1.2 あんまり大人をなめんなよ?
シドの自宅兼事務所から、郊外方面にしばらく車を走らせる。
ローズマリーにとっては住み慣れた、シドにとっては忌々しい……もとい、色々複雑な思いが詰まった学び舎だ。
その訓練施設の一室で二人の準備を待つ面々だが、彼らの様子は三者三様。
話題の映画の封切りを待つような、興味津々といった表情をしているのはアンディ。
彼自身、部下になるローズマリーの魔法を生で見るのは初めてなので当然といえば当然である。
その傍らに控えるウルスラは心配気、ローズマリーが余計な怪我を負わないか気にかけているのだろう。
シドがすんなり首を縦に振ればこんな事になってないのに全くあの理屈バカは、と時折愚痴をこぼしている。
そして、駄々をこねて連れてきてもらったクロも、見届人然とした立ち振る舞いでここにいる。
よほどローズマリー(とその撫で方)が気に入ったのか……は定かではない。
ウルスラに抱えられ、時折大あくびをしているその内心も窺い知れない。なぜなら彼女は猫である。
「おまたせしました」
更衣室から戻ってきたローズマリーを見て、シドはしばらく目を丸くしていた。
彼女が纏うのは見紛うことなきメイド服。
ホワイトブリム・黒のワンピース・エプロンと、必要なものはフルセット揃っている。
それだけに、両手のハーフフィンガー・グローブがひどく不釣り合いに見えた。
「……なんでメイド服?」
「意外と機能的なんですよ。あと、身元を隠すためです」
隠さなければならない身元も気になるが、それ以上追求することはない。
魔法の実力は、身元とも服装とも無関係だ。
「エプロンからトンデモ武器が出てきたりしないだろうな?」
「ああ、いいですね。その案、拝借します」
ローズマリーに笑みはない。どうも本気で何か仕込もうと考えているらしい。
一見したところ、ローズマリーは武器の類を持ち合わせていない。
メイド装束には似つかわしくないグローブを見れば、可愛い顔と華奢な体躯に似合わず格闘戦をこなすことは容易に推測できる。
冷たい眼差しに隠されて、その考えは読みづらい。
一方のシドの装いも荒事とは程遠い。
両腕の指先まで巻かれた包帯、その上からつけたハーフフィンガー・グローブがなければ、白いドレスシャツに黒いチノパンの、どこにでもいそうな冴えない営業マンである。
彼は腕を組んで仁王立ちのまま、ローズマリーの攻撃を待ち受ける。
「事務所にいた時と違って随分元気そうじゃねーか。年相応でいいと思うぜ」
シドの表情からは力が抜けきっており、どうもやる気が感じられない。
エプサノの話を聞いたときの剣幕が嘘のようだ。
「あなたもやる気を出してください。覇気に掛ける相手というのも少々やりづらいのですが」
「新人が生意気言ってんじゃねーよ、一発でも当ててから言うこったな」
ローズマリーは軽やかな足取りでステップを踏み、一定の距離を保ったままだ。
先に仕掛けさせてシドの魔法の性質を把握したいのだろう。
最も、シドの使う魔法は至って地味で目立たず、初見で完全に理解しきれる類のものではない。
「新人魔導士が待ちに徹したところで状況は変わんねーよ。まず君の持ってる最高の技でかかってこい」
口調こそ軽いが、纏う気配は強い魔導士そのもの。
その気配に一瞬気圧された様子のローズマリーだったが、すぐにもとの表情に戻る。
「それもそうですね。……余裕ぶって後悔しても知りませんよ!」
ローズマリーはステップを止めずに、シドは仁王立ちのまま、同時に魔法の詠唱を始める。
「【右手に銃を、左手に花束を】」
「【右手に銃を、左手に花束を】」
ローズマリーの口から紡がれた詠唱にシドは思わず耳を疑った。
魔法の詠唱、その文言は各々決めるものであり、四節ということ以外に明確なルールもない。
だが、自分の持つ魔法の中で、特に効果の高い魔法を発動するための大切な
意図的でない限り、二節目まで揃うことなんて、ありえない。
だが、以前にシドの詠唱を彼女が聞いているとしたら。
印象に残ったそのフレーズを、自分の詠唱にも組み込んでいるとしたら。
エプサノ事件の関係者のうち、彼が詠唱を聞かせたのは、たったの一人だけ。
――まさか、この少女は……!
「【我が心に不屈の炎を】」
「【その唇に誓いの詩を】」
三節目にして、互いの詠唱は別の道を歩き始める。
ただ、一瞬の戸惑いで、シドの詠唱が僅かに遅れた。
「【復讐するは我にあり】」
「【去りゆく者に餞を】」
少女の詠唱、それは復讐に翻弄された言葉。
シドは僅かに表情を曇らせるが、もう詠唱の遅れはない。
何千回となく唱えてきた文言、後は勝手に口が動く。
「【身体強化】!」
「【圧縮】
直後、シドの目に飛び込んできたのは【身体強化】魔法で四肢に力をみなぎらせたローズマリー……ではなく、常軌を逸した速さで一歩踏み出し、距離を瞬く間に詰めるメイド服だった。
「言ってることとやってることが違うじゃねーか!」
速度と体重が乗ったローズマリーの正拳は十分に鋭い一撃だったが、シドが展開した見えない魔力の防壁に阻まれて通らない。
初手の奇襲を防がれたローズマリーは大きく一歩飛び下がって息をついた。
見えない壁そのものに対してか、はたまた壁の想像以上の硬さに対してなのはわからないが、彼女の眼差しにも少なからず動揺の色が浮かんでいる。
「あんまり先輩をなめんなよ?」
ローズマリーがつい唇を噛む程度には余裕たっぷりに振る舞ってみせるシドだが、虚を突かれたという事実は動かない。
【身体強化】と
そこまでして
彼女の【加速】魔法は不意打ちということを抜きにしても早く、先程のように緩みっぱなしの顔はしていられない。
ただ、それだけで抜けるほどシドの【防壁】は甘くない。
先程から目を凝らしてシドの方を見ているローズマリーだが、どうも腑に落ちない様子だ。
単に強固なだけに留まらない、シドの【防壁】の強み――。
それは見えにくいことだ。
どの距離で、どの規模で、どんな強度で展開されているか、よくわからないから、攻めあぐねる。
初見かつ見た目では特性がよくわからない魔法に対し、少女がどう対応するか観察するのが、ここに来た目的だ。
「……その防壁、次は抜きます」
宣言するや否や、小さく息を吐いたローズマリーは、腰をわずかに落として大地を蹴る。
【防壁】の展開前に距離を詰める気なのか、明らかに先の不意打ちよりも速い。
【加速】を始めとする自己強化系の魔法は、複数回使用しても効果が頭打ちになる「重複使用障害」で効果が制限されるはず。
だが、ローズマリーはその影響をほとんど感じさせず、それどころか一歩を踏み出す事に速くなるようにすら見える。
少女の次の狙いを模索する間に生まれた、シドの一瞬の空白。
ローズマリーはそれを見逃さずにシドの死角に回り込み、後頭部を狙いすまして一直線に上段蹴りを放つ。
すんでのところで【防壁】で防がれるとみるや、無理な体勢をものともせずシドの視線を外し、鳩尾めがけて正拳突きを放つ彼女だが、結果は変わらない。
一撃を叩き込むことは愚か、触れることすらかなわない。
ローズマリーの手数の多さは変わらないが、攻撃が通らない焦りで思考が乱れてきているのか、動きは一手ごとに単調になっている。
最初の不意打ちはもう、見る影もない。
「闇雲に撃てば一発くらいは当たると思ってるなら心外だな。そんなにヤワな魔導士だった覚えはないぜ」
大きく距離を開けて立ち止まり、肩で息をつきながら、ローズマリーはシドを睨みつける。
最初に彼女が攻撃を仕掛けてから、彼は一歩も動かない。相変わらず腕を組んで仁王立ちだ。
ローズマリーの技は何一つ通用しないままで、逆に彼女を観察させる余裕を与えてしまったことになる。
少女の狙いはおそらく、速さを生かして、相手の急所を突くこと。
それがわかってしまえば、その攻撃を先読みするのは難しくはない。
シドは現に、【加速】し続けながら繰り出されるローズマリーの攻撃を捌き続けてみせた。
そして、彼女が常に急所を狙ってくる理由も、幾度となく【防壁】で攻撃を受けたことで大体の見当がついている。
格闘戦を主体とする魔導士としては、一撃の威力が軽すぎるのだ。
少女に気取られぬように【防壁】の密度を下げても、まるで抜かれる気配がない。
そもそも華奢なローズマリー、見た目通り体重が軽く膂力がないのは間違いない。
だが、一撃に合わせて魔力を放出し、威力を底上げすれば、体格の不利なんて一気に帳消しにでき、ヤワな【防壁】くらい崩せるはず。
ことここに及んでそうしないのなら、出てくる結論はただ一つ。
ローズマリーは格闘戦の要、魔力放出を使えない。
つまるところ、このままではシドがうっかり【防壁】を下げない限りは、彼女の拳は届かないのだ。
「これ以上の隠し玉がないならもう終わりにするけど、どうだい?」
何も言わずに距離を詰めて一撃を繰り出すローズマリーだが、【防壁】がその行く手を阻む。
「正面から殴ったところで、君の力じゃ【防壁】が割れないことくらい、もう気づいてるだろ? 最初の奇襲こそが唯一のチャンスで、それが失敗した時点で、もう結論は出てるんだよ」
ローズマリーは再び大きく距離をあけて足を止める。
その瞳は昏く、とてもシドの忠告を聞き入れているようには見えない。
「お覚悟を」
メイド服がさらに速度を釣り上げ、眼前から姿を消しても、シドはまったく動じない。
彼もキャリアの長い魔導士だ。前後左右のどこからも攻撃を通せなかった、格闘戦しか能のない魔導士が次にどんな手を打つかくらい、既に予想がついている。
頭上――。
果たしてローズマリーはそこに現れた。
読みどおりの動きに、シドはもはや目線を向けることもない。振り出される蹴りを、【防壁】で淡々と受け止めるだけ。
ローズマリーの双眸がひっきりなしに動き、彼の一挙一動の空白を捉え続けようしているのとは対照的だ。
「遅い!」
シドの眼前で深く沈み込んで着地したローズマリーは、一呼吸の間も置かずに右の拳を突き出した。
その軌跡は狙い過たず、シドの腹部へ一直線。
敵を出し抜いた拳に一撃の手応えが返ってくるが、少女の表情はみるみるうちに強ばってゆく。
「思ってたのと違う、って顔してるな」
シドはもはや腕を組んでいなかった。少女の右手首がすでにしっかりと掴まれており、とても振りほどけそうにない。
「いくら速く動けても、相手に意図を悟られちまったら意味がない。そうだろ?」
出会ったばかりの頃のクールな表情をかなぐり捨て、ローズマリーはシドを睨みつける。
「そう睨んでくれるなよ。こっちもあっさり新人にやられちまったら立つ瀬がないってもんだ。
――あんまり大人をなめんなよ?」
にこやかに言い放ったかと思いきや、一転して殺気に満ちた眼差しを浮かべたシドに、ローズマリーは思わず身を固くする。
「女の子を殴るのは性に合わねーんだけどな。でも、ケジメは必要だ。悪く思うなよ」
腹部を狙いすました鋭い一撃。
防ぐことも避けることもできずに昏倒したローズマリーだが、地面に倒れ伏すことはなかった。その前にシドが抱きとめている。
「ま、ざっとこんなもんだが、どうだいお二人さん?」
ちょっと得意げに振り返ったシドだが、その目に飛び込んで来たのはクロを放り出し、怒り心頭といった様子でこちらへ歩み寄ってくるウルスラと、その剣幕に少々引き気味のアンディ。
ウルスラをどうにか説得しないと、ここから無事に帰れないかもしれない。
ローズマリーを抱えたまま、シドはため息混じりに腹を括った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます