第56話 全てを捧げる者

《前回までのあらすじ》

ルシアン帝国の侵略が本格化している。キバと行動を共にする春輝たちも、王城に着くやいなや、既に大きく動き出している戦況に戸惑う暇もない。

その一方、ルシアン帝国内では現政権の二番手争いが激化していた。総統セルゲイ・ラプーチに心酔するドストエフ・プッチは、ラプーチ直属の部下ヴィクトル・カリヤノフをここぞとばかりに目の敵にし、彼が帝国内で力を持たぬよう画策に余念がない。

唯一の住む場所も意図的に奪われ、郊外へ移らざるを得ない状況まで陥れられたヴィクトルの心の拠り所は、異常なほど強い愛国心だけだった。

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「何故キース・オルマンに執着する?」


明日のことばかり考えていたせいで、自分に掛けられた言葉だと気付くのに時間を要してしまった。そもそも、主人がここにいる筈がない。ヴィクトルは、資料から顔を上げると息を呑む。いる筈のない主人の姿があった。


(また…!)


服装どころか髪も激しく乱れたまま条件反射でヴィクトルは勢いよく立ち上がる。激しく狼狽える自分などおかまいなしに主人―セルゲイ・ラプーチはそれを手を挙げて制止し、笑っていた。

「何て顔をしている。文句は受けないぞ。ここは…」

「あなたの家、ですからね。確かにそれに関しては文句は言えませんが…」

「まぁ、もう譲ったからお前の家か。」

「ラプーチ様…茶化している場合ではありません。御自分の身がどれだけ危険か自覚していない事に、文句を言っているんです…!」

前にも、ラプーチは単身でヴィクトルの邸宅に単身で侵入した事があった。その際も、ヴィクトルは戸惑いと不快感を露わにしたがラプーチはたいして気に留めない。ヴィクトルの傍らに悠々と腰掛けた。

「お前の戸惑う顔を見るのが癖になってしまった。この俺を露骨に嫌悪するのはお前くらいだぞ。」

「嫌悪だなんて…」

ひどい言い方をする。自分がいつ、敬愛して止まないあなたを嫌悪したのか。その身を本気で案じているからこその苦言なのに。

目を伏せたヴィクトルの顔から目を離して立ち上がると、ラプーチは窓辺へと歩きながら振り返った。


「安心しろ。今日は護衛の者も連れてきた。今夜は調度品を取りに戻ると話してあるし、お前の姿に気づく者はいないだろう。」


自慢げに語っているが、それは当然だ…ヴィクトルはそんな言葉を呑み、余計な感情を持たぬように努めた。セルゲイ・ラプーチという男は、僅かな感情の機微をすぐに察知する行動分析のプロだ。他意は、すぐに見破られる。


「で、お前の答えは。何故キースの生死にこだわる?戦況にどう関係するというんだ。」


再び問われた。そこまで気にするとは意外だった。ヴィクトルは口を開きかけたが、折角なので会話を楽しむ事にした。

「あなたこそ、随分そこに拘るんですね。キースの脅威はあなたが一番よくご存知でしょう。」

ラプーチは、部下が自分と会話する気になったのを察知して楽しげに笑うと、そのまま腰を下ろす。

「あんな宰相など脅威じゃない。」

「え…?」

「人材も遥かに我々のほうが上だ…質も量もな。」

「全く分かりませんね。そう思えるには何か根拠がおありなんでしょうか…」

ラプーチは吹き出す。余計にヴィクトルは怪訝な表情を浮かべ、主人の次の言葉を待った。

「まだ青いな。大事なのは達成するためにどう行動し、何を得たかだ。」

「…?」

やはり分からない。我が国を鼓舞する為に自国の戦力を称えるのは理解できる。

しかし、どんな盤石な組織にも欠点はあると疑う目は必要だ。そして大抵の場合、盤石なものなど、あり得ない。それは歴史が証明している。

ヴィクトルは、これをどう主人に伝えるか、考えを巡らせていると主人が立ち上がった。


「ヴィクトル、お前の存在を忘れてる。」


ヴィクトルの思考が止まる。理解が追い付かない。

何か言おうと口を開こうとするのを再び遮り、ラプーチは窓の外を眺めながら笑って続けた。

「お前の成長とともに国力がめざましく成長を遂げた。今や、お前もルシアンの立派な指揮官のひとりだ。そう言えば…今朝、ドストエフを庇ったな。」

「…私は、そんな大層な人間ではありませんよ。」

「ならば…ドストエフに貸しを作ったのは偶然か?」

「あれは…」

突然、今朝のことを面白そうに蒸し返されてヴィクトルは目を伏せる。自分でも、自分らしくない行動を取ったせいであのあと少々疲れた。それに、自分の行動は相手を救うどころか、かえって反感を買っただけだった。相手は気分を害し、完全に心を閉ざした。その後に行われた幹部たちとの作戦会議では、自分の発言は無かった事にされ、それが更なる軋轢を生んだ。自分を支持する幹部たちが強く反発したのだ。

一枚岩とは程遠い構図を自分が更に助長した事に、ヴィクトルは落ち込んでいた。

「…あの方の真似をしてみただけです。特に深い意図はなかった…しかし、私が軽率でした。」

「いや、なかなか面白かった。自宅を全焼させた男に貸しを作るなんて真似、なかなか出来ないぞ?俺なら、あんなもので済ませたりはしないがな。」

「……やめて下さい。別に自宅のことは大した問題ではありませんから…」

「おい、ヴィクトル…強がるのはやめろ。家は心を休める場所だ…そこを奪われて何も感じない人間がいるか。現に、この拠点がなかったらお前は…」

「この拠点を譲って下さったあなたに感謝していない訳ではありません。ただ…ドストエフ様は何か思い違いをされている…」

「なに…?」

ヴィクトルの思いがけない言葉にラプーチは怪訝そうに首を傾げ、向き直った。彼が次に呟いた言葉は、ラプーチをさらに驚かせた。


「私の大切なものは、そこには無いから…」



♢ ♢ ♢ 


ヴィクトル・カリヤノフは、つくづく不思議な男だ。

世代も違う若者だが、こちらが恥ずかしくなるほどの広くて深い知見を持っている。この男の能力の高さは知識だけではない。運動能力も長けているので戦地に赴き功績をあげ、工作活動もこなせる強かさを兼ね備えていた。

しかし、男は異質過ぎて周りとは常に距離があった。整った外見の割に色恋に興味が全くない変わり者と噂され、それこそ、大多数派であるドストエフ一派には、生殖器に異常をきたした出来損ない、と未だにいわれのない中傷を受け続けている。


(理解できん…)


自分なら、そんな名誉棄損は断じて許さない。傷つけた相手を二度と立ち上がれなくなるまで徹底的に黙らせる。社会的にも、物理的にも、だ。

不名誉な噂など気にも留めず、ヴィクトルは或る日突然、自分に対して直訴してきた。


―出世、地位など一切望みません。この国の再建に命を懸けたい。だからこそ、貴方の直属にして頂けませんか。


ここまで繁栄した国を―家臣たちはそんな無礼をここぞとばかりに断罪しようとした。しかし、自分は気になってならない。何の得にもならぬ提案だ。命を懸けてまで行うにしては規模が大きすぎる。不器用な者の戯言にしては、行き過ぎた夢物語だった。それを、ヴィクトルは一点の曇りもない瞳を向けて皆の前で宣言した。


「良いだろう。その命を担保に許可する、やってみろ。」


自分は称えられて然るべき人間だと思っていた。

しかし、実は何も成し遂げていないのではないか。大きな功績をあげたと思い込んでいただけだったのか…それならば、この国に欠けているものとは一体、何なのか。

とにかく気になった。癇に障った、と言い換えてもいい。


ヴィクトル・カリヤノフには、この世界がどう見えているのか。


その答えを自分も見つけるため、行動を共にし始めた。そして、最近見えてきたことは、自分とは次元が違う究極の愛国精神を持っている事だった。調査機関にも調べさせたが、ヴィクトルの過去は恐ろしいほど孤独だ。親の愛情はおろか、苦楽を共にする仲間にも恵まれていない。そして、あろうことか、その実力を何度も潰されかけている。

周囲に馴染めない理由はヴィクトル自身にもあるにせよ、この国に恨みを持つどころか、この国を全く別の国へ進化させる事しか考えていない、その気高い愛国心は何だ。


―私の大切なものは、そこには無いから…


そして、極めつけがこの言葉だ。

自宅を燃やされて恨み言どころか、心の拠り所はそこに存在はしないと言う。この言葉に嘘偽りはなかった。それよりも、今朝のドストエフに対する自分の行動に心底落ち込んでいた。察するに、ヴィクトルの最も大切にしているものは実体があるものではなく、もっと目に見えない…崇高な何かなのだろう。


気高い、という言葉は、あの男のためにあるものかもしれない。ここまで求道的な人間には会ったことがなかった。

この異質な存在感は、最近では支持する者が増え始めているとドストエフが愚痴っていた。それを他人事のように聞き流し、信念について考える。ここまでの強い信念に囚われている男がいる国が負けるはずがない。


「はっ…キースが生きていようと構うものか…」


貴様の信念がどれほどのものか、見せてみろ。持てるすべての力を使ってでも、お前たちを叩き潰してやる。

ルシアンの至宝、不敗のライオンの瞳は確信に満ちて、咥えていた煙草の煙を吐き出すと、その夜空に今にもその手中に落ちそうな小さな国に想いを馳せた。





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