カクヨム詩人の広場 『現代詩ってなによ?わかんねーけど、 カクヨムで詩を盛り上げようぜ!』

帆場蔵人

カクヨム詩人たちは語る

カクヨム詩人・対談編

『現代詩ってなによ?わかんねーけど、

カクヨムで詩を盛り上げようぜ!』


※最初に

これは湿原工房氏、帆場蔵人のツイッター上での話をまとめたものです。なお、帆場の脳内フィルターを通しておりますので全て帆場に責任は帰属します。疑問や言いたいことは全て、ぼくにお伝えください。


◇◆◇◆◇◆◇


それは帆場蔵人が公募ガイドを買って、抱いた疑問を呟いたことから始まった。


◇帆場蔵人#虚無僧は似非詩人(以下、帆場)

『現代詩は抒情を極力廃しているそうだ。そうするとぼくの詩は近代詩に近く現代詩手帖などには投稿し難いのか??』


そのとき理知的な空気が漂い、

ひとりの詩人が現れた。(帆場の脳内ナレーションが入っております。壮大な楽隊が……BGMはワーグナーか? そのとき帆場はサッチモを鳴らしていた)


○湿原工房のしづき(以下湿原氏)

どうなんでしょう。叙情というより物語に回収されて散文と差別化できなくなることへの恐れみたいなもんな気もします。技巧が買われる可能性もあると思うので、いちど投稿してみてはいかがでしょう。


◇帆場

まぁ、これも大雑把な説明ですが戦中に詩が戦意高揚に使われたから、人を昂らせたり共同体のための死を賛美しないため、というのが始まりみたいに書かれてました。で、結果として前衛芸術的になりがちなようです。


※公募ガイドの伊藤比呂美氏の説明から、

近代詩=戦前、戦中、草野心平、萩原朔太郎などなど

現代詩=戦後からの作品、詩人、谷川俊太郎など

また大衆のためのライトバースというわかりやすい詩もある、と書かれていました。


○湿原氏#ワルキューレの騎行

現代詩手帳賞は長いスパンで見てると思うので、根気強い応募もまた掲載への階梯かもしれません。私はいちど応募したっきりで、そのご送ってないですね(載りませんでした)。あと、最果タヒさんは詩手帖に応募していたときは、それが載せている傾向に合わせた書き方をしていたとか。


◇帆場

そういう傾向の詩も一時期は書いてたのですが。たしかにそれぞれの賞が求めるものとミスマッチな作品を出しても仕方ないですよね。


○湿原氏

タヒさんのグッドモーニング好きで、のちの作品を見て、あれ、手法が変わったなと思ったんですが、じつは変わったんじゃなくてもとに戻しただけだったという話。文庫版グッドモーニングのあとがきに書いてましたね。なにがマッチするのか、難しい。たとえば、山之口獏が詩を今応募したとしても掲載される気がします。


◇帆場

そこですね。伊藤比呂美さんの公募ガイドの解説からだったのですが、平易な詩でも固有の逸脱が普遍的に書けるなら掲載されてもおかしくはないですね。

とりあえずやってみるのが近道でしょうね。

タヒさんのように若くないし 笑


○湿原氏#紳士

私は帆場さんの詩好きですし、巧いと思うんですよね。現代詩かと問われればそもそも現代詩が掴めていませんし、私には分かりかねちゃいますがw

(帆場の脳内で"ツェペリ"師匠がジョジョ立ちされている。湿原さんの詩はそれぐらい洗練されているイメージがある)


○帆場#億泰

ありがとうございます。奇をてらわないど真ん中な詩だとは言われることがありますが、ぼくも現代詩がわからん判断ができないんですよねw

技巧というと湿原さんやカクヨムだと他にも注目の方が多いですが。


◇湿原氏

私なんぞは真似事で成り立っていますので、自分からはそれが透けて見えて、どうなのよって思ってますw


○帆場

いやいや、創作は模倣から始まりますよ。特に詩は模倣の中から自分の感性が透けて出てくるはずです。批評する眼があるじゃないですか。ひいては自作品を高いレベルで推敲できます。

瓶のコンポジション(湿原氏の詩集・憧憬に収録)などは現代詩としてもいい作品に見えました。あれはいい。ジョルジョ・モランディがわからん、と知人が言ってたのですが絵を見せてから読ませる、と唸ってましたよ。


※ジョルジョ・モランディ

イタリアの画家で静物画を追求した名画家。

詳しくはネットで検索してみてください。

ジョルノではない。


○湿原氏

なんと、ありがとうございます。モランディ好きなんですよ。高校時代に美術室で画集を見てから。なんとかこの印象を伝えたいと思っていたのですね。書いたあとも痒いところに届かない思いが残ってます。この"届かなさ"、なんでしょうね、言葉を代えたり組み直したり、届かなさが伝えになったのかもしれません。


○湿原氏

私が詩を書く目的は、最適な速度をもった最適な連結の言葉で、私の感じたものを読む人の心に再現すること、なので、多くの人に放棄されてもただ一人にでも届けられたら成功なのです(道程は長いし確かめようはないので終わりもない)。


◇帆場

詩を書く目的、、

個人的な心象を言語化してその言葉がさらに言葉を呼び刻まれていくような、読む人に新たな心象を呼び起こすためかな。後はダイイングメッセージ!いつ死ぬかわからんから、なら恥ずかしい作品は遺せないのか⁈


○湿原氏

その場合、恥かく人はすでに死んでますし、わたしは何でも残します!w


◇帆場

たしかにww

ネットに漂うゴーストのように来世紀まで我らが詩が遺っていくww


◇帆場

ここで一つ気づいたのですが、クラシックでも予備知識がないと楽しめない作品があります。同じことが現代詩にも言えるのかもしれない。つまり現代の芸術は受動的から(モランディを知るか知らないか)能動的な芸術の域に入っている。もちろん違う詩もあるけれど。


○湿原氏

パロディとか引用とかコピーといったものが現代思想のなかで重要な概念であることと関連するかも知れませんね。そうした書きうつされたものをそうしたものとして楽しめるのは、元ネタを知ってこそですし。どの情報を別のどの情報へリンク(創造?)させていくかは読者の能動性 に懸かっている。


◇帆場

そういう詩もあり、なんですが益々一般人からは離れて行きますね。大衆的な詩作品の登竜門もあるべきだと思うのですが。しかし、そういった言葉の鉱脈は掘り尽くされているのかもしれないですね。ARの詩などは多数に解る詩の世界への試みかも知れませんね。

と、言う対談をしましたよてのをカクヨムに

乗せたらどんな反応が来るだろうかw

多分、公募経験のある方は居ると思うんですよね。余談ですがそもそも詩人と言うけど詩家とは言わない。小説家、画家、とは言うのにね。詩人とはなるのでなく現れるものなのかな。


※拡張現実を用いた詩作品。nika氏がセカイカメラというアプリを用いて展開されていた。現在はアプリはない。


○湿原氏

誰だったかが言ってましたね、詩人は職業ではなく、そういう人を指すので詩家とは言わないんだ、とか。言葉に素手ある人とでも言えましょうか。対談記録いいですね。反応あるでしょうか。

あと、AR詩は知りませんでした。街のデザインとして、キャッチとしての詩が窓になるのかもしれません。現代詩手帖系に入っていく人は、あまりいないでしょうが。



○湿原氏

詩の窓口が狭いですよね。詩の雑誌は少ないし、詩集も書店に置かれないし、あっても高いですし、中は不案内だし(人によるけど)。やなせたかしの創刊した『詩とメルヘン』はいまもあるのかしら。解離の原因はそうした経済的要素のほうにあるんじゃないかと思ったりもします。


◇帆場

詩は売れない、に尽きるのですかね。


○湿原氏

売れないのは、環境作りに失敗してるから(飽くまで多くの人に読まれることを目的にした場合)なんじゃないかと。詩集は作者からも出資して自費出版に近いとも聞いたことがありますし、読まれる詩になるには詩手帖とは適度な距離を保つのも必要な気がしてます。タヒさんなんか見てると余計に。


◇帆場

一つには読まれる環境づくりですね。後は古くからある日本でのポエム的イメージが未だに尾を引いているような。吉田戦車の漫画などでポエムは笑いの種でしたからね。感情のつぶやき、や作文をポエム=詩にしてしまったからかもしれないですね。ポエムというとき気恥ずかしさ、が存在している。

後は学校教育で教える教師に素養がない。仕方ないですが……


○湿原氏

国語の授業で教えられるのは技法だけなので、詩は比喩ってことになっちゃいます。ところで「作者は何を伝えたかったのか」というのが国語の授業へ否定的に言及するときに挙がる悪い例の代表格を、わたしは国語の授業で遭遇した記憶がありません。国語の授業は技法や合理的な文の解釈の力を養う勉強。


◇帆場

あー、作者の気持ちを答えよ、みたいな奴ですかね。ぼくは授業自体を放棄して自習してたくちですが、テストで見たことないですね。

芥川や太宰の気持ちなんぞ、

子供は知らんでいいww

登場人物の気持ちの類推ならありましたね。しかも論理的に答えよ、という先生がいて三段論法とか教えてきたので、その先生の授業だけは結構聞いてました。技巧や解釈法が述べられるので気持ちよかった。


○湿原氏#理系

ふと思い出したことだけど、国語でなく数学ですが、大学出たての先生が、ふたつの式が同じものであることを証明してみせてくれたんですが、数学愛に溢れて熱がすごいんですね。やがてふたつの式がべつの1つの式に到達したのを見たとき、私は数学に文学を感じました。ジャンル分けしたら恋愛物でした。


◇帆場#人間失格

その感覚の共有が詩や文学になるのかな。出逢ってしまった!みたいな証明された感覚はなんとなく解るなぁ。

文系は感覚的だとか良く言う方がいるんだけれど文系は理論立てて物を考えてますよね。本来、関係ないんだ。だから数学の美しさ、も理解できる。(帆場は馬鹿なので間違っても数学については聞かないように)


○湿原氏#理系芥川属

私は理系と言われるんですが、私が理系なら芥川もきっと理系だと思ったりしてます(思い上がりが過ぎる)。


◇帆場

萩原朔太郎も理系じゃなかったかな。宮沢賢治も農業を理化学的に捉えていたはず。


○湿原氏

観察的なものが理系の印象をつくってるんですかね。賢治なんかはほんと科学用語を組み込むのがほんとうまい。真似したくなりますものね。


◇帆場

しかし賢治はあくまで法華経を詩に描いていたのではないかと感じますね。方言と科学用語の融合は当時はまだ早すぎたんでしょうね。


○湿原氏

法華経読まなきゃなぁ。中也なんかが賢治を誉めてたとあとで知ってやっぱりと思いましたね。科学用語の入った詩が彼にはあって、なんか賢治っぽいと思ったけど、中也は中也なんですよねw


※この後、ツイッターやカクヨムの詩人さんたちで連作、企画などを出来ないかと脱線している。

でもやりたいなぁ、興味ある方はご連絡を!


◇帆場#厚顔無恥

またご相談します。

とりあえず今日のやり取りの一部を現代詩って何よ⁈と言う

記事に転用してもいいですかw


○湿原氏#謙虚

ぜひぜひ、どこなりと切り取って使ってください。多分にその場その場の思い付きなので、あとで恥ずかしくなりそうですが、問題はありません。


◇帆場

ありがとうございます!

大変、面白かったです!

また、お暇ならお相手くださいw

では、では。


○湿原氏

こちらこそ、今日はいろいろな話ができてよかったです。ありがとうございました。これに次第次第人数が加わっていくといいですね!


○湿原氏 & ◇帆場

思えば詩を書く人と会話したのは初めてな気がします。拡がって、対話でなく懇談会になっていけばいいな。


2018.6.27


お相手頂いた湿原工房さんに感謝を。湿原さんの作品はこちらです。

https://kakuyomu.jp/users/shizuki



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