第7-1話 大怪盗アルバトロスは闇夜に舞い降りる

1925年3月21日、深夜23時頃


アルバトロスの予告時間まで1時間を切ったライオネル邸内は、異様な緊張感に包まれていた。既に警察とBOI特殊部隊は持ち場につき、あとはアルバトロスが現れるのを待つばかりだ。

アーサーは指揮を執るべく、ライオネル邸の庭に停められた特殊車両に積んである無線機の前で、アルバトロスが来る時をただじっと待っていた。アルフレッドは調べ物をすると言ったあと、戻ってくる事は無かった。元々現場向きの人材では無い為、アーサーはそれを咎めることはなく、明日になればアルバトロスの身柄と共にアルフレッドの突き詰めた真実を知る事になるだろうと、そう考えていた。

さらに40分ほどが経ち、無線で送られてくる情報を整理しながら、アーサーは用意していた包囲網が全て準備完了した事を確認する。

あとは待つのみ。定刻通りであれば、もうそろそろだ。宝石を配置した2階中央付近の部屋を外から見ながら、アーサーは周囲に目を凝らしアルバトロスが現れるのを待った。

すると、突然屋敷2階の窓が白煙に包まれる。一瞬、火災の可能性が頭をよぎったが、不自然な煙の発生にアーサーは瞬時にそれを理解し、叫んだ。

「アルバトロスだ!ヤツが出たぞ!」

庭に警備していた人間が、一斉に屋敷の2階を見上げる。アーサーは無線機に駆け寄ると、すぐさま邸内の舞台に命令を飛ばした。

「ブラボーは左階段から、チャーリーは右階段から上がれ!アルファの援護をしろ!デルタ、エコーは引き続き庭で待機、奴が飛び出してくるのに備えろ!」

矢継ぎ早に飛ばされた支持に、それぞれ小隊長からの返事が聞こえ、邸内で大人数の移動する音が聞こえた。すぐにそれは視界でも捉えることが可能となり、廊下に姿を表した真っ赤な衣装を身に纏ったアルバトロスが、挟み撃ちの形になるのが見て取れた。

――捕らえた!

アーサーはそう確信する。その場の誰もがそう思った。この大人数を前に挟み撃ちされたアルバトロスが逃げられるはずがない、と。しかし、その思考は突如鳴り響いた破裂音で遮られた。2回廊下中央付近の窓ガラスが粉々に吹き飛び、それと共に窓の外へと飛び出した深紅の影にその場にいた誰もが目を疑った。アルバトロスは体に纏ったマントをグライダーに変形させ、そのまま風を受けながら……いや、それ以外に何か動力を借りているのか、とにかく空へと舞い上がったのだ。

誰もが呆気に取られ、夜空を見上げるしかなかった。ライオネル邸は静寂に包まれ……そして一発の銃声が突如鳴り響いた。アルバトロスへ向けて放たれたソレは当たったようには見えなかった。誰もが銃声の元に目を向けると、そこには硝煙を燻らす拳銃を片手にアーサーがたっていた。

「ボサっとするな!すぐに奴を追え!」

当たるはずがないと分かっていながら放った一発の弾丸は、アルバトロスではなくライオネル邸を警備している人間全員に向けて放たれたものだった。銃声とアーサーの怒声を聞いた警察官、特殊部隊員はすぐ様機敏に動き出すと、小隊毎に車に乗ってアルバトロスを追い出した。アーサーもすかさずアルファチームの車両に乗り込み、アルバトロスを追う。

「奴は南西方向に逃げた。その先はサウス・ブロンクスだ!路地を包囲する様に追え!警察隊は正面から、デルタとエコーは東、ブラボーとチャーリーは西から包囲しろ!アルファは2名だけ残し、現地に到着次第警察隊に合流だ!」

アーサーの的確な指示に、無線から各隊員達の重なりあった了承の声が聞こえる。けたたましいサイレンの音を鳴り響かせながら、アーサーたちはサウス・ブロンクスへと最短最速のルートでアルバトロスを追って行った。



スピーキージー、スロットを出たジョン・E・ウェスコットは、サウス・ブロンクスの路地裏がにわかに騒がしい事に気が付き……と同時に、路地裏に消えていった人影を見た。瞬間、何かゾッとする様な気配を感じ取り、思わず後ずさる。酔いは一瞬にして醒め、警察官としてあの得体の知れない存在を追わなければ……そんな使命感が彼を支配する。

だが、今は対した装備をもっている訳では無い。ジョンは普段から銃を持ち歩くことは無いが、今日はサウス・ブロンクスに来たこともありリボルバーだけ所持していた。手錠も、換えの弾薬も無い。そんな状況で、得体の知れない存在を追うべきなのか。自分の命を優先すべきではないか……しかし、先程から聞こえてくる路地裏に響く人の声は、恐らくソレを追い掛けている警察官だろう。ならば、銃声さえ響かせらられば応援に駆けつけてくれるはずだ。加えて、何度も言うが彼はこう見えても正義の人間だ。目の前で起こった何かしらの犯罪を見過ごすわけには行かない。その後どうするかは、その時に考えれば良いことである。

わずか十数秒で思考をまとめると、ジョンは銃を構えたまま慎重に路地裏へと入っていった。息を潜め、街灯の灯も届かない暗闇を、神経を研ぎ澄まし気配を辿る。

彼が何故これほどまで緊張していたのか、それは彼自身にも答えられないだろう。言わば彼の持つ第六感的なモノが、この先で待つ何者かが『ヤバイ』という事実だけを明白に伝えていたのだ。その直感が正しかったことを、ジョンはほんの数十秒後に知ることになった。



走る、走る、走る。

曲がり、走って、また曲がる。

悪臭と死の匂いが満ちる貧民街を、大怪盗アルバトロスは迷いなく走り抜けて行く。灯りはなく、地図もない。シルクハットを押さえ、身に纏う外套ははためき、寒空の下白い息が絶えず吐き出される。

アルバトロスにとって、運動は得意とする分野だった。それでも、休みなく走り続けた彼の両足は既に限界を迎えていた。しかし、それでも彼は走る。

アルバトロスの持つ勘――危機感知に長けたジョンとは違い、もっと鋭く研ぎ澄まされた野生のモノ――にだけ従い、無理やり両足を動かす。

彼は逃げ切らなければならなかった。なぜなら――。

また角を曲がった先、アルバトロスは途端にピタリと足を止めた。先程まで満ちていた匂いとは違う、感覚ではなく嗅覚に直接届く悪臭が鼻をつく。目深に被ったシルクハットの縁を、そっと上にあげる。彼の目の前には、白いフードを被った集団が立ち往生していた。

「……なんだ、お前達」

純粋な疑問が口をついて出た。勘が狂った訳では無い。事実、その白いフードの集団の先には目的とする海へ伸びる道が見えた。

だからこそ、なぜここなのか。それがアルバトロスには分からなかった。貧民街の外れにあたるこの場所は、海も近く一通りは少なくない。昼間ならいざ知らず、夜中にわざわざがこんな寒さのしのぎにくい場所にいる理由がわからなかった。

気が付けば、先程アルバトロスがこの路地へと飛び込んできた曲がり角にも人影があった。

「ここの住人でもねぇ……それに警察やBOIでもねぇだろ。答えろ、お前達は何者だ」

腰に下げられたルガーを引き抜き、集団の先頭に銃口を向ける。背後から決して気をそらさず、目の前の最も近い障害に威嚇をするが、彼らは全くと言っていいほど動揺している様子がなかった。その様子を見て、アルバトロスは首を傾げる。いくら一対多数とはいえ、銃を向けられて怯まない人間がいるだろうか。先頭に立つリーダー格と思しき人物ならともかく、この場にいる白いフードの集団は誰一人として動揺している様子はなかった。

ギャングやマフィア、はたまた歴戦の警察官や軍隊であればその反応も合点が行くが、少なくともアルバトロスには彼らはそう見えなかった。

「お前ら、もしかして……」

その瞬間、背後から何かの物音が聞こえた。白フードの集団は、全員が奇妙なほどほぼ同時にそちらに目線を向ける。アルバトロスもまたそこに目線を向け……ながら、こっそりと懐から取り出した火薬玉をいくつか、足元に転がした。

刹那、路地裏が白煙に包まれる。その隙見逃さず、アルバトロスは白煙の中、フードの集団をかき分けて物音がした路地の角へと走り出した。



ジョンは路地裏を進み、その先で奇妙な光景に出くわした。白いフードを被った集団が、赤いマントとシルクハットを被った男を取り囲んでいる。ジョンが感じた得体の知れない感覚は、果たしてどちらのものなのか。取り囲んでいる白いフードの者達は味方なのか……そう考えていると、赤い男がフードの集団に向かって何かを話しかけ始めた。ジョンは耳をすまそうとほんの少しだけ体を角から路地へと現し、と同時に足元に転がる空き缶に気が付かず、コツンという小さな金属音が路地裏に響いた。

音とほぼ同時に、白い集団が一斉にジョンの方を向き……またほぼ同時に、路地裏は白煙に包まれた。目の前で突然起こった出来事の連続に、ジョンは頭の回転がほぼ止まってしまった。スローモーションを見ているように、白煙が路地を包んでいく光景をただぼんやりと眺めていると……その中から飛び出した赤い影が、ジョンの手首を掴んだ。

「走れ!」

その命令は、ジョンの体内を駆け巡り、考えるより先に体が動き出す。半ば引っ張られるように赤い男の後を続いて、ジョンは走り出した。

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大怪盗アルバトロスと最後の秘宝 田中りとます @ritomas_tanaka

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