第十六話[何が出来るというのだろう]

 ラウンジでお茶を飲んでいると、先輩が肩を叩いてきた。セミロングの明るい髪をバレッタで留めた優しげな佇まい。

「どーしたの、浮かない顔して」

「そうですか?」

「うん。ここにこう、ちょっとだけシワが」

 先輩は自分の眉間を指さす。

「ほんとですかぁ? やだぁ」

 わざと語尾を引きずってへらっと笑う。

「困ってることあったら、相談してよ? いつだって力になるから」

 先輩と関わるたびに、フィクションめいた出来の良さを感じる。凡庸な私からすると気おくれすら覚えるような。ひとつとして傷が見えない。優しく、美しく、完全で。

「実は、悩んじゃったりもしてるんですよね」

 先輩はするりと私の前の席に腰かけた。押しつけがましくない、ぎりぎりの角度で前のめりになって私の目をのぞき込む。重すぎないけれど真剣な表情。この人はそういうのが抜群に上手い。

「利用者さんとどう接したらいいかとか、考え出すときりがなくって。どこまで踏み込んでいいのか、どこまで自分をさらしたらいいのか、なんて」

「それこそ、相手によると思うな。みんな人なんだよ。私ときみだって、価値観は違うじゃない。でも、瑠衣ちゃんと楓ちゃん、相性いいと思うのよね。けっこう気難しい子で、ほら、頭もいいじゃない。ここのところ表情が柔らかくなった気がして、わたし安心してたの」

「そう、ですかね」

 私が感じている壁が、きっと先輩には見えていない。誰もが微笑んで手を取り合えるなんて、心の底から信じているような人なのだ。恋は盲目というならば、先輩は全人類に恋をしている。不幸も争いも、愛さえあれば乗り越えられると信じて疑いもしないなんて。

「私は彼女の痛みをわかってあげられないし、わかるふりもできないんです。苦しんでいる人がどんな風に支えてほしいのか、何を望んでいるのか、私にはわからないんです」

「誰もがおんなじように苦しみを与えられているわけじゃないもの。それは仕方がないよ。だから想像するんでしょう? 人には想像力があるんだから」

 でも、と返しかけてやめた。私が先輩には見えない壁に苦しめられているように、先輩は私には感じられない神様を信仰しているのだ。宗教なんて言ったら怒るだろうけれど。この人の心を覗けたなら、そこにはどんな幸福な世界が映っているのだろう。好奇心はあった。ただ、妄信的な正しさに深く突っ込んでいくのは怖くて、結局黙ってしまう。私はたぶん、就職活動の足しにする程度の重さでボランティアを続けるだろうし、そうである限り先輩の価値観とは平行線のままだ。どこまでも交わらないまま、光あふれるラウンジで中身のない話をするのだろう。

「ありがとうございます。お話、聞いてくれて。あ、そうそう。この間おっしゃってた募金活動の件なんですけど。今週末なら行けますって言おうと思ってたんです」

「あら、本当? 奇遇ね。わたしも今週末にしたの。楽しみ、瑠衣ちゃんと行くの」

 まるでピクニックにでも出かけるような調子で返されて首筋がすっと冷える。変わらず続いている雑多なざわめきに、耳鳴りが混じった。

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