第54話 追う者

《前回までのあらすじ》

日本から北へ遠く離れた最果ての国、オルカラド王国。

その小さな国を、隣国のルシアン帝国が侵略的実力行使を図り、今まさに動き出そうとしていた。

本格化する侵略に気づいたオルカラド王国の宰相キース・オルマンは、王を守るため急いで帰城するも、同じく重臣だったプッチ・ウインスキーがルシアン帝国側の人間だという衝撃的な現実を知らせる。その空間には、キバよりも一足先に城へ潜入し、ルシアン帝国侵略の真意を単独で探っていた富岡が彼らの一部始終を密かに目撃していた。すべてを目撃していた富岡は、自分たちの存在やキバとの関係を隠さず明かし、キースに協力を申し出た。


瀕死状態のレオニードはアレクセイの手の中、唯一の希望であるリアム国王も、内通者のプッチに追われている今、オルカラド王国は一刻の猶予も許されない絶望的な状況まで追い込まれている。

オルカラド王国とルシアン帝国、そしてルシアンに因縁を持ち、オルカラド侵略を何としても阻止したいキバ—それぞれの思惑を抱え、運命はうごき出す。

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王城は異様な静けさに包まれていた。じめじめとした嫌な空気が漂うなか、出来る限り音を立てないように近づいていく。嫌でも緊張感が増した。

「キース様…!!」

前を歩いていたアリナが突然声を上げて一目散に駆け出す。その先を目で追うと、すらりとした精悍な青年がひとり立っていた。

「え、まさか…」

「そう。あれがキース・オルマン宰相殿さ。」


(も、モデルかよ…!)


キリルの説明に内心突っ込みを入れつつ、アリナやエレーナに泣きつかれ、キバに囲まれて談笑する宰相の姿を改めて観察する。宰相は、想像していたような仰々しい鎧や煌びやかな格好ではなく、むしろ、かなり質素で民間人のような格好をしていたけれど、ユーリは深々と頭を下げて敬意を表していた。


納得だ。

特徴を聞かれて富岡さんが「イケメン」と一言でしか表現しなかったことが今になって腑に落ちる。決して雑な表現じゃなかった。知的な顔つき、確かに服で隠れてこそいるが体格もよく、武器を扱う仕草を見てもこなれている。

あれで名宰相とかって評価されてるなんて文武両道の極みじゃないか…羨ましい。何だか世のなかは不公平なことが多過ぎる。

「キース」

「コヨーテ…!」

コヨーテに笑みはない。キース宰相も、アリナ達には優しい表情を浮かべていたけど、その青い瞳にはどこか暗鬱とした影が差しているように思えた。


「お前たちを待っていた。時間がないんだ。力を貸して欲しい。」


―――

キース宰相は、淡々と事実だけを告げる。

その全てが俺には衝撃だった。すでに"危機"じゃない。オルカラド王国はルシアン帝国からの侵略真っ只中じゃないか―!

「それじゃ、レオは…!!」

「あぁ。アレクセイに倒され、連れて行かれてしまった…私がいながら守ってやれず、申し訳ない。」

キースの言葉を最後まで聞き終わる前に、コヨーテは忌々しげに自分の拳を握りしめた。キバの面々も一様に悔しさが顔や仕草に滲み出ている。

キバの面々にとって、レオニードという男の存在の大きさは十分過ぎるくらい伝わってきたけど、とにかく今は時間がないみたいだ。こうしてる間にも、リアム王を追う元家臣の男がルシアン帝国の工作員たちを連れて迫っている。

キリルとコヨーテはアレクセイの出ていった時間やプッチの出立時間、目的地の場所など細かく確認していた。おおよその距離感、位置を確認する為なんだろう。


「キース」


静まりかえった中で、ぽつりとコヨーテが口を開いた。全員が、黙り込んだまま彼女の言葉の続きを待つ。コヨーテは真っ直ぐな視線をキース宰相に向けて続けた。


「まず、レオを救出する。そのあと、リアムを助ける。」


意外だ。

リアム王を最優先で助けるんだと思っていた。そう思ったものの、俺には口を挟むことができない。彼女の瞳には、迷いを断ち切る尋常じゃない決意を感じたからだ。リアム王を助けに行きたい気持ちを押し殺し、彼女が正確に状況を計算しているのは明らかだった。もちろん、キバの面々に異論はない。

あの好戦的なミカですら、この追い込まれた状況を理解していた。


「その前に案内して。最後にレオがいた場所へ。」


キース宰相も彼女に異論はなく、それ以上語る事もなく黙って頷くと足早に城の奥へと歩き出した。全員が歩き出したコヨーテに続く。

ダニールと目配せしながら、俺たちもそれに続いた。この城の美しさにえらい感動したと宰相に伝えたいと思ったけれど、ひとまず今は胸にしまっておくことにする。

城内は想像していたよりもかなり広く、その天井の高さに驚いたし、思っていたよりも音が反響する。音を立てないように気を使って歩いても、履いてるスニーカーの底が接する面がキュッキュッと短い音がどうしても響いてしまい、冷や冷やして体が強張る。

驚いたことに、キバやダニールは全く音も立てずに歩いていた。

「ここに敵はいない。そんなに警戒せずとも平気だ。」

「え…」

流暢な英語が自分に向けられているものだとは思わなかった。ダニールが自分に顔を向けたことで、キース宰相が自分を気遣って声を掛けたと知る。

ダニールが咄嗟に感謝を自分の代わりに伝えてくれた上で、宰相に問いかけた。

「我々の仲間が先に出発しているのですが、宰相はご存知でしょうか。」

富岡さんのことだ。

宰相は、歩きながらその整った顔をこちらに向けると、少しその口の端を緩ませて頷いてみせた。ダニールと同様、俺もほっとして小さく息を吐く。

「トミオカなら無事だ。彼には、先に我が国の機密資料の保管している特別書庫へ向かってもらっている。敵の一部も今その部屋を探している筈だ。」

「ええっ?そんな…大丈夫なんですか?」

「ハルキ…」

ダニールの制止を振り切ってキース宰相に近寄る。コヨーテたちの視線のなか、宰相は歩みを止める事もなく前を見据えて続けた。

「当然、危険はある。しかし、機密性の高い資料のある特別書庫は王と私しか知らぬ。何も知らない者が探すのは至難の業だ。トミオカには武器も持たせたし、城内についても説明した。私もこの城でやるべきことが終わり次第、すぐに向かうつもりだ。今は限られた人員で出来ることをするしかない。」

「そんな…悠長な…!富岡さんは武器なんて…!」

「いや、ハルキ…リョウは各国のライセンスを持ってるから大丈夫だよ。扱える。」

「ええ…?!」

おいおい。あの無精ひげ男、何なんだよ。もういっそのこと、スパイだったとか言ってくれよ。非現実的な思考に陥っていると、キース宰相は突然立ち止まった。

思わず一歩先に進んでしまい、自分も慌てて立ち止まる。彼は、こちらに向き直ると腕を後ろに回した姿勢で会釈をした。

「え…」

「申し訳ない。君や、君の国の仲間まで危険な状況に巻き込んでしまった事を、心から詫びたい。本来ならば、君たちの脱出を優先させるべきなのに。」

顔を上げたキース宰相は、心苦しい表情を浮かべていた。そこに嘘や建前は一切感じられず、謝られているこっちまで罪悪感が湧いてくる。

「彼からの有難い申し出はどうしても断れなかった。私の部下がこの陰謀のなかで命を落とし、頼れる者が意図的に減らされてしまった現状で、その力は借りるべきだと私が判断した。許してくれ、ハルキ・ヤマシロ。」

「え…」

(なぜ俺の名前を…)

「彼は君が私に詰め寄ることも想定していたよ。その時はこう言えば伝わる、と言っていた…」

ふっと目尻に皺を寄せると、キース宰相は恐らく富岡さんに習ったであろう日本語を懸命に口を動かしてぎこちなく続けた。


「イイカラ ダマッテ キースニ シタガエ、スネカジリ。」


(……だからッ!)


「俺は、スネカジリじゃないっ!」


その場にいた全員から静かにしろと容赦なく物理的に突っ込まれたのは言うまでもない。


♢ ♢ ♢ 

同時刻、春輝達を含めたキバの面々がキース・オルマンと漸くの再会を果たしていたころ―元家臣でルシアン帝国に通じていたプッチ・ウインスキー改め、本名ヒョードル・プッチは、武装した工作員たちを連れて馬でオルカラド王国北西部へ続く山道を力強く駆けていた。

首都ソルートから北西方向におよそ一時間ほど進んだ大きな森の中でリアム王が老臣イスカフとその部下たちと共にキース・オルマン宰相を探している場所こそ、プッチが目指している場所であった。

すべては、リアム・バザロフ王を生け捕り、祖国への大きな成果物とする為であった。この成果物だけでも、大きく祖国には貢献した事になる。オルカラド王国は王家の存在こそ絶対であり、平和国家の象徴だ。この国の侵略には王家の命こそが格好の交渉材料となる。これは潜入して更に確信した。


そして、唯一と言ってもいいほどの脅威であったキース・オルマンは実際、死んだ。キバの男のひとりも手に入り、リアム王を狩るには十分な人手もこちらにはある。

揺れる馬の背でひとりプッチはほくそ笑む。

(これで兄の地位は保証され、我が一族は安泰だ…)

最高権力者であるラプーチ様も大いに喜ぶであろう。さらには、彼に仕えている自分の兄、ドストエフ・プッチも、現在のルシアン統一党党首から副総帥へ昇格できる。祖国へ戻れば、兄のあとは自分が引き継ぐことも可能になる。


(こんなちっぽけな国など、さっさと手に入れて愛する祖国へ帰りたいものよ…)


潜伏期間を含めて十数年。オルカラド王国には暮らしはしたが、全く愛着は微塵も無い。滅びようと、そこに住む人間がどうなろうと知ったことか。我々の提案を十年前に跳ね返す身の程知らずな外交をするから、こんな事態になる。


(恨むなら、青臭い王を好きなだけ恨むがいいわ…)


駆けていると間もなく、先に駆けていた部下が声を上げた。数百メートル先で馬を降りて地面を指さしている。


「プッチ様、複数の馬が通った跡です。まだ新しいものです。この蹄鉄の形は、王家の馬のもの…間違いありません。」


無論、リアム王の乗る馬の鞍にGPS機器は仕込んでいたが、仕込む際に老臣イスカフに疑いをかけられ、正常起動を確認できないままでいた。もう少し距離を縮めれば、こちらから強制的に遠隔起動ができる。あの老臣の執念深い王への過剰警護と、自分への見下した態度を思い出し、プッチは無意識に親指を噛んでいた。


(あの老いぼれめ…今度こそ一掃してくれる。何の価値もない男だ。)


ばっさりと長い剣身を振って一撃を食らわせる構図や一発で脳天を銃でぶち抜く構図を想像し、プッチは鼻で笑う。あと少しだ。あと少しでリアム王もろとも射程距離内に捉えられる。

ちょうどその時、工作員部隊経由で渡された通信機器に連絡が入る。彼らの祖国ルシアン帝国も、キース死亡の知らせを受け、ルシアン軍本体の一部を応援部隊として進軍中、という知らせだった。謝辞を述べたあとで通信を切ると、プッチはその細い目に力強い光を込めて部下たちに視線を向ける。


「行くぞ。標的まで間もなくだ…!祖国に大きな花を咲かせようぞ…!」

「応っ!」


部下たちの士気の籠った応答に満足げに頷き、ヒョードル・プッチは馬を再び走らせた。黒い大きな波が、オルカラド王国を飲み込もうと、打ち寄せている。







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