第62話 誰が為に鐘が鳴る
《前回までのあらすじ》
ルシアン帝国において絶対的な戦力の一つだった諜報部門のトップ、アレクセイ・ロマノフを、ミハイル(ミカ)は遂に討ち取った。
コヨーテや春輝達はレオニードに強く促され、北へ進路を切って王を探して移動している。リアム王の行方が掴めない今、オルカラド王国は未だ苦しい戦況のなかにいた。
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「あーあ。勝手にへばっちゃったよ。」
呼吸不全で既に事切れたアレクセイの傍でしゃがみ込み、ミハイルは溜息をついた。こいつだけは絶対に許せないと思ったが、呆気なさ過ぎる。こいつがどれだけ多くの人間の人生を狂わせて来たのか。
まだまだ全然足りないが、どんな人間でも死者を冒涜してはいけない—カシラからの教えだ。いつも通り、死者への祈りと見送りを済ませる。地面に残る雪を溶かして擦り、血を拭った。
ようやく今になって一気に疲労が押し寄せてきた。その場に腰を下ろす。敢えて大きく息を吸って、思い切り声を出して吐いた。
「はぁぁー」
「溜息ついてる暇ないぞ」
「っ!!レオ…!」
聞き慣れた声に振り返る。
「ミカ。お前もリアム様を探しに行け。」
「行け、って…レオも行くだろ?だって…」
「俺は残る。」
「え?残るって…王城に戻るってこと?」
レオは既にひどく負傷していて、その視界もどれだけ見えてるのか怪しかった。確かに、この状況ならリアム王を一緒に探す事は困難だとミハイルは理解する。
「王城には戻らない。」
「え?じゃあ、何で…だめだ!怪我の手当てしないと…!」
「キリルにやってもらったよ。それより…」
「それよりじゃない!応急処置じゃだめだ!」
「ミカ…」
「カシラは知ってるのかよ。カシラは…!」
何だよ。こんな大事な時に!レオまで俺達を混乱させるのか。
せっかく久しぶりに顔を合わせて会えたってのに、名残を惜しむどころか…
「知ってる。その上で頼んでるんだ。」
レオの声が優しくて、悲しい。今まで散々俺のこと怒鳴って怒ってきた癖に。ぼろぼろの体で自分が一番しんどい癖に、俺達を頼ってくれないのか?
「ミカ」
「…何だよ。」
「勝手に殺すな。俺は簡単にくたばらないぞ。」
「へ…」
大木の太い幹に寄りかかりながら静かに笑い、レオが続ける。鼻で笑いながら、悪戯に見上げた顔が自分の知ってるレオだったので安心する。
「今、俺がここで死ぬつもりなんじゃないか、とか思ってただろ。」
「な…っ!」
「あほ。だからお前はガキなんだ。思い込みは捨てろって散々教えただろ。現実を現実の通りに認識して、正確な情報を集め、はじめて…」
「判断できる、ね。分かったよ!それなら怪我人みたいにフラフラするなよ!紛らわしいだろ!」
「はは…ばか。俺は怪我人なんだ。」
レオのそばに寄ってざっと眺めた。確かに、肝心な部分は全てキリルが処置している。相変わらず丁寧な処置だ。これならレオひとりでも持ち堪えられるだろう。
「それで?俺はどこへ向かえばいい?」
♢ ♢ ♢
ルシアン帝国首都―
ルシアン帝国という大きな国がここまで統率されているのは、総統のセルゲイ・ラプーチの圧倒的なカリスマ性と、アレクセイら工作員部隊の徹底した諜報活動による介入が大きい。諜報範囲は国内外—特に国内の諜報活動は徹底して行われ、セルゲイ・ラプーチを支持する主要政党に反するような組織・思想・人物はことごとく排除されていた。この徹底的で排他的な組織運営によって、強固な体制維持に貢献していたが、近年はそれにも"翳り"が見え始めている。
「また、あのガキか…!」
ヴィクトル・カリヤノフが招集された。
セルゲイ・ラプーチ自ら指名し、オルカラド王国侵攻に同行させているという部下の報告を聞きながらドストエフは苦虫を噛み潰した顔のままワインを口にした。早朝だが構うものか。
頭では分かってはいるつもりでも、現実となると気分はすこぶる悪い。軍でも諜報機関でも名を馳せた自分ではなく、野心すらない若いだけの男にここまで露骨に期待を寄せるとは。若き頃の冷徹無慈悲なラプーチの凛々しい横顔を思い出しながら邪念をうち消そうとしたが、中傷されても澄ましているヴィクトルの顔が思い出され、かえって不愉快な気分に陥った。
ヴィクトルの外見に惑わされて追従する者が政権内にまで増えている現実は本当に嘆かわしい。外見の優位さに加え見事な理論武装で、ここまで支持者を伸ばすとは詐欺師にも程がある。特別に仕入れた赤ワインの渋みがぴりりと舌に残り、荒ぶる心の波をなだめていった。湿った唇を拭うこともせずにドストエフは呟く。
「あの方をお支えできるのは、この私だ。」
頷きながら神妙な顔をして佇む自分の部下にワイングラスを手渡した。立ち上がり、自分にも下った伝令に応えるため出立する。
「オルカラドで名を上げるのは我々だ。ラプーチ様に心の平穏を一刻も早く取り戻して差し上げよう。行くぞ。」
ルシアン帝国で巨万の富を築いたドストエフの率いる戦力は、ルシアン帝国が誇る圧倒的な戦力の三分の一にまで達していた。ドストエフの戦力だけでもオルカラド王国の戦力に匹敵する。名実ともにルシアンの主戦力であった。
オルカラド王国の様な小さな国など朝飯前である。セルゲイ・ラプーチが個人的に拘るから慎重かつ正確に作戦を遂行する為に弟をもぐり込ませたまでのこと。
あんな国、自分の持つ武力のみで畳み掛けてもそう時間はかからずに手に入る。あとは最高の条件と最高の状態で手に入れられるようにするだけのこと。
「ヴィクトルめ、せいぜいラプーチ様の横で指でも咥えていろ。」
ドストエフ・プッチは弟ヒョードルがリアム王を捕らえる予定時間まで1時間を切ったことを確認して、その豪邸を後にした。
◇ ◇ ◇
「何を見ている。」
ラプーチの号令の下、続々と武装した重臣団がルシアン帝国首都に集結している。本体以外の分隊は先行して現在作戦進行中のオルカラド国内でリアム王確保と抵抗勢力排除の為、出立した。刻々とルシアン帝国がその戦況を支配しつつある。
「いえ…」
「何だ、さっきから。気になるだろ。」
隣に立つヴィクトル・カリヤノフがその視線を伏せるのを、ラプーチは訝しげに首を傾げ問い詰める。有無を言わさない沈黙のなか、ヴィクトルがぼそりと口を開いた。
「どれだけ万全な準備しても…」
観念してヴィクトルは口を開く。
「不安が拭えない私は、いつまで経っても二流のままです。受けた中傷も的を射ていると感じます。それに比べ貴方はすごい。ドストエフ様もです。一流だという自覚と自信に満ち溢れているんですから。」
「ヴィクトル」
主君の強い声にハッとして顔を上げたヴィクトルに、ラプーチは全く表情を緩めず淡々と続けた。
「心配するな。お前が一流だなんて思って無い。」
ヴィクトルは再び目を伏せ、弱音などを簡単に吐いた事を後悔した。伏した目を細める。忘れていたが主人の方が自分よりも何倍も率直な人であった。
「はい…」
情けない。自分はこの方にうっかり何を打ち明けてしまったのか。
「しかし、それが何だ」
「え…」
ラプーチはどこまでも揺るぎない。迷いのない強い言葉はヴィクトルの胸を刺す。
「一流かどうかは結果論でしかない。どんな栄光も、ただの過去になるだけだ。」
この方は、なんと恐ろしい方か。
「過去が確固たる今を保証し続けるなんて考えこそ幻想だ。最も恐るべき衰退だ。そんな幻想は俺の国に必要ない。」
「はい」
真理だ。まさに、自分が描く理想そのものだ。この方の全てが完璧な存在ではないか。
「いいか、ヴィクトル。よく聞け。」
「はい」
自分のような存在が、何を恐れることがあるのか。この国には、これ程までに完成した指導者が先頭に立っているのだ。それだけで十分ではないか。
「俺はな、その覇者になるべく今駆け上がっている。ただの覇者じゃない。世界が俺にひれ伏すほどの、覇者だ。」
震えた。
「理想論じゃないぞ。必ず、実現させる。その為に今を抜かりなく生きている。」
「はい…存じています。」
圧倒的な影響力を含んだ言葉に涙が出そうになるのを堪え、辛うじて頷き、返事をする事しかできない。
「ヴィクトル」
「はっ…」
「鈍いな。お前がこの国を変えている。」
主人の言葉は、意外なものだった。
「それは…どういう事でしょうか」
投げ掛けられている言葉をすぐに咀嚼できないでいると、主人は一度言葉を飲み、周辺に集まりつつある兵士や指揮する重臣達へと号令をかけた。
「進め!集合地点で待て!」
返事と共に武装した兵士や戦車を含む大軍団がゆっくりと移動を開始した。
自分達も行かねばならない。ヴィクトルが今後の段取りを部下に確認しようと動きかけた時、ラプーチが歩み寄り、それを遮った。微かに漂う特注の香水の香りにヴィクトルは、一切の動作を止めて主人を見上げる。
「お前がずっと語ってきた青臭い理想の国にすっかり魅せられた。その為には、この国は更なる変革を遂げねば成らない。」
「あの…ラプーチ様…」
「思えば」
徐ろに取り出した小型の銃装備を確認しながら、ラプーチはヴィクトルの言葉をまた遮った。
「お前だけだったな。命すら厭わず、この俺へ不遜な態度を取り続けたのは。国家を率いる俺の資質まで問われていたとは全く気が付かなかったが。」
「な…っ!心外です、私が貴方に資質を問うなど…!有り得ない、決して貴方への敬意を疎かにはしていません!」
「まぁ、聞け。」
反論が溢れるヴィクトルに手のひらを向けて強く制し、再び遮るとラプーチは続ける。
「分かっている。この国を強く想う余り、だろう?」
「え…?」
「お前の行動が謎だった。」
「ラプーチ様…」
今日の主君は随分と饒舌だ。
「俺は耳障りの良い言葉は信じない—しかし、どうだ。唯一の住処を無慈悲に奪われても全く動じず、周囲から一方的になじられても相手にせず、金や権力にもなびかない。身寄りもなく、特定の恋人や友人も皆無。そんな孤立を絵に描いたような男が、無欲かと思いきや、出世してのし上がってくる。更に俺にまで容赦無く突っ掛かるんだ。気にならないほうが可笑しい。」
「酷い言われ様ですね…しかし反論の余地もありません。」
「ヴィクトル。お前の愛国心は一流以上の価値がある。そして、尊い。」
「え…」
思いがけない言葉に、俯いていた顔を上げる。軍服に身を包んだラプーチは一歩前に踏み出して続けた。
「俺自身を恥じた位だ。お前と言葉を交わすうち、真の覇者とは何かを己に問い、己の視野の狭さに気付かされた。」
「あの、お言葉ですが、私はラプーチ様が視野が狭いなどとは思いません!むしろ—」
「お前は理想が高過ぎる。少しは妥協を覚えろ。」
「え…?」
「まぁいい。今の話は他の者には漏らすなよ。統制に支障が出る。」
いつも主人の会話は一方的だ。真意を問う前に、こうして途中で会話を切り上げていく。
黒い革製の手袋を手に取り、振り返りざまに突如笑顔を見せたラプーチにつられ、ヴィクトルは思わず驚きながらも悪い気はせず、目を細めた。朝日の光が部屋に差し込み、続々と出立するルシアン軍の軍用機や軍用車両の音が微かに聞こえ始める。
「勿論です。とても聞かせられませんので。」
大袈裟に頷くヴィクトルを満足げに眺め、ラプーチは窓の外を指して見せた。
「見ろ。お前を支持する者が待機しているぞ。」
窓際に歩み寄るヴィクトルの先には、確かにヴィクトルを支持する者達が隊列を組んで待機している。数年前まで孤立していたヴィクトルには考えられない人数であった。
窓越しに見えるラプーチ達の姿を見て、更に猛々しく、整列して見せる。各小隊をまとめる将校クラスが一斉に一歩前に出てヴィクトルに向かって敬礼した。
「…」
「あの者達は好きに使っていい。お前に任せる。」
「更に増えている…」
「熱だ。」
「え…?」
「熱のこもった真の言葉や思想に、人は傾倒する。真の言葉や行動こそ、人を大きく導く唯一の方法だからな…お前には既に備わっている様だ。」
「ラプーチ…様」
自分の体内に流れる血潮が、彼の言葉に共鳴して熱く高鳴った。
今の自分には、不思議なほど目の前の男の立つ未来の国が鮮明に見えている。
広大な領土、潤沢な資金と衰えない軍事力、自分達に追従する友好国、関係国、何よりも、多くの国民達が彼を眩しそうに崇め、敬う国。彼らは自分達の国の指導者を誇りに思い、生活している。
自分も、その未来で先頭に立ちたい。
「有り得ない程の規模で、俺達はこの世界の頂点に立つぞ。ヴィクトル。心してかかれ。」
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