ルシアン帝国(the Russiean Empire)
第55話 機を待つ者たち
《前回までのあらすじ》
オルカラド王国内では、いよいよルシアン帝国の侵略が本格化していた。キバと行動を共にする春輝たちも、王城に着くやいなや、既に大きく動き出している戦況に戸惑う暇もない。
レオニードとの"事前対策"によって、アレクセイに射殺されたかと思われているオルカラド王国の宰相キース・オルマンは、有無を言わさず動き始めた戦況に決意新たにキバたちと共に臨もうとしていた—
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ルシアン帝国の首都にあるプレヴィリーキ城―
その敷地内は連日慌ただしく人が入っては出て行くなど、騒々しい光景が続いている。しかし徹底した情報統制により、ルシアン帝国内の人々には、何が起こっているかは知る手段は無かった。
そして今、軍服に身を包んだ壮年の男がひとり、多くの軍人たちを引き連れて城内を足早に突き進んでいた。恰幅のよい体躯を揺らし、荒々しく歩く男を多くの使用人や下級軍人たちが姿勢を整え、一礼して通り過ぎるまで動かず敬意を表している。男のほうも、彼らの行動は当然のものであり、そして今まさに時代の波は自分の手中にある事を確信していた。
(時は来た…!我らの時代がすぐそこまで来ているぞ、ヒョードルよ。)
男―ドストエフ・プッチは軍服の胸に輝く勲章に目を配らせ、早くも感傷に浸っていた。この激しい権力闘争の荒波を弟と共に生き抜き、敵を貶め、汚い仕事も率先して行ってライバルを蹴散らし、ルシアン帝国で最大派閥を誇るルシアン統一党の党首にまで登り詰めた。
そして、弟のヒョードルは、ラプーチ様が最も求めていたオルカラド国に潜入することに成功し、長い時間をかけて慎重に内偵活動を行ってきた。あのキース・オルマンですら弟がルシアン帝国の人間だと見抜くことは出来なかった程だ。
その命を懸けた努力がいよいよ実を結び、輝く栄光が我らに差しつつある。
「セルゲイ・ラプーチ総統殿に謁見願いたい。」
「はっ!かしこまりました!今暫くお待ちを!」
今や、名乗らずとも自分のことを知らぬ者は無い。
待つこともなく、ラプーチ様の執務室へと続く部屋である大広間”翡翠の間”へ通された。そこには帝国の重臣のなかでも限られた上位の者しか立ち入る事が許されていない。当然、という顔でドストエフは中へと歩みを進めた。
「ラプーチさ…」
思わず、言葉を呑む。一番目障りな男の姿が目に入ったからだ。
(ヴィクトル…カリヤノフ…!)
我が手中にある吉報をいち早くラプーチ様へお届けしようと思い、すべての予定を変更して調整させ、可能な限り最速でここに参上したのだ。それを…!
(…なぜ、この男が既に到着している…!)
ドストエフがここまで狼狽したのには理由がある。
帝国内の権力を掌握しつつあるなかで、彼にとって唯一の懸念事項が、このヴィクトル・カリヤノフという男だった。
ヴィクトルは、異例の若さでラプーチ直属の部下に抜擢され、そのことからヴィクトルが政権内で余計な力を持たぬよう、ドストエフは彼に追従しようとする動きを入念に潰してきた。それでも、徐々に彼の国家論に傾倒する古参の重臣まで現れ、ドストエフは彼らも時間とある程度の労力を使って排除した。
そうまでしてドストエフが必死になるのは、この若き才気あふれる青年が、外見の秀麗さだけでなく、驚異的なカリスマ性を備えていた事に他ならない。
ヴィクトル・カリヤノフが女たちの気を引く外見であることは十分不快だったが、厄介なのは、周りの男たちをも魅了する理想主義者である事だ。
ヴィクトルは”新しい帝国主義”として、周りの先進国を先導する国家を目指す、大国論を展開し、それはセルゲイ・ラプーチを頂点とした現政権なら実現可能だと強く提唱している。その為には、帝国内が強固に結束する必要があると説きまわっていた。
(青臭い政治のせの字も知らぬ素人が…まるで伝染病ではないか…どいつもこいつも浅慮甚だしい…!)
ヴィクトルの欠点は、自己を過小評価しているため、このドストエフが憂慮する自身に関する現実に気が付けなかったことだ。彼を帝国の脅威とみなしたドストエフは、彼の唯一の邸宅をつきとめるとボヤ騒ぎに乗じて破壊した。
いつでもラプーチの呼び出しに最速で応えられるよう、家臣のなかでも最も質素で小規模な家を購入し、城に一番近い土地を選んでいたヴィクトルの邸宅は、家主が帰る前に全焼失したのだった。都心部はドストエフの息のかかった不動産会社が取り仕切っているため、ヴィクトルは郊外に住居を移さざるを得なかった…筈であった。
しかし、最速で馳せ参じた自分の目の前に、当然の如く男は立っている。
「良いタイミングだ、ドストエフ。ちょうどお前に話を聞きたかった所だ…」
澄みきった尊ぶべき総統のキレのある声色に、ドストエフは我に返った。
すぐに頭を下げて忠誠心を示すと、一歩前に出る。総統直々に傍らに並べられた革張りのソファへ座るよう促され、一礼してきびきびとソファへ軽く腰を下ろした。
「お前もだ、ヴィクトル。座ってくれ。」
「はい。それでは…」
図々しくも自分の腰掛けているソファと並ぶ席に躊躇もせずに腰を下ろしたヴィクトルに、思わずドストエフは舌打ちしそうになり、その分厚い唇を噛むに留まった。気を紛らわし、また目の前に集中する為にもラプーチに向き直る。
「お話とは…実は
ラプーチは悠々と彼らと対面する肘掛付きのソファへ深く腰掛けると、興味深げな視線をドストエフへ向けた。美しい碧眼の中に灯る深い光に、ドストエフは束の間、息をのむ。
「ほう…ならばお前の報告から聞こう。話せ。」
「はっ…しかし、それはさすがに…」
「ドストエフ。話せ。」
強い言葉の力に押されるように、ドストエフは頷くと口を開いた。
「弟から連絡がありました。オルカラドのキース・オルマンを討ち取った、と。」
「え…」
自分の言葉に強く反応したヴィクトルの狼狽えた表情は、ドストエフを満足させるには十分だった。余裕を取り戻したドストエフは、その大きな腹も気にせず前に少し身を乗り出して続けた。
「オルカラドを叩くなら今です、ラプーチ様…!コソコソと水を差してきたオルカラドの犬の一人もアレクセイが捕らえました。我が弟もリアム王を捕えるべく向かっております。ここまで押さえておけば、あとは…」
「キースの遺体は?その確証を私も拝見したいのですが…!」
ヴィクトルに話を遮られ、ドストエフは怒りを鎮めるため黙り込む。隣から感じる不躾な視線も気に食わない。
無視を決め込み、話を再開させようとした時—ラプーチがヴィクトルを制した。
「ヴィクトル。私が、報告を受けている。
この言葉に、ドストエフは内心大声で吹き出し、隣の無礼な若造を指さし貶める。そして、強く、目の前の最高権力者に心酔した。よくぞ、言ってくれた。これでこそ、この大国の頂点に立たれるお方だ、と。
案の定、冷や水を浴びた様に大人しくなった若造は即座に主人に頭を深く下げ、謝罪している。そんな情け無い姿を見るのは非常に心地が良い。
「しかし、ヴィクトルの指摘はまさに私が言おうとした事だ。答えよ、ドストエフ。」
「え…?」
だから一瞬、主人が何を言ったか分からなくなった。
「その確証を示せ。私も見たい。」
冷や汗がじわりと額に滲む。そもそも、そんな確証まで手に入れていない。弟がもたらした吉報に心躍り、いち早く報告して名乗りを上げたかった。即座にどう答えるのが良いか懸命に考えを巡らせる。
「無いのか?」
飢えた獣の様な鋭い主人の視線に怯んだ。この方からの信頼を失くす事ほど恐ろしいものは無い。考え半ばだが口を開く。
「り…リアム王を討ち取るべく弟は追跡に向かい、そこで通信も完全に途絶えたものですから…確証は部下に連絡させ、確認させています。何卒、お待ちを…!敢えて今確証を示すならば、それは我が兄弟の絆です…!ですから…!」
「分かった。」
「ラプーチ様…」
主人のひと言に安堵して息を吐く。目の前の主人の顔色はぴくりとも変わらず、穏やかだった。
「信じよう。兄弟の絆か…よく言ったものよ、素晴らしい。」
「ラプーチ様…!」
あからさまに不満げな声を上げるヴィクトルには目もくれず、主人はその口の端を吊り上げ不敵に笑った。
「ならば、その兄弟がしくじった時はお前も一連托生だな?」
「え…」
「俺は連帯責任を強いるのは好きじゃない。しかし、自ら進んで責任を果たそうとする者には敬意を以て支持する。お前の言葉を信じて確証は待とう。となれば問題は、いつまで待つか、だ。」
ドストエフは、冷静すぎる主人の言葉に背筋を凍らせた。羽虫が彼の耳元を飛んでいたが、その音はもはやこの男には聞こえてはいない。
「ドストエフ。いつまで待てばいい?」
「…っそ、それは…!」
極度の緊張でまともに思考が働かない。目の前の人物は、それほどドストエフにとっては特別な存在だった。乾いた喉で無理やり唾を飲み込み、何か言おうと無策のまま口を開いた…その時。
「たしかに、ドストエフ様の言う通りです。オルカラドの通信状況はかなり不安定で、こちらから連絡を取るのは容易ではない…この現状では、さすがにドストエフ様でも目処は立て難いでしょう。」
「な…っ!」
ヴィクトル・カリヤノフであった。
心中では疑念と驚愕入り混じった視線を彼に向けながら、ドストエフはそれを悟られぬよう顔を伏せたまま動けずにいた。ラプーチは首を傾げ、若き家臣の言葉に聞き入っている。
「軍の一部を先鋒部隊として送り込み、我々の通信手段を整えてからでも遅くはないかと思います。進捗にもよりますが、最大1週間から10日ほど必要でしょうか。」
「調子に乗るなよ…今更そんな時間を無駄にできるか!」
厳しい声色の主人の気迫にも、ヴィクトルは微動だにしない。虚勢か、致命的な鈍感なのか…ドストエフは、計ることが出来ないでいた。
「問題は時間ではありません。」
凍り付く空気のなか、ヴィクトルは物怖じしないどころか、勝手に立ち上がり、ラプーチのほうへ向き直って続けた。
「キースが死んだか否か、この一点です。我々が勝利を決するには、この一点こそが極めて重要です。勝敗はこれに尽きる…!」
ドストエフは、奇しくもこの男にフォローされてしまった手前、何も発言もできなかったが、腹のなかでは苦虫を噛み潰していた。ドストエフの弟がもたらした吉報と大きな進展では勝利が見込めないというのか…?
「随分と敵を評価するな…お前の言うとおり、キース・オルマンは確かに脅威だが、戦況を左右するほどではない。なぜ、そこまで執心する?」
もはや二人の会話を聞くだけの形になっている。ドストエフは、主人にここまで図々しい家臣など見たことがない。この若者はラプーチの恐ろしさを知らぬようだった。
「過去に学んでいるからです。」
きっぱり言い切ったヴィクトルにドストエフは内心ほくそ笑んだ。主人の過去を否定するような意見は政治の世界では命取りだ。激昂したラプーチに撃ち殺されてしまえ。そう悪態をついたとき―
「…それだけか?」
(え…)
この大国の頂点に立つ男が、自分の知らぬ男に見えた。この激情を冷酷さで包んだような男が、この無礼な若者に何を訊いている…!
「あとは、根拠などありません…ただの勘です。」
「はっ…勘とはまた大きく出たな、ヴィクトル…そんなものを理由に動いたら、俺は指揮官として部下たちからの信頼を失くす。それが何を意味するか分かるか。」
今度は、ヴィクトルが不敵に笑って見せた。
「脅されても、私の意見は変わりません。キースの情報が少なすぎるんです。加えて申せば、あなたほどの方なら、この程度では信頼は揺るぎません。とにかく、調べるべきです。」
「……」
かくて、ルシアン帝国―セルゲイ・ラプーチの下した決断は、先鋒部隊を通信環境整備班とドストエフの弟ヒョードル・プッチの援護班に分けて派遣する。
不敗のライオンが見据えるオルカラド王国は、着実にその息の根を止められようとしていた。
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