詩人の広場 第一回 前編


さて、さてある夜のことでございます。

カクヨムで詩作品を公開する詩人と呼ばれるわけのわからぬ者たちが、ふらりと集まり、何やら話しはじめました。


これを読んでるあなた!この詩人たち、どんな顔か、どうぞ覗いていっておくんなさいな。


集まった詩人は4人、湿原工房氏、草月玲氏、オキノラク氏、それからこの場の騙り手である、わたくしこと帆場蔵人でございます。詩人の広場・カクヨム(仮)にて開催しました。四名の詩人が自薦、他薦で作品をひとつずつあげまして、語り合おうという企画です。今回は帆場が挙げた作品で第一回となります。よろしくどうぞ、お付き合い願います。

※投稿にあたりまして誤字、脱字、などの修正は幾らか加えましたが、その場のライブ感を尊重して、発言の順番等には手を加えておりません。またチャット内容が長時間のため、読みやすさを考えて前編・後編にわけています。


<帆場蔵人>

それでは詩人の広場・カクヨムでの第一回目の詩の感想会(良いタイトルがあれば募集)

を開催しまーす。第1回目は湿原氏の『言葉を覚える』それから帆場のアップルパイ屋のひとり言となっています。感想会ですので詩について軽く語って楽しもう、ぐらいのノリで行きましょう(^^)/ よろしくお願いします。


<草月玲>

分かりました。改めましてこんばんは。よろしくお願いします。


<オキノ ラク>

よろしくお願いします。


<帆場>

とりあえず一編四十分くらいかな。帆場がタイムキーパーを兼ねます。脱線、雑談もオーケーです!

https://kakuyomu.jp/works/1177354054883028904

詩集憧憬  作・湿原工房

『言葉を覚える』


しきりに“正午”と繰り返す

正午 正午と繰り返すこどもの声


きっと きのうきょう覚えた

言葉なのだね


ひとつ また

ひとつと少年は

ぐんぐん言葉を取り込むのに違いない

部屋に持ち帰った奇妙な形の

石を並べるように ひとつ

また ひとつと

言葉を覚えていくのだね


そんな幼少が

あったのだろう

記憶には残っていないが

特定の何かを意味していると知って聞く

奇妙な初めての響きは何でもない

路傍の石ころにきらめきを見てとったときと

おなじ目をしていたに違いない


少年は去っていったが

まだ彼の声は残って繰り返す


しょうご

しょうご

しょうごと

そう なんでもない正午になる以前の

出会いの瞬間の言葉が

彼の感性でやってくる


ひとつひとつの言葉には

言葉を覚えた経緯がある

そしてその日の印象が知らず

知らずに言葉に埋められ

イメージの成形に影響を及ぼすだろう

少年の正午は南中に陽が位置する時刻である以上の意味となって

定着し 経緯はそして忘れられ しかもなお

語の使用契機を左右するだろう


ここまで心中で語りながら

語りを構成した各語の来歴を思う

忘れられた来歴が

沈黙して主張することなく

記憶の暗いほうからたしかに俺を眼差している

ああ こんなにも

生きてきたのだなとおののくように感動している



<帆場>

第一回目という事で出来の良さもさる事ながら、言葉を題材にされた詩を選んでみました。

この詩って子どもを育てていたら実感があるのかな? ぼくは独身だからわからないけど。


<オキノ>

すみません……ここで語りつつ、もう纏めてある感想も投下していいですか?


<帆場>

はい、どうぞ。ぜひに。


<湿原工房>

私、ここではこの詩についても、作者という立場を極力排除して一読者として喋ろうと思っています、と一応。ちなみにこの作者(湿原工房)は独身です。


<帆場>

そうですね。どうしても確認したいことがあれば、聴きますが。その方が詩を自由に読めるかと。


<湿原>

ただ詩の主体が独身か既婚かはわかりません。


<草月>

私は少年を見守る立場というよりかは、どちらかと言えば少年の立場で読んでいました。


<オキノ>

では事前感想も投下しますね!

『言葉を覚える』

 言葉の可能性と認識について詠んだ詩だと感じました。言葉とはシニフィエとシニフィアンから成り立っていますが、シニフィエはひとそれぞれ違う事を表しているのかと。

「海」と聞いて「青い海」を連想するひともいますし、「荒々しい海」を想像するひともいます。そしてそこから「好き」を思うひともいれば「怖い」を思うひともいます。シニィフィアンよりもたらされる想像と感情は無限なんだなぁ、とこの詩を読んで感じいりました。そしてそれを何気ない子どもの呟きから悟る視点は私たちそのものなのではないでしょうか。また私たちはたしかに「少年」でした。

 こんな風に中身のある詩だなぁと思いました。そして論理的な文章で紡がれていく、文章の呼吸もいいなぁと思いました。


<帆場>

なるほど、描き手と詩の主体は常に同一ではないですからね。


<オキノ>

詩の主体に関しては独身な

イメージでしたね~。


<帆場>

フランス語が飛んできた!? 

(→オキノさんの感想内の話し)


<草月>

思わずシニフィアンやらを調べてしましましたよ。初耳です。


<帆場>

シニフィアンは音、シニフィエは意味ぐらいの記憶しかないので、ググります。


<湿原>

私なりに言えば指示対象は言葉によって切り取られている、輪郭線が引かれているということですね。


<オキノ>

私は常にシニフィアンとシニフィエ混合しちゃうのですがネットは便利ですね!

言語学の言葉のはず……!

しづきさんの詩はとくにそういった意味で深く考えさせられました。


<湿原>

ソシュールが提唱した概念ですね。いつもどっちがどっちか分からなくなるw


<帆場>

シニフィアンはここでは正午、という音、声でシニフィエはその正午という言葉に対しての個々人の持つイメージと

考えればいいのかな?


<湿原>

たぶん、問題ないと思います。


<オキノ>

だいたいそんな感じです!


<草月>

皆さん、博学なようで……(笑)!

上でしづき様がおっしゃていた「指示対象は言葉によって切り取られている云々」と言うのは、例えば「木」という言葉しか無ければ森に入った時「木がある」としか“認識できないもの”が「マツ」や「ブナ」などといった細分化する固有名詞があることでそれ以上の詳細さで“認識可能なもの”として輪郭線、分類がなされるということでしょうか。


<帆場>

音として覚え、物体との関係、意味をイメージが結びつけ、概念として覚えていく。そのなかで全てのものは自分とは別たれていく。

草月さんが言われるようにキ→木→マツ、ブナ、そうすると輪郭や距離が生まれる。


<湿原>

輪郭線=認識可能なものです。個人的には「森」「木」「マツ/ブナ」のそれぞれに詳細性(クオリア、"という感じ”があって、

<湿原>

あ、途中で送った。。。


<帆場>

おきらくさんの感想のシニフィエよりもたらされる想像と感情は無限、まさにそれが詩の可能性だと思います。的確な感想ですね


<湿原>

という感じ)があって、そのそれぞれに私的なニュアンスがあるという感じ。

作者と読者の立場を分けるって難しいなw


<オキノ>

自由詩はなにものにも束縛されない感じが好きです。詩の可能性いいですよね。

作者と読者の立場を分けるのは難しいですね〜汗

私はできるだろうか……


<帆場>

三連目の


ひとつ また

ひとつと少年は

ぐんぐん言葉を取り込むのに違いない

部屋に持ち帰った奇妙な形の

石を並べるように ひとつ

また ひとつと

言葉を覚えていくのだね


ここが躍動感を感じます。


<湿原>

たぶん少年は、正午の意味の獲得を喜んでいるとともに、ショウゴという音の、なんといえばいいでしょう珍奇なかんじを楽しんでいると感じた。


<草月>

幼いころは、どうしても言葉はすべて発音でおぼえていきますよね。

私の幼少期もそうでしたから、たとえば「蒸しパン」を「虫パン」と勘違いしていて虫の混入しているパンだとずっと思っていました。

”部屋に持ち帰った奇妙な形の石を並べるように ひとつ~”

私もこのたとえが好きです。


<帆場>

おきらくさんへ

詩の主体と自分を分ける。かならずしも必要はないのですが。例えば詩で自分とは違う、誰かの人生を描くことは可能でしょう。

彼、或いは彼女のプロフィールや生い立ちを作って詩を書くと訓練になるんじゃないかな。←偉そうだなw


<湿原>

蒸しパン分かる。


<帆場〉

草月さん、ぼくもまさにそこの詩句が気に入ってます!

懐かしさがあるんですよね。つまらない石ころとか、蝉の脱け殻集めた記憶に反応して。


<オキノ>

だれかの人生……! その訓練法とても素敵だとおもいます。ありがとうございます


<草月>

私も子供のころ石とかいろいろなものを集めていたせいか、シンパシーのようなものを感じます(記憶に反応してますね!)。

石を並べるという行為に言葉を覚える過程をそのまま写させているのであれば、一つ一つじっくりと脳を通過していくような感じを受けますし、ただ単に比喩だとしても、それはそれでやはり唯一無二の言葉選びかと。


<オキノ>

しづきさんのこの詩からは鋭い眼から物事をよく観察されていることが伝わってきます。


<帆場>

おっ、とただいま30分経過しましたが良い感じなので22時15分まで流しますね。


<湿原>

時間を持て余すの"モテアマス"ってギリシャの説話に出てくる英雄の名みたいって思う。


<草月>

字面はアマテラスにも似てますよね(笑)


<オキノ>

ヘラクレスですかね?アマテラスおもいました(笑)


<湿原>

モテアマスオオミカミw


<帆場>

古事記に混じってても違和感ねぇw


<オキノ>

太陽神に持て余されても他の神々が困りますねw


<帆場>

スサノオ以上に持て余されて神話から削除された、という想像


<草月>

そういえば「アマチュア」ってamateurって書きますが、これが英語の長文に混じっていたときはアマテラスにみえました。Amateur。疲れてたんですかね。


<帆場>

いやいや、外国語と日本語をぶつけた時に詩的な発見が生まれるので、その発想は飛躍すると詩になりませんかね。面白い。


<湿原>

そうした一見つまらない錯視が私たちの言動に影響している気がする。一見つまらないからなおさら、見返されない分野放しにアクセスされてるんじゃないか。


<オキノ>

何気ないものや何かと何かの差異から、自分の視点を見出すことって素敵だなっておもいます。


<帆場>

アマテラスへの手紙

amateurさま、宛名の間違いに臍を曲げて太陽神は岩戸に引きこもり、大騒ぎ、

アマチュラスさま〜、

即興に向いてないなぁ ← ほんとだな


<湿原>

その"一見つまらない"が少年という社会にまだ参加的でない、語彙が少ない時期に見ると、魅力をもって彼に訴えてくる。


<草月>

勘違い、見間違い……。なるほどこうして話していると、間違いもまた別の視点で見れば、役に立つこともあるのかと実感させられます。この調子ならあらゆるものがネタなのですね。これは良いことを学びました!

宛名間違いだけで全ての神々が会合し、暗闇の中でお祭りすることになるとは……。


<オキノ>

この場で「認識」「想像の可能性」についてよい考えをいただけました!

そしてハブられるツクヨミさん


<帆場>

言葉、言語の意味に縛られていないのが子どもたちだと感じます。

ぼくらは縛られていて、時々、勘違いや見間違い、なんかで鎖が緩む。その一瞬を逃がしては駄目なんだろうと感じますね。


<草月>

すると私たちは、さまざまなTPOに適応した”フィルター”を通して物事をみている(認識している)のですね。ためになります


<帆場>

バイアスやフィルター、フレームでも良いですが。そういったものがあるのは確かですね。


<湿原>

ひとつひとつの言葉には言葉を覚えた経緯がある。


<帆場>

因みにツクヨミは古事記でもほとんど触れられず、ハブられていますね。謎多き神。


<湿原>

この辺から説教臭くて嫌なんですよねこの詩


<草月>

雰囲気変わりますよね。


<湿原>

一応日本書紀ではウケモチの神を切り刻んだんでしたっけ。


<帆場>

湿原さん、そうですね。


<草月>

ツクヨミはいじめられてたんでしょうかね?


<オキノ>

古事記だけ履修済みなのでツクヨミさんはほんと空気なんですよね……


<帆場>

先ほどの湿原さんの言われた連はまるまる省くという手もありますね。


<オキノ>

アマテラスの威光を際立たせるためにツクヨミという存在は不要だったのではないのでしょうか。だから夜に追いやられて夜だけを照らすようになった


<湿原>

どちらかというと省くべきでしょうね。なんか伝えようとし過ぎている。私の詩にはよくあります


<オキノ>

と、月が夜にある理由を当時の古事記の編集者は読み解いたんではないでしょうか



<帆場>

急に散文詩の歩様になるから。でも最後の


『ここまで心中で語りながら

語りを構成した各語の来歴を思う

忘れられた来歴が

沈黙して主張することなく

記憶の暗いほうからたしかに俺を眼差している

ああ こんなにも

生きてきたのだなとおののくように感動している』


ここは凄くいい。記憶の暗い方から、辺りは震えます。


<オキノ>

メッセージ性の強い詩も一見ぼやぼやっとした詩もひとつのありかただとおもいます

記憶の暗いほうから

という表現わたしも好きです。ひとの脳に存在するひそやかな領域を感じさせて


<湿原>

ああ こんなにも以降、特に「感動」という言葉は個人的にはいただけない。


<帆場>

さて後、五分ぐらいで次に進みますので皆さん、言い残しがあれば、よろしく。


<草月>

しかし比較してみても、ギリシャ神話のアルテミス、セレネ、北欧神話のマーニなどもあまり活躍が無いように思えますアルテミスはすこし酷い方ではありますが……。


省くと言うよりは、所々抜かしても良いのではないでしょうか。

私も「記憶の暗い方から~」は好きです。深淵もまた君を覗いているって、ニーチェの言葉を知って身震いした時のようです。

でもやはりこう言葉が並んでいると、全部で”一つ”と捉えてしまうので、

難しいものです


<オキノ>

作者さまの知性とメッセージがよく伝わってくる明快な、しかしけっして明るすぎるわけではない詩だったとおもいます。ありがとうございます!


<草月>

私は自分の原始の「認識」という感覚を改めて思い出すことができました! ありがとうございました


<湿原>

この詩、思ったよりも「木漏陽考」と地続きだったんだなぁ、と作者は思いました。


<帆場>

感動、という言葉がわかるんだけど説明的な気はします。けれど生きてきた自分が印象的で読み手に届いているかと感じました


<草月>

https://kakuyomu.jp/works/1177354054883028904/episodes/1177354054885819058

こちらですか


<湿原>

それです。


<帆場>

なるほど、そちらも読めば深まりそうですね。

ありがとうございます。まだ後で付け足したい意見があったらDMで伝えて下さい。


<湿原>

みなさん感想ありがとうございました。読み込んでもらえてえる実感を得てうれしいです。


◇◆◇◆◇


まずはこれにて前編は終わりとなりますが、まだまだ夜は続きます。さて後編へ、よろしければ足を運んでください。

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