蛍雪の園
もりひさ
蛍雪の園
猫に誘われて新品の靴を履く。今日はどこに行くのだろう。
一週間前ぐらいから猫は来ている。
隣家に越して来たのだと言う。近所に手紙と引っ越し蕎麦を配る辺りは少し時代的な猫だと思った。
猫が始めて家に挨拶しに来た時僕に仕切りに叔父の話をした。どうやら僕の叔父に深い恩があってその関係を
やはり時代的な猫だ。
今日はやけに寒い。雪道に足が軋む。
猫はやけにスタスタと歩いた。時々寒くないかと聞くと
「私は毛皮厚いものですからカイロでもあれば温まるには十分。幸い身の丈も小柄でありますので」
そう言ってハッと猫は僕を見上げた。
「お寒いのであれば一度甘味所にでも入りましょうか?」
一人で納得しかけている猫を身体で制して僕は先を歩いた。猫も慌ててついてくる。
「あと少しです」
そう言って猫はひょいとブロック塀の上に乗った。こんなブロック塀には登れそうにないと言うと
「それでは正面の門から登って来てください。門は開いているでしょうから」
そう言われて門側に回った。一面コンクリートの住宅街その中でここだけ竹林なのである。
猫は門の横に隠れていた。奥に井戸が見える。どうやらあの井戸へ行くらしい。
猫は既に井戸に飛び込む準備をしていた。人間でいうプール前の準備体操である。
ここに飛び込むのか、と聞くと
「それが目的でここに来たのでしょう」
と意地悪に言った。
井戸は深い。だが、猫が先に行ってしまったので飛び込まずにいられなかった。
目は開く。手の感覚は少しある。全身はまだ動かない。
暗い。やたらと仄暗い場所にいることがわかった。夜だろうか。
それにしても暖かい。
目を開けるといいでしょう。と聞き慣れた声がして目を開けた。
蛍が待っている。夏草が生えている。
蛍がチカチカと星のようであった。
溶ける。やがて溶ける。雪も
あんなに辛い思いなどまるで嘘だったかのように。
蛍が舞う。猫は澄ました顔で僕を見上げていた。
「どうでしょう。綺麗でしょう?」
蛍が綺麗で星が綺麗で流れ星が過ぎ去って行く。
プラネタリウムみたいにグルグルと回る。
ああ、星だらけだ。
ふと、瞬きするとまたサクリと寒さがあった。雪道に座っていた。
また気絶したようである。猫もいない。コートの雪を払って帰った。
家に帰ると風呂に入って髪を適当に洗い日記を書いて寝た。
実はあの場所は夏になれば今日と同じように無数の蛍が見えるんじゃないかと思った。
悪くない一日だった。
蛍雪の園 もりひさ @akirumisu
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