10話

 重さだけではない。

 びりびりとしたなんとも言えない摩擦のような〝なにか〟が部屋の中を駆け巡った。ヒリヒリと肌が泡立つ感覚を覚える。


 ―――怖い、そう思ってしまう。『恐怖』の二文字が頭のなかに増えていく。




 それでもレイラは前を向いた。

 これは敵による1つ目の宣戦布だと。

 戦いはすでにもう始まっているのだと、己の精神に叱咤して前を向いた。

 怯えて身体が震えそうになっても。『怖い』と弱気になって想いが揺らぎそうになっても。

 それでもレイラは前にいる敵を見た。真っ直ぐに見据えた。

 半分は勇気、もう半分は自己暗示による虚勢だが―――だけども真っ直ぐに前を見た。男に負けないというその意地で。










 やり過ごせたのだと分かったのは何分、いや何十分ほどあとのことだっただろう。




 シンと静かな謁見の間のなか、先に押し負けたのは相手の方で。

「……フン」

 男が目を閉じると部屋のなかを縛っていた緊張のような〝なにか〟が消えて軽くなった。重かった雰囲気が少しだけ和らいだようで、レイラは小さくそっと息を吐く。だが同時に抑えていた身体の震えがどっと一気に襲ってきた。

 青くなりそうなのをこらえ、急いで深呼吸をして調子を整える。目の前の敵に知られないように注意しながら。



 そのことに気づいていない男はゆっくりと目を開けて言う。

「君と顔をこうして顔を会わせるのは初めてだね。ずっと探していたから、見つかってよかった」

と。

 さっきの威圧的な態度とは違い、これは最初に言葉を発した時と同じなようだ。どこか人懐こい印象、あるいは好青年のような爽やかさを感じる。

 だがくるくると雰囲気が変わる様子に警戒心が解けることはない。ついさっきのことを思いだして、どうしても疑心暗鬼になってしまう。


 とはいえまた無言でいると以上のものが来ることは間違いない。ここは無難に返事を返すことが吉、そう思ったレイラはとりあえず。

「……どうしてあたしなんですか?」

 率直に本題をぶっ刺した。気になったから、ただそれだけの理由で。






 「……理由、とな」

 対して男は立てていた腕を横に戻した。それから立ち上がると何を思ったのか段差をゆっくり降りて近くにまで寄ってきたのだ。


 ―――焦る。近づく男に逃げそうになる。

 しかし逃げようと思っていても身体が言うことを聞かない。両腕は後ろに縛られているので動かせる足でしか少しずつ後ろにさがることしかできないのだ。

 それでも近づかれるくらいならと、レイラはどこまでも抵抗した。嫌な予感というのだろうか、このままでは追い詰められてなにかされるような気がしたから。



 されどもレイラと男の距離はグッと近くなった。

 原因は二つ。そもそも座って後ずさりするのは思った以上に遅く、また男の歩幅と速度が早かったからである。

 もうひとつ付け加えるなら―――男は距離30ミメトルまで来ると腕を伸ばし、

「っ痛!!!」

 赤みがかった金色の長い髪を鷲掴みにして引っ張ったことだろうか。

 痛みに顔をしかめるレイラには目もくれず、顔の近くまで引き寄せたのだ。彼女の顔をこちらに向けさせるために。


 そして言った、

「一つ、貴女は勘違いをしている」

 と。

 痛みと混乱で睨み付けることもできないレイラ。その顔をみて男は口角を上げると、

「そもそもワタシは貴女の父親など眼中にない。怒りはあるが別にどうでもいい。どうとでもなることは分かっていたし、いないならいないで好都合だったからな」

 静かに話し始めた。


「狙った理由? そんなものは一つしかない。ワタシは貴女をずっと待ち焦がれていたのだよ。美しくも醜く、穢らわしい貴女を―――

 憎悪に歪んだ瞳をみせ、少しばかり言葉を切ったのち。

「ああそうだ、貴女に名乗るのを忘れていた」





 ―――男は名乗った。

「ワタシはグレン・ノワル・ドラゴロード。グラスウォール王家をこの手で根絶させた者。遠い昔に貴女を殺す誓いをたて、それを果たすためだけに王になった男だ」

 鷲掴みにしていた髪を放し、倒れるレイラを蔑むような目で見ながら。



 胸元に揺れている牙の形をしたネックレスが黒く鈍い光を放った。

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