめったにないよ、簡単な魔法なら省略することも多い」
アンディは魔法使いでないから仕方ないのだが、それにしても「長ったらしい」とはずいぶんな言い草である。
若干面倒ではあったが、シドは普通は魔導士ごとに「詠唱」の文言が違うこと、意図しない限り同じフレーズとはなりえないことを説明してやった。
「で、CCとセンセイの詠唱とやらが一緒ってことは、どう説明するんだい?」
「……エプサノで、クリーデンスのお嬢さんに魔法を教えたことがあってな。そのときに詠唱も聞かせてる。それをベースに組み立てたと言うなら、わからないでもない。
ただ……仮に彼女がお嬢さんだとすると、腑に落ちないことはいくつもあるんだ」
聞きたいことがあるならどうぞ、とアンディは先を促す。
「もし、CCが本当にクリーデンスのお嬢さんだとしたら、俺と間違いなく面識があるはずだ。
なのに、向こうはなぜ俺のことを覚えていない? それに今更、ローズマリーなんて偽名を使っている理由は何だ?」
「偽名?」
二人の認識の差が、表情の違いになって表れる。
「大昔の話とは言え、護衛任務で面識のあるはずの相手に偽名を名乗ってどうするんだ、って話だよ。任務についたばっかりの頃は俺もお嬢さんって呼んでたんだけど、他人行儀だって怒られてな。彼女に言われるまま、それからはマリエって呼んでたんだ」
「……センセイ、物は試しなんだが、ローズマリーって書いてごらんよ」
意図が全くつかめない提案を疑いの目で見ながら、シドは愛用の万年筆でさらさらと「Rosemary」と書いてみせる。
相変わらず下手な字だとからかうアンディだが、その目は笑っていない。伊達や酔狂や冗談で書かせたわけではなさそうだ。
「……よくある勘違いといえばそうなんだけどさ、センセイ。CCの場合、こっちが正解なんだよね」
Rosemarie
意外と流麗な綴りを見て、シドは自分のささやかな勘違いで生まれた大きな認識のズレに苦笑するほかなかった。
「mary」ではどう頑張ってもマリエとは読みえないが、「marie」ならば一応の筋は通る。
だが、ローズマリーの名前に関する疑問は、まだ残っている。
「それじゃ、CCってのはどっから来てるんだ? クリーデンスじゃCが一個足りないぜ?」
「センセイ、興の乗らない分野の知識はびっくりするくらい弱いよね」
むう、と唸るシドを見て、アンディの表情が柔らかくなる。
「
……その様子じゃ本当に知らなかったみたいだね」
何年ここに住んでるんだよ、とからかわれて自分の見識の狭さに肩を落とすシドだが、いつまでも落ち込んではいられない。
「言葉遊びは仕舞いだぜ、アンディ。詠唱の件も名前の件も、CCがクリーデンス夫妻の娘である可能性を示しちゃいるが、せいぜい状況証拠止まりだ」
「物的証拠が欲しいのかい?……あるといえばあるし、ないといえばない」
どっちだよ、と拍子抜けするシドだが、アンディの面持ちは真剣そのものだ。
「損傷のひどい遺体を拾い集めて、絶賛研究中のDNA鑑定って手法まで引っ張り出して分析したんだけど、『エプサノの焼け跡にローズマリー・クリーデンス・クリアウォーターの遺体はない』って結論に落ち着いている」
「そのDNA鑑定ってやつで、CCはクリーデンス内務大臣の娘だ、って証明はできなかったのか?」
「いったろ、まだ実証段階だ。有用性も正確性も担保されてないから、あくまでも補助的な意味合いが強いんだよ」
「じゃあ、それ以外に、もっと直接的な物証はねーのか」
落ち着けよ、とシドをなだめながら、アンディは説明を続ける。
彼も署内では若手と呼ばれる年齢なのだが、まだ若いシドをコントロールする時の振る舞いは、ベテランの貫禄を感じさせる。
「軍の専門家と一緒にヒアリングをやったんだんだが、エプサノ事件前後の記憶については部分的に欠損が見られた。よっぽど強い精神的ショックを受けたんだろうね。センセイのことを覚えてない、ってのは、実はあの娘からすでに聞き出してるんだ。
とはいえ、それ以外の記憶を総合的に判断すると、彼女が事件の関係者でかつローズマリー・クリーデンス・クリアウォーターだろう、という結論に至っている……んだけど、納得できかねるって顔だね」
胡散臭いものを見るような目をしたシドの機先を、アンディが制する。
「まだなにか疑問点でも?」
「お嬢さんの遺体が見つかっていない。あの娘には断片的だけどエプサノの記憶がある。それはいいとしよう。
だとしても、どうやってあの燃える教会から逃れた? あの夜、俺が異変に気づいて戻ったときには、教会はおろか村中に火の手が回ってたんだぜ?
なあアンディ。あんなに静かで穏やかな村が、一晩で灰になるなんて信じられるかよ? 一生忘れられねーぜ? 時々夢にまで見るんだ」
エプサノで皆と過ごした短い夏の思い出、そして、彼らを襲った悲劇から誰一人として救えなかったことへの後悔。
事件から長い月日が経ってなお、シドの心は時折それらに苛まれ、乱されるのだ。
彼の昏い瞳から溢れるのは涙ではなく、事件を止められなかったことへの絶望感。
最初こそ勢いのあったシドの言葉だが、みるみるうちに力を失い、声も小さくなってゆく。
「……信じてもらえないかもしれないが」
こほん、と空咳をつくと、アンディは少し言いづらそうに切り出した。
「彼女は事件当日の夜、エプサノから直線距離で五〇〇キロ離れた別の修道院の前で倒れていたところを拾われてるんだ」
一瞬、アンディの言っていることが理解できなかった。
「センセイはよーくご存知だろうけど、エプサノは小さな村で、一番近い国鉄の駅まで車でゆうに一時間はかかるし、その駅に止まる電車は二時間に一本しか来ない。
そんな長旅を一瞬で終わらせる魔法があるなら話は別だけど、心当たりはあるかい、
シドは何も答えられずに首を振るばかりだ。
空間転移魔法は使い手が限られる上に、相応の魔力を消費する。
管理機構も五〇〇キロもの距離をなかったコトにできるレベルの使い手を野放しにするほど無能ではないはずだ。
「……CCは、本来いるべき時間帯に、エプサノにいなかった。にもかかわらず、エプサノでの事件のことを詳細に知っている」
「そういうことなんだよ。それが問題なんだ。関係がないといい切るには、現場のことを知りすぎてる」
普段だったらシドも煙に巻かれてると思っただろうが、アンディの表情は真剣そのもので、嘘を言っているようには見えない。
「彼女には断片的ながらもあの夜の記憶がある、というのは紛れもない事実だ。両親を亡くした事実とともにね」
もし仮に、あのCCと名乗る少女が、クリーデンス内務大臣の娘本人だとしたら、どうするべきか。
物証がほとんどない大胆な仮定を導入してもなお、彼女の指導を引き受けてくれという依頼に、簡単に首を縦に振るわけにはいかないシドである。
「あのお嬢さんが本当にクリーデンス大臣の娘であったとしても、依頼をすんなり受けるわけにもいかねーのはわかってくれるだろ? 悲しい思い出を忘れられないならまだしも、復讐を志して実際に行動を起こしちまってるのは、さすがに不健全じゃねーか?」
「勘違いしてほしくないな、センセイ。
乱暴な物言いかもしれないけど、僕らは別に、CCが復讐を諦めるかどうかに別段興味はないんだ。彼女の主義思想の矯正は二の次で、たとえどんな動機でも、結果的に社会のために働いてくれれば文句はない。復讐を諦めるのも、きっかけは自発的なものであるべきだ。他人から強制されるべきじゃない。
とにかく、魔導士として使い物になるように鍛えてほしいんだよ」
「本当にそれだけか?」
かなわないなとばかりに苦笑するアンディを睨みつけて、シドはさらに畳み掛ける。
「鍛えるだけなら俺が警察に出向けばいいだけの話だ。わざわざ住み込みの弟子にするには、なにか理由があるんだろ?」
「……クリアウォーター内務大臣の立ち位置は覚えてるかい、センセイ?」
おぼろげな記憶をどうにか引っ張り出そうと、シドは悪戦苦闘する。
各国政府が魔導士を国家資格と認め、魔導士と一般市民の共存政策を打ち出して以降、公的機関での魔導士関連部署設置、
この動きの背後にいたのが、魔導士とそれらを支持する市民で構成された「共存推進派」である。
一方、異端の力を恐れ、魔導士偏重ととれる政策に反対する勢力の出現は避けられなかった。
この勢力は、後に「共存反対派」と称され、魔導士でない市民を中心とした一大派閥を築くに至る。
それと時を同じくして、自らの能力を悪用したり、力に増長して市民を虐げたりする魔導士も現れ、魔法を使わない市民との摩擦が顕在化し始めてゆく。
そのような者たちは、魔法使いが権力の監視下に置かれている状況に憤り、『魔法使いの魔法使いによる魔法使いのための国を作る』という題目を掲げた「独立派」を名乗って活動している。
これら三派の勢力争いが武力闘争に発展した時に、内務大臣を努めていたのがクリーデンス氏である。
共存推進派の旗振り役として活動する彼を、シドも新聞で見た覚えがある。
「共存反対派に名を連ねる魔導士はごく僅かだから、独立派に命を狙われた、というのが現在でも一般的な見かたでな」
「彼の娘も……CCも独立派の連中に狙われるかもしれない、って言いたいのか?」
それだけじゃないさ、と呟くと、アンディはポケットに手を突っ込んで天を仰ぐ。
「前内務大臣の娘が生きていたとなれば、共存推進派も黙っちゃいないだろうね。娘を大将に祭り上げて、父親の遺志という旗印のもとに過激な行動に出るかもしれない」
あくまでも可能性の話だけど、と念押しして、アンディは話し続けた。
「万が一そんなことになったら、再び内戦時代に逆戻りだ」
「だが、CCが内務大臣の娘だって決定的な証拠はないんだろ?」
「備えよ常に、だ。そう仮定して動いておけば、だいたいどんな状況にでも対応できる。大山鳴動して鼠一匹なら、それはそれで素晴らしいことじゃないか。
たかが小娘一人と思って油断してたら、極端な思想の連中に利用されて、挙句の果てに第二第三のエプサノの惨劇が起きる。そうならないなんて、だれも保証しちゃくれないよ?」
心の一番脆い場所を突き、さらには急所に手をかけた状態のまま、アンディは真っ直ぐにシドの目を見る。
「頼むよ、センセイ。どんな手を使っても構わないから、あの娘を――ローズマリー・クリーデンス・クリアウォーターを守ってくれ。
それがもう一つの、そして本当の依頼だ」
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