第61話 レオニード救出 後編

《前回までのあらすじ》

アレクセイの狙いがキバの足止めにあると分かった瞬間、ダニールが引き金を引き、事態は急変した。

ミカの畳み掛ける攻撃でアレクセイは彼らの援護者が誰だったのか分からないまま車両を奪われ、山中へと追い込まれていた。宿敵の足止めは叶ったが、攻撃しているミカ自身は嫌な焦りを拭えずにいる。

攻撃できている筈なのに相手には届かないのかダメージを与える事ができない―焦るミカにアレクセイはほくそ笑むだけ。膠着状態のなか、車両をレオニードごと強奪してひた走るコヨーテ達に勝機はあるのか。

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レオニード奪還は、叶った。

ミカが足止めし、アレクセイを攻撃しているさなか、コヨーテが運転する車は獣道を凄まじい速度で移動していた。キリルの合図で車両を追従していた春輝とダニールの馬達も一定の距離を保ち、周りを警戒しながら走り続けている。

しかし、レオニードが突如、車を止めるようコヨーテに向かって声を張り上げた。窓のない車体脇を並走していたキリルは、レオニードの様子に嫌な違和感を感じて手綱を握り直した。コヨーテはギアを変え、あたりを確認しながら車を停車させる。


停車すると、あたりは静寂に包まれた。

「……引き返せ」

静けさを破った一声にしては張りの無い声だった為、キリルもコヨーテも、自分達の聞き間違いだと思った。

「レオ…?」

「聞こえただろ。今すぐに引き返すんだ。」

数百メートル離れていた春輝とダニールも停車した車両近くまで来ると馬足を止める。春輝は乗り手の要望どおり走り続けた駿馬の首を撫でて労った。

「いや。納得できない。理由を説明してよ。」

コヨーテの強い声に春輝達も事態を察して手を止め、言葉を投げ掛けられたレオニードのほうへ視線を移している。


「高い確率でリアム様はまだ生きてる。捕らえられていないんだ。一刻も、俺たちは無駄にできない…!」


今にも口を開こうとするコヨーテを制止して、レオニードは自力で身体を起こして続ける。キリルは馬を降りると、話し続けるレオニードの傍らに腰を下ろした。


「時間が無いんだ…!既にルシアン軍はこの国内へ進軍している。俺が拘束されている間にも何回か連絡が入っていた。」

「えぇ…っ!?」


大声をあげる異国人の春輝達にちらりと目を向けるも、レオニードは淡々と続ける。


「進軍してるのは本隊じゃないが相当な数だ。将軍クラスがそれぞれ率いてリアム王を探してるらしい。それだけ向こうは抜け目なく侵略をしようとしてるんだ。俺達がリアム王という手札を失ったら終わりなんだよ。分かるよな?」

「でも…!」


コヨーテは反論できる理屈を探して、眉間に皺を寄せる。反論できる大義名分など無い。オルカラドは、もはや敵の手中にあり、その掌の上で僅かな逃げ場を求めている状況だった。


「俺は確実に足を引っ張っちまう。だから頼む、リアム様を今すぐ助けに行ってくれッ!お前たちなら間に合う!」


ぐっと歯を食いしばり、レオニードは突然声を荒げた。

その視界には最早ぼんやりとした世界しか映ってはいない。視神経を負傷していた。

「悪いけど、従えない。」

「ルゥ!」

「カシラは私だ!それならレオを連れて、リアムの所へ全速力で向かう。」

キリルが抑えるのを跳ね除け、レオニードは大声を張り上げた。

「だめだッ!!本当に手遅れになるんだぞッ!!行けッ!」

「嫌だ!レオは連れて行くッ!」

「ルゥ!」

「うるさい!」

春輝は二人が怒鳴り合うのを固唾を飲んで見守っていた。どちらも一歩も譲らず、張り詰める緊張感のなかダニールも厳しい表情のまま黙って見守っている。

「嫌だよ…レオがいないと、あたし…!」

感極まって涙目になるコヨーテに、レオニードも一瞬黙り込んだ。

「頼む。あいつらに勝つ為だ。」

「…ッ」

諭すように柔らかな声に、コヨーテは無言で俯き続けた。


「俺たちの…理想の国が消えてもいいのか?」


ぽろりと、目を閉じたコヨーテから涙がこぼれ落ちる。


「時間がない。リアム様を何としてでも探し出して守り切れば次がある。あの人がいなければ、この国は二度と立ち上がれない。今度は簡単に諦めてはくれない。分かるよな?」


「行こう」


声を発したのはキリルだった。レオニードへ簡単な治療を手早く施すと黙々と車を降りる。自分の馬へと足早に向かい、軽々と飛び乗った。

「ハルキ、ダニール、出発だ。ミカにメッセージ入れて俺たちは移動する。レオ、場所の目星はついてるんだろ。教えてくれ。」

「キリル!嫌だよ、レオをまず…!」

「ルゥ」

ぽろぽろと瞬きする度に溢れる涙は少女の目から落ちては消える。さっきとは異なり、優しい声色でレオニードは少女を呼んだ。


「耳を貸せ。お前には伝えておく事がある。」


運転席から移動して身を屈め、レオニードの口元に耳を寄せるコヨーテを春輝達は見守るしかなかった。


♢ ♢ ♢


二人が、何を話していたのかは分からない。痺れる様な時間が過ぎて、レオニードの声がして顔を上げた。


「よし、行ってくれ。俺は戻ってミカを援護する。」


レオニードの言葉に頷くと、今度は何も言わずコヨーテは立ち上がる。その瞳は、もう潤んではいなかった。

「リアムは必ず見つける…ミカは頼んだ。」

彼女の声にも、迷いは感じられない。

「あぁ、任せろ。」

応えるレオニードも冷静だ。

馬上のキリルもレオニードの傍に寄っていくと、馬から降りて何か話し込みながら幾度も頷く。話し終えたのかレオニードとハグし合って言葉を交わして再び馬に飛び乗った。


「迷うなよ。お前がリーダーだ。」


コヨーテの背中に向けて放たれたレオニードの言葉に一瞬、コヨーテの動作が止まる。俺たちも思わず、彼女の方へ目を向けた。

「……分かってる。」

すぐに口笛を短く吹いて自分の駿馬を呼び戻して飛び乗る。

キリルは何も言わずに馬の手綱を引いた。俺たちのほうへ軽く振り返って合図をする。俺とダニールは何も言えないまま頷き返し、それに従った。

傷ついた体をゆっくりと動かし、ボロボロになった車両の運転席に向かうレオニードを残して、俺達は出発した。


どんな神様でもいい。

彼等がまた笑える未来を用意してあげてくれよ…!

祈らずにはいられない。前を黙々と走り始めたコヨーテとキリルの背中は揃って冷たく、殺気立っていたから。彼等がそうせざるを得ない現実が、何もできない自分に突き刺さった。

「ハルキ…?」

並走するダニールに声を掛けられた。

「大丈夫?」

「あぁ。平気だよ。前みたいな疲れもないし!集中しないとね。集中、集中!」

努めて笑顔で答えた。手綱を再び握り込んだ。


俺は、なにが出来るんだろう。


♢ ♢ ♢

コヨーテ達から数キロ離れた森奥—

「なかなか…思っていたより骨がある。」

「っるせぇ…!」

「実に惜しい。能力を無駄に使ってる。」

「だから黙れってッ!」


ヒュッ…!


また避けられた。

アレクセイの持っていた銃は全て蹴り飛ばした。今は体術でぶつかっている。足止めには成功したものの、時間と体力を確実に減らされていて、精神的に追い込まれていた。

どうしたら目の前の男が膝をつくのか。自分の体力はそれまでもつか自信が無い。悔しいが相手の規格外の強さは認めるしか無いのだと悟る。

ひと息吐いたミハイルの頭には一つの考えしか浮かんでいない。


(相討ち覚悟で一発。その一発で仕留めるしかない…!)


不思議と、心臓が激しく脈打っているのに呼吸は整っていた。ミハイルの脳裏に、ふと真に討つべき敵の姿が鮮明に浮かぶ。大国の獅子が如く鎮座するルシアンの至宝こそ、打ち崩さねばならない鉄壁の向こう側に潜む標的だ。

「あんたじゃない…」

「…?」

その為には、自分を庇う事を止めよう。尽きれば、それまで。しかしその時は、目の前のこいつも必ず、道連れだ。ミハイルの意思が静かに固まっていく。


(目つきが変わった…何か仕掛けるつもりか。)


アレクセイは自身でも意外な事に、怯んでいた。

武器は全てこの憎たらしい少年に器用に蹴り飛ばされ、手元には無い。蹴り飛ばされた武器を拾うには数秒稼がないと無理だ。必然的に少年と対峙するしか選択肢がない状況にうんざりした。

落ち着き払った嫌な空気を纏い、少年がまた踏み込んで突っ込んでくる。少年こいつに一瞬でも隙を見せてはならない。次で自分を確実に仕留めに来る。


目の前の少年の蹴りは、かなり重い。

彼の攻撃は異様に速いスピードだが対応出来ない訳ではなかった。しかし、重い。

急所を避ける為に別の場所で攻撃を受けると、その部分のダメージは尋常ではなく、じわじわと感じた痛みは、時間が経つほど断続的に痛みだし存在感を増していく。現に、数分前に直撃は避けられたものの、側頭部に一撃を食らってしまった。酷い耳鳴りと、断続的に聴力が不安定になる。

あんな攻撃をじかに食らうと人間はどう壊れるのか。アレクセイは、興奮と悦びで身震いした。かなりの逸材だ。


「名前を知りたいね」


唐突なアレクセイの言葉に、殺気に満ちた少年の目に一瞬、驚きの色が差す。

キバの噂は当然知っていたが、まさか頭の女以外のメンバーがここまで熟練していたのは大きな誤算だった。

一人ずつ消そうと思ったが、気が変わった。一人半殺しにして捕らえ、その仲間も順に捕えて従わせてやる。


「お前らに呼ばれる名前なんて無い…!」


少年は咄嗟に踏み込んで後方へ飛び退き、アレクセイから距離を取った。少年は顎下へと下がった布を持ち上げ、口元を覆う。表情が汲み取りにくくなった。

「まぁ聞け。お前ほど能力が高ければ、望むものは確実に手に入る。こんな所で才能を無駄にするな。俺が口添えしてやる。」

「うるさい!黙れ…ッ!」

「自分はどれだけ有能か、お前も知りたいんじゃないか?」

「…!」

正直で良い。アレクセイは表情を変えず、この若き才能の芽を刈り取る事に集中する。

「この際だ、認めてやる。正直、お前がここまで能力が高いとは思わなかった。」

「…?」

両膝をついて見せると、いよいよ少年が目を細めた。戸惑っているのか、まだ疑っているか…その真意までは読めない。

アレクセイは貪欲だがミハイルへの評価に嘘はなかった。殺されても(殺されるつもりは全くないが)良いと思えるほど、ミハイルの戦闘能力はアレクセイ率いる諜報部隊の想定をはるかに上回っている。

「所詮寄せ集め、と見下したこと…認めたくはないが後悔はしてる。」

「な…何だよ、急に…!」

「土壇場で悟っただけだ。これも死に際ついでに教えて欲しいんだが…」

急に言葉を掛けられ戸惑いを見せる少年に、アレクセイは慎重に言葉を選ぶ。


「なぜ…お前が、ここまでする?」

「な…っ!」


人心掌握など容易い。

物理的な攻撃に隙がなくとも、人間の心なんて脆いものだ。ましてや、こいつらのような野良に、そこまで徹底した精神教育などできる訳がない。現に、先ほどまで感じた不気味な殺気はもう無い。子供に、長丁場の戦場は不向きだ。

「見たら分かるさ。お前はルシアン人だろ。」

「…っ!」

「ルーツまでは分からねぇが…ルシアンの子がこんな事をして只で済むと思うなよ。これは、重大な反逆行為だ。」

「違う…ッ!俺はこの国の…人間だっ!」

「悲しいね。自称でこの国の民だと語り、何の見返りもなくこんな小さな国の為とせっせと尽くし、あの女と日陰で生きて何になる!」

ミハイルの集中力は確かに尽きた。青筋がそのこめかみに浮かび上がる。

「黙れよ…」

「あの女は、ルシアンを貶めた反逆者だぞ!あんな野良の小さな獣と生きても価値は無いって言ってるんだ!」

「うるさい!黙れって言ってんだッ!!」

「…ッ!?」

どこに隠し持っていたのか、ミハイルが一振りした腕先から釘のような細い棒が何本も飛び出た。瞬発力でかわした瞬間、がむしゃらに飛び掛かってきたミハイルが至近距離で殴打を連続で叩き込んでくる。

「…っく!」

立て続けに繰り出される攻撃を受けかわしたが、とにかく―—早い!

「言わせるか!お前らに!俺の…ッ!何が…ッ!!」

「っくそ…ッ!っゔッ!」

「カシラの…ッ!何が!分かるんだ…ッ!!あああッ!!」

くそ!下手に避けられず、受けるしかない。脇腹の骨が蹴り折られて軋む。思わず呻いた。こんなガキのどこに、こんな力が…!

「この国を…ッ!脅かす奴も…ッ!!」

言葉を強く吐き出すたびに勢いを増して行く。その蹴撃の重みも増している。先程までの攻撃とは比較にならない強さだった。


「カシラをッ!侮辱する奴も…ッ!!俺は…ッ!!絶っ対ッ!!」


強い怒りの言葉が、リズムを整え、この男の能力を呼び醒ましている。勢いのまま飛び上がったミハイルの足が既に見える。だめだ、早くて避けられない…!


「許さない…ッ!!」


(しまっ…ッ!)


強烈な痛みでバランスを崩した。

振り上げられた足は速度を全く落とさず、自分の鎖骨めがけて正確に振り下ろされるのが見える。瞬きの間に浴びた重い衝撃と声にもならない奇声が漏れたが最後、呼吸ができない。

「ぁあ…っく!がはっ…はぁッ!あ…あ!」

吸っても空気が吸えない。視界がちかちかと点滅する。

打ち付けられた地面に背を擦り付け、苦しみから逃れる為に喉を抑えながらのたうち回った。少しでも空気を吸おうともがくが叶わない。ゆっくりと近づいてくる足音が妙に大きく脳に響く。

天を見上げる自分の不安定な視界に、見下ろすように入り込んできた少年の目は、ひどく冷え切り、ひどく残忍な色をしていた。



「小細工なんかに頼らない。キバおれたちが全員狩ってやるんだ。失せろ。」





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