第8話 ハッシュタグの裏


ハッシュタグをつけた言葉に、一体どんな意味があるのだろう。

ハッシュタグさえつければ、その人は親友にでも恋人にでもなりうるのだろうか。偽りの愛してるも大好きも、ハッシュタグの力を借りればいかにも本物らしく見えるのだろうか。

SNSに華やかな投稿をする人は、本当に幸せなのだろうか。あのふわふわで美味しそうなパンケーキの写真を投稿した彼女は、今一人で泣いてはいないか。恋人とのツーショットを投稿した彼は、その足で浮気相手の家に向かってはいないか。

わからない、わからない、ハッシュタグをつけた薄っぺらい言葉で、誰かの何かを判断することなんて、私にはできない。

そしてきっと同じように、こんな薄っぺらいもので、誰かに私の何かを判断してもらうことなんて、絶対にできない。


誰か、本当の私に気づいて。

ハッシュタグなんか取っ払って、本当の私を見て。


いや、だめだ。本当の私なんか見せたら、みんな離れて行く。楽しそうで、美味しそうで、充実した、きらきらした写真で形作られた私にしか、みんないいねしてくれない。


どうすればいいの。

ハッシュタグをつけて助けてと叫んでも、誰も助けてくれないじゃないか。

誰か、助けて下さい。誰か――



***



#今日はありがとう

#bestfriend

#一枚目事故画だね

#笑


ありきたりなことを謳ったハッシュタグをつけて、アプリで加工した友達との写真を投稿する。ぴろん、と軽快な音と共に、フォロワーからのいいねが届く。ほっ、とする。これで、よし。私はベッドに携帯を投げ出して横たわる。


これで今日も私は、女子高生でいられる。


ラインを開くと、友達から今日の写真が届いている。そこに写る自分は楽しそうに笑っていて、私は安心する。


よかった、ちゃんと楽しそうだ、私。


イヤリングとブレスレットを外して、ベッドのどこかに放り投げる。窮屈だ。メイクするのもアクセサリーをつけるのも、お金ばっかりかかるし、自分が周りからどう見られるか考えるのはひどく疲れる。

こんなことを思っているなんて、誰にも言えない。私は女子高生だから。きらきらの、華の女子高生。友達もいて、最近彼氏もできて。頭はそんなに良くないけれど、メイクは割と上手なほうだし、顔も悪くない。放課後は新しくできたカフェに行って、何時間も友達とお喋りする。SNSの毎日投稿は欠かせない。今日も楽しかったぁー、のあとには笑顔の絵文字。


全部、全部、偽りだ。


私はベッドから立ち上がり、部屋を見下ろす。溜まったゴミ袋、食べかけのコンビニ弁当、くしゃくしゃの服。テーブルの上には千円札が置かれている。母親が帰って来たんだろうな、と思い、私はそれを無造作にポケットにねじ込む。そばに置いてあった紙には、「夕飯代。今晩も彼氏のところに泊まるね」という文字。汚い。汚い汚い汚い。私はそれをぐしゃぐしゃにして床に捨てた。


ぴろん、ぴろん、と携帯が鳴る。いいねの通知だ。私は逃げるように携帯を開く。大丈夫。クラスメートのあの子も、隣のクラスのあの子も、いいねしてくれている。私は、認められた、と感じる。私という存在を。みんなと同じ、普通の女子高生でいていいんだと。

その時、別の通知音がした。メッセージアプリの音だ。開くと、彼氏からだった。少し前から付き合っている、同じクラスの男の子。背が高くて、バスケが上手くて、校則違反ぎりぎりのラインで髪を茶色く染めている。好きなバンドが同じで話をするようになって、仲良くなって、彼から告白された。断る理由もなかった。彼とは話が合って楽しいし、周りからも付き合うのは時間の問題だと言われていたし。けれど、本当の理由は別のところにあった。


彼氏がいれば、私は、周りから認めてもらえるから。


最低だ、と思う。こんなことを考えて人と付き合う自分は、本当に最低だと。汚い。醜い。でも、どうしてもそう考えてしまう。どうしたら周りから普通に見られるか。願わくば、普通より少し上の、きらきらした充実した女子高生に見られるか。そうすることでしか、私は自分に価値を見いだせない。


「みさと、今、何してる?」

「ん、家にいる。友達と映画行ってきて帰って来たとこ」

「そっか、連絡ないから心配した」

「ごめんね」

「ううん。みさと」

「うん?」

「好きだよ」

「うん、私も」


メッセージアプリを閉じる。


あぁ、馬鹿みたい、私。



***



私、柏木みさとは、このボロアパートに、母親と二人で暮らしている。両親は離婚して、父親は遠くの町に住んでおり、もう長いこと会っていない。母親は夜の仕事をしていて、家を空けることが多い。父親からの金銭的援助と、母親の稼ぎのおかげで、食べることに困るほど困窮はしていないが、それでも、周りのみんなと比べると生活は貧しい。住んでいる場所も、絶対に知られたくないし、メイク道具もアクセサリーも、安いものしか買えない。どうにか人並みの生活が送れるように、必死に取り繕っている。


だからかもしれない。私がSNSで、お金も心も磨り減らしながらきらきらの写真を投稿し、いいねをもらえることに必死になっているのは。


馬鹿みたい。


誰も、本当の私を知らない。一番仲の良い友達も、彼氏も、先生も。彼らが普段接している私は、私ではない。偽りでできた、汚いものを必死に隠した私。


気づいて欲しいのだろうか、私は。時々思う。けれど、本当の私を見たら、みんな離れて行くことは容易に想像がつく。本当の私は、みんなに認めてもらう価値なんて一ミリもない、ダメ人間。見栄っ張りの、偽物。やっぱり、だめだ。絶対に、本当の私を見せてはいけない。


もう、日が傾きかけていた。どこからか、ご飯の炊けるいい匂いがしていた。窓から外を見ると、嫌になるくらいオレンジ色の夕陽が街を照らしていた。私は思わず、手を伸ばす。届かない。当たり前だ。届くはずがない。あの綺麗なものには。


「お腹すいたな」


くしゃくしゃになった千円札で、私は今晩も一人でコンビニ弁当を食べるのだろう。そう思うと、私は穏やかな夕暮れに耐えられなかった。ぴしゃりと窓を閉め、ベッドの上にうずくまる。


#寂しい


なんて、つけて投稿したら、きっとメンヘラだって笑われるんだろう、な。


私は打ちかけた文章をすべて消して、コンビニに行くために立ち上がった。







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夕暮れに住むひと 夕空心月 @m_o__o_n

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