第58話 掟に従う者
《前回までのあらすじ》
ルシアン帝国が本格的に侵略を開始している。
コヨーテらキバのメンバーの中核、レオニードがアレクセイに連れ去られ、さらにオルカラド国王であるリアム王も、ルシアン帝国が潜伏させていた刺客ヒョードル・プッチがその部下達と共に迫っている。
限られた時間のなか、春輝はダニールと共に、コヨーテ達とレオニード救出へ同行した。敵は、自国へ戻る為に忍ばせておいた戦闘用の四輪駆動車に乗り換え、移動している。何としてもキバの要であるレオニードを取り戻したいコヨーテ達は、その想いを遂げることが出来るのか—
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どれくらい駆け続けただろう。
必死に駆けているのは、この最高血統の駿馬達だが、乗っている自分には疲労感が募るばかりだった。乗馬経験も大して無かった自分にしては、この国に来て半強制的でも乗れているだけ上出来だったが、それもそろそろ限界が近づいているのが分かる。
体は緊張している筈なのに集中力が保てない。
気を少しでも抜いたら、飛び出た木の幹に思い切り頭をぶつけて落馬するか、馬上でバランスを崩して勝手に振り落ちるか…いづれにせよ猶予のない自分達には大きな後退へ繋がってしまう。
(まずい…しっかりしろ…!今ここで俺がしくじったら…彼らの時間を大きく奪う事に…なるんだ…!)
異常に高い戦闘力を誇る彼らでも、既に大幅な遅れを取っている。それは言葉が通じずとも分かる現実だ。
そんな無駄なことだけは避けなければならない。
「あの…さっき言ってた"掟"…って?」
隣で黙々と馬を走らせるコヨーテに尋ねた。
この張り詰めた空気のなかで話し掛けるのは気が引けたけど、話していないと自分が精神的にどうにかなりそうで思いついたまま言葉を投げ掛ける。
「あ、いや…!前にそう言ってたから気になって…キバには掟があるの?」
彼女は、脇見もせすに真っ直ぐ前を向いたまま簡潔に言葉を返した。
「あぁ。あるよ。」
「"弱者を守り、仲間を守れ"…」
どんな、と尋ねる言葉を打ち消すように背後からキリルの落ち着いた声が響く。
「"自然を敬い、己を高めろ"…これが俺達の掟だ。」
キリルの言葉はまるで彼らの音楽のように自分の耳に心地良く流れこみ、美しく響いた。
ダニールの言葉を介さなくても意味が分かるようになっている自分に気が付き、はっとする。コヨーテを盗み見てもその表情に変化はない。
背後のキリルを振り仰ぐと、その視線に応えるように彼は俺を静かに見返しながら続けた。
「この掟が、俺達を生かしてる。」
「そうか…すごいね、掟って。ルールかと思ってたけど…なんて言うか…君たちの強い絆みたいなものを感じるよ。」
「絆、ね…」
コヨーテはひとりで何か呟くと、こちらに顔を向けた。
「気に入った。ありがとう、ハルキ。」
その顔には笑顔こそなかったけれど、彼女の言葉には感謝だけではない沢山の感情が滲み出ている気がして、嬉しくなる。
彼女にとってキバとは…きっと、その人生の一部で切り離せない絆そのものなんだ。キバが正義の狼と称えられ、圧倒的な強さを誇るのは、この絆に所以している。
「見えた…ッ!カシラ、前方02方向!距離380〜390!このまま追跡中!どうする!」
突如、先頭のダニールの横に並んで走っているミカから連絡が入る。
身を乗り出して前方に目を凝らした先に、確かに、深いカーキ色の車のようなものが一つ、点の様に見えた。
(380…メートルじゃないな、この距離…こっちの単位で言ってるんだ…1㎞は切ったくらいか…?)
こんな事なら事前に単位まで調べておくんだった。
今しても遅すぎる後悔をしつつ、新たな緊張感に包まれる。あの車に、レオニードはいるんだ。強敵も、そこにいる。
コヨーテが太腿から武器の小刀を抜いて声をあげた。
「このまま行く!相手の攻撃に注意しな。ダニール!交代だ、私が先頭で行く!後ろからハルキと来て!」
「了解!」
ダニールが即座に速度を落とし、調整して進み出たコヨーテと走順を替える。それと同時にキリルの鋭い声が背後から響いた。
「ハルキ!ダニール!今のうちに顔を隠せ!」
「…っはい!」
「了解」
アレクセイの車を追って森に駆け込む前—手渡されて羽織っていたキバの紋様入りマントのフードを被る。首に巻き付けていた布をずり上げて口元も覆った。
ウォォォォ…ッン!…ウォォォォ…ッン!
クオォォォ…ッン!
クォォ…ックォォッン!クォォオォ…ッン!
それぞれの場所で、やや上向きに顎を上げてキリル、コヨーテ、ミカが狼のように吠える。
三者三様の啼き声は再び森に響き、こだまする。
その声の大きさに、彼らの魂を感じて身が引き締まった。ダニールに渡された小型の双眼鏡を借りて目を凝らす。
前を走る四輪駆動車は山道対応の重装備だったが、この整備されていない異国の獣道には苦戦していて、明らかに速度が落ちている。徐々にその点は大きくなっていた。
(追い付けるぞ…!)
手綱を握る手に、力を込めた。
♢ ♢ ♢
車内で意識を取り戻した時から、気が付いてはいた。
風の音に混ざってはいるが、微かに聞こえた狼たちの遠吠えに。その啼き声が徐々に近付いている事の意味を、レオニードは唇を噛み締めて理解している。
目を隠され、拘束されている体はどこも自由にならず、耳だけが唯一いま使える器官だった。全身の痛みと出血による消耗が激しくて体の向きを変える事もままならない。
ルシアン製の戦闘用四輪駆動車だという事は分かったが、座席ではなく、荷台の床に直接うち捨てられているような状態なので、激しく上下左右に揺れる度に打ち付けられ、全身をずっと鈍痛が包んでいる。
(あいつら…)
脳裏に、コヨーテの真っ直ぐに前を見据える緑色の瞳が浮かぶ。狼の啼き声が大きくなるにつれ、レオニードはうなだれながら自らの目頭が熱くなるのを自覚した。
(いや、バカは…俺か…)
最初に聞こえたコヨーテの啼き声に共鳴すように続くのがキリルとミカだという事は、声で分かる。
あいつらを守るために…"掟"を作った筈だ。
四輪駆動車の燃えそうなエンジン音、ぶつかる金属音、アレクセイの外部と通信する音…外がだいぶ騒がしくなってきた。何もできず、何も見えないなかで上を向く。
声の大きさと鮮明さから、彼らが完全に自分達に追いついた事を悟る。
「コヨー…テ…」
自分がコヨーテを守り、手を貸すと決めたその日、"掟"を作った。
こういう事態が誰に起きてもいいように、だ。
* * *
—え?掟…?ルール、ってこと?
—あぁ。これから先…誰かが捕まったり、最悪な状況になったとしても、俺達は一人でも必ず生き残らなきゃならない。だから、今からこれを守ると誓え。
—分かった。何を守ればいい?
—"誰が欠けても探さない"、これだけだ。
—そんな…!
—この国を支えられるほど強いチームを作る必要があるんだ。それも、何が起きても全く揺るがないチームじゃないと、あいつらには対抗できない。
—レオ…
—俺達がやる事は遊びじゃない。分かるな?
ルシアン帝国に従属させられ、あらゆる諜報活動をさせる為に半ば兵器のように強制的に再教育されていた頃の仄暗い色が目の奥で揺らぐのを、俺は見た。
その時ばかりは流石に怯んだが、彼女はすぐに自らうち消して見せ、はっきりと俺のほうを向いて頷いた。
—分かったよ、レオ。それが、あたし達の”掟”だ。
* * *
(あいつらを守りたくて作った掟だ。それなのに…)
車外から聞こえる音に駆ける馬の呼吸まで混じり始めた。いよいよ、すぐ傍に彼等がいる。
パンッパンッパンッと規則正しく窓の強化ガラスに何かが当たる音が響くのを皮切りに、車内から応戦する銃声が立て続けに鳴り響いた。
始まった。
「キリル…!」
いくつか飛び交う銃声の合間に狼の啼き声がまた混じって聞こえた。この甲高い声は、自分が一番その身を案じていた男の声だ。
「ミカ…!」
(俺は…失格だな…)
ぼろぼろっと目から溢れ出る涙は、冷たい無機質な鉄製の床に落ち、激しい振動で流された雫は、その先に溜まっていく。
(掟をここまで破られても…)
口内の血を吐き出す。体を全身を使って動かし、どこまで動かせるのかを試してみた。音の気配の限りでは、この車に乗っているのは自分以外にアレクセイとその部下一人だけだ。
(あいつらの声聞いただけで…こんな…心が躍るなんて…)
彼らの声は、この矛盾した状況下で沈み切った自分の意識を再び叩き起こしていく。不思議と痛みは軽くなり、頭痛は続いているが吐き気までは感じないほど余裕ができた。自嘲気味に口元を緩める。
(くそ…俺も落ちたな。すっかり腑抜けちまってたらしい…)
まだ、自分には果たすべき役割があるじゃないか。あいつらを…俺が命を懸けて守る、なんて奢ってた。
考えろ。そして、思い出せ—自分に問い掛けた。この状況下で、オルカラド王国を守るならば、どの選択肢に賭ければいい?
既にリアム王にはプッチ達が迫っている。ここまで絶望的な状況のなかで浮かぶ可能性は、ひとつしか無い。
レオニードは揺られながら、ひとり歯を食いしばった。
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