第八話[逆縁]

 ゴミ捨て場で固まっていた井戸端会議の一団に、矢口さんの姿を見る。大勢の奥様を従えるボスの貫禄である。慌てて目をそらしても遅い。視線が一瞬だけぶつかった。厄介なことになったと頭を抱えるのも許されない。朝っぱらからなんて面倒なのだろう。

「おはようございます」

 表面上はあくまで笑顔を心掛ける。しかし気持ちは許さずに。親しくなる気はさらっさらない。この人の嫌なところは身に染みている。遠巻きに見ている私でさえ。暗い噂はいつも絶えない。喋ったってばれたら何されるか、と顔をこわばらせるくせに話だけが流れてくるのはどうしたものか。

「あら、塩原さん。ごきげんよう」

 なーにが御機嫌ようだ。十数年前にミッション系の女子校に通っていたのがそんなに自慢か。いや、いけない。あまり荒ぶると興味があるみたいに思われかねない。視線って意外と出るのよね。落ち着いて見渡せば、集まっているメンバーはみんな致死性発光症患者を子供に持つ親たちだった。大概は小さい子だけど、向かいの和泉さんとこのハルちゃんはうちの娘の一コ下だ。自分より先に子を亡くすのは変わらず苦痛なことだとしても、やはりあまりに幼いのは同情してしまう。だって、私たちが見てきたような成長過程すら知らずに終わってしまうわけだもの。といって、横柄に振る舞う理由にはならない。不幸にかこつけて何かを要求しはじめたらいけない。少なくともお近づきにはなりたくないと思ってしまう。矢口さんが口を開いた。

「佐野さんところはどうなの、最近」

「最近?」

 すっとぼけると、お嬢さんの調子はと踏み込んでくる。ぶしつけな。

「どうもこうも、もう大人ですからある程度は任せてますよ。相談しやすいようにとか、支えになれるようにとは考えてますけど」

「もう四年生でしたっけ? 卒業されたらどうするの?」

「いまは就活してますよ。普通にしていたいらしくて。無理しなくてもいいんですけどね」

「真面目ねぇ」

 癇に障る笑い声を立てる。お追従のように周囲からもさざめきがたつ。和泉さんが肩を縮めていた。遊び歩いているってちらっと聞いたから、そのあたりをいじられていたのだろうか。ハルちゃんとうちの子は昔から正反対で、目立たない真面目ちゃんと可愛らしいイマドキの子に成長していくのが面白かった。本人たちはもう話もしないくらいの間柄だけど、親同士は時々、互いの家に上がり込んでお茶をしたりする。助け船を出したい気もするが、今は何を言っても転がされるだけのようにも感じて、うまく言葉が出ない。

「そういえばねぇ」

 この導入は良くない。自慢話。それも不幸自慢が待っている。自分が世界で一番不幸だと言い募り、他者の境遇を鼻で笑うような。

「ウチの子、また入院してるんだけど。相部屋になった子の親御さんが辛気臭い人でね。毎日病棟の入り口のトコで泣いてんのよ。声かけてみたら癌でもう長くないって話で。でも正直カラダが残るだけ良いと思っちゃったのよね。だから言ってやったの。ウチのは消えるんです、お骨も残らないしまだ小さいから思い出のモノとかも少ないし、頑張って写真をたくさん撮ってますって」

 なんつう馬鹿なのだろう。自分のことしか見えていない。己がどれだけひどい目にあっているか主張するばかりで、他の人間にも同じように人生があるなんて思いもしないんだろう。逆縁は、子が親を追い越して死んでしまうのは常に、誰にとっても悲しいことなのに。ただ涙することさえ許さないなんて。どうしてわかりあおうとしないのだろう。せめて放っておいてあげないのだろう。

 歳も原因も背景も関わりなしにみんなで静かに悲しめたら良いのにね。未来を変えられないのなら、今をどれだけ捧げられるかしかないのに、こんな茶番に付きあって馬鹿みたいだ。

「ごめんなさい。ちょっと電話を掛けなくちゃいけなくて」

 会釈をして立ち去る。今日は面接だって言っていたから、あの子の好きなケーキを焼こう。

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