第九話[みんなと同じ]

 小麦粉の肉に、あんこの臓器。鯛焼きは鉄板の上で次々生まれる。油を塗る、生地を流す、あんこを落とす、鉄板を閉じる。ひっくり返す、開く。これで完成。一列にずらりと並んだ鯛焼きはみんな同じ顔をしている。幾つも同時にできる金型で作るのを養殖と呼ぶらしいけれど、なるほど大量生産らしい面構え。かえりみれば私も至って量産型の姿をしていて、すなわち黒のタイトスカートに白ブラウス、ジャケットという就活スタイルである。馬鹿だよなとは感じている。だっていつ死ぬかわからないような新卒を雇うところがある? 私だったら書類の段階でお断りだ。費用対効果が悪すぎる。だからといって、ほかにすることは思いつかない。みんなと同じようにって流されて生きてきて、今更どこへ行ってもいいよなんて告げられて、歩き方なんて忘れてしまったよ。いっそ一人旅でもしようかな、面倒だな、なんてそんなループ。

「よぅお嬢ちゃん。今日も買ってくれるんかい?」

「ごめんなさい。母がケーキ焼くっていうから」

 昔ながらの店舗には、客と作業場を隔てるガラスがない。ざっくばらんなおっちゃんの声は直接耳に届く。通いはじめた当初から気さくに声をかけてくれたこの店長には、微妙にフランクな言葉遣いになる。軒先で壁に背中を預けて、商店街をぼうっと眺める。何もしないのは気が狂いそうだけど、新しく何かを始める気力もない。そもそもこの人生に意味があったのかどうか。地味で特徴もなくて、美人でもなければ大して頭も良くない。体育会系でもなければ特技もない。十人並みの経験と能力で働き口を探している。これでは元々、厳しい戦いであったに違いない。おまけがついたから、なおさら。

「店長。働くってなんなんでしょうね」

「俺に言われてもなぁ。ちゃらんぽらんに生きてきたもんで」

「ちゃんとお店を切り盛りしてるじゃないですか」

「今はな。明日は知らん」

「自由ですね。いいな」

「さてどうだか。まぁ大人になるってのは普通、責任を負うことだからな」

「負えない人間はどうしたらいいですか」

「俺なんかはその手合いだね。無責任でいたい。何にも縛られたくないって思ってきたからさ」

「私も、店長みたいになれるでしょうか」

「お嬢ちゃんは真面目そうな顔してるからなぁ。難しいかもな。真っ当に仕事をするような人間はよりどころがないのを不安に思うんじゃないか。敷かれたレールを嫌がる奴は多いが無かったら無かったで困るんだろう」

「レールなんてもう見失っちゃいました」

 苦笑いが漏れる。会社説明会の資料を出して、薄いパンフレットを筒の形に曲げる。手のひらに片方を押し当てて、ずいと差し出した。店長は不思議そうにこちらをうかがっている。

「私、死ぬんです。光ってるから」

 声が揺れた。ほら、困っているじゃない。個人の事情に赤の他人を引きずり込むのはいけないよ。内心で自分をたしなめてみても遅い。発した言葉はもう戻らない。

「や、ごめんなさい。いきなりこんな、おかしいですよね。忘れてください。就活嫌になってつい、ていうか」

 鉄板の上で鯛焼きが空虚な目でこちらを観察している。無生物にも馬鹿にされているってわけか。被害妄想なのは理解していても沈んでいく心は止まらない。みんなと同じで良かったのに。特別さなんていらないのに。ただ流れていくことすらできなくて、取り柄だったはずの真面目さはちっとも役に立たなくて。治療に先なんて見えなくて、実験にすぎないのはわかっていて、でも縋りたくもなって。手の甲が濡れた。雨だと思った。視界が滲んではじめて涙と気づく。気づいてしまったら抑えられなくなった。唇を噛んで声を殺した。鼻水が垂れてきて舌打ちしそうになる。こんな時まで可愛くない。ハンカチを顔面に押し当てた。

「すまんかったな」

 店長がぽつりと呟く。

「お嬢ちゃんがそんなに追い詰められてるとは思わなんだ。許せとは言わん。俺は今、鯛焼きくらいしか作れないもんでな。お家でケーキが待ってるお嬢ちゃんには何もしてやれんのよ」

「……ください」

「何を」

「全部買います。その鉄板に乗ってる鯛焼き」

「食うのか?」

「そうです。悪い?」

「悪いだろ、健康に」

「私にそれを言います? 無意味ですよ」

「あんまヤケになるもんじゃないぞ」

「ささやかな自傷行為ですよ。いいじゃないですかどうせそれ売れ残るんでしょ」

「あのなぁ」

 怒ったかな。思わず肩をすくめた。けれど店長はただ呆れた顔をしている。なんだ。

「お嬢ちゃん」

「なんです?」

「本気で困ったらウチで雇ってやる。だからあんま自分を追い込むな。気楽にやんな。どんな人生も一回こっきりだからな」

「明日やめるかもしれないんでしょう?」

「可愛げがねぇな。お嬢ちゃんが学校を出るまでは続けてやるよ。まぁ泣きたくなったら来い。他に客がいなかったら好きなだけ泣かせといてやる」

「人がいないとき限定ですか?」

「あそこのオヤジは女の子をいつも泣かせてるなんて噂が立ったらまずい。それこそお嬢ちゃんが困ったときに頼る所がなくなっちまう」

「とか言って、受け入れる気なんてないんじゃないです?」

「そりゃ、信じてるからな」

「わ、軽率に重い言葉使いますね」

 涙の痕はもう乾き始めている。店長は気付いているのだろうか。私が家で泣けないことに。いつもお母さんが先に泣いてしまう。お父さんはお母さんをなだめるので精いっぱい。お腹を痛めて産んだ子を先に亡くす苦しみは想像に余るけれど、私だって大声で泣きわめきたいときもある。思い残すことは残してしまう親のことくらいで、もっと夢とか抱けたら良かったのになとは考えてしまうけれど。

 一度涙を流したら、少しだけ強くなれた気がした。簡単なことだ。残された時間が短いのなら、苦しんでいる暇なんてない。楽しいことをしよう。まずはお気に入りのお店に服を買いに行こうかな。もし就職が決まらなかったら、アルバイトをしながら時々旅行をしよう。近くでいい。普段は見ない景色を探そう。

「店長、ありがとう。元気出ました」

「良かったな。今度は買ってってくれよ」

「買い占めにきますね」

 妙に爽やかに手を振りあって別れる。どんなに凡庸でも、私がたった一人の存在だってことは変わらないのだ。

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