第38話 喧騒と沈静


"良い習慣は、法律よりも確かなものだ"

         ―とある時代の悲劇詩人


***

その声は、瞬時に頭に入ってきた。


「伏せろッ!!」


思考より先に、体が反応していた。手を振りほどき、頭を下げる。


バンッ!バンッ!バン…ッ!バンッ!バン…ッ!…バンッバンッ!


自分を抑えつけていた両脇の男2人と、武装集団の後方にいた男たちが声を上げて倒れるのが視界の端で見えた。銃声が一瞬止む。

武装した男たちは、一斉に彼らの後方を振り返った。残された男たちは、思い思いに銃を取り出して応戦し始める。

目を開けると、自分の周りに頭や肩を撃ち抜かれた男たちが目を剥いて倒れているのが目に入り、飛び下がった。

「ッ!!うわ…ぁッ!」

思わず、大声をあげてしまった。

束の間、彼らが乗ってきた馬たちが銃声に驚き、一斉に動き出したので場は、さらに混乱した。


「山城ッ!子ども!!」


姿は見えないが、聞き慣れた日本語がはっきりと耳に届いた。痛む体に鞭打って、体勢を立て直す。

「脇道にいる馬に乗せろッ!」

視線を移すと、林道に立ち並ぶ大木の向こう側に馬らしき影が見えた。

「…はいッ!」

気絶している二人の子どもを急いで両脇に抱えて立ち上がる。

(く…っ意外と重い…!!)

もどかしいくらい全然スピードが出ない。

懸命に走ってるつもりだが、のろすぎて近くにいた男に気付かれて背中を殴られた。強烈な痛みと、迫る危険を感じて二人を手離す。雪が残っていて良かった。

「貴様ァ…!」

振り返ると、二人を連行してた若い男が敵意を剥き出しにして向かってきた。手にはナイフを持っている。

長い銀髪は、所々返り血で赤くなっている。その薄い青色の瞳は、怒りが滲み出ていた。


(やばい…!)


相手が強く踏み込むのがスローモーションのようにゆっくりと動いて見える。


咄嗟に見渡す。足元に転がる太めの幹を手に取り、構えた。集中する。銀髪の男は、明らかに貧弱な俺を見て、鼻で笑いながら悠々とナイフを振った。その通りだ。鋭利なナイフと落ちていた木の一部じゃ分が悪すぎる。


(いや、集中…ッ!!)


男の動きに合わせて屈み込み、一振りをかわす瞬間—少し飛び上がって男の振り落とした腕ごと蹴り飛ばす。渾身の、力を込めた。男は体勢を大きく崩して、後ろへよろける。

「よし…ッ!」

しかし相手はこっちが渾身の力を込めたのに倒れず、ゆっくりと顔を上げた。


(倒れろよ…っ!!)


その目は、さっきまでとは比較にならないくらい憤怒に燃えていた。


「貴…様ぁ…消えろッ!」


ヤバいッ!!!まじで今度こそヤバい!!!

男は腰のあたりに手を伸ばし、銃を取り出そうとしている。


(…ッ!だめだ、殺される!)


急いで駆け戻り、子どもたちを抱えて林道脇の影に押し出す。振り返った瞬間、顔を殴られた。

一瞬、どこを殴られたか分からないくらい顔や頭が強烈に痛む。顔をしかめて手で触れようとしたが、じわじわと口中が血で溢れ始めた。久し振りに味わう鉄の味が気色悪い。


「う…っ」


ぺっと溜まった血を吐く。まだ鉄の味が残って気持ちが悪くなった。


「凡人が、出しゃばるな」


強い力で容赦なく首を掴まれ、持ち上げられる。溢れる血は止まらず、さらに締め上げられて呼吸ができなくなり、徐々に意識が遠のいた。

目の前の憎々しげに自分を掴んでいる男の顔ですら、ぼんやりとして見ることができない。


(だめ…だ…死ぬ…)


瞼が重くなり、諦めて目を閉じた。


…パン……ッ!!!


突如、響いたひとつの銃声のあと、自分の首を掴み上げていた男が手を離した。


「…ッああッ!!」


激しく雪混じりの地面に叩きつけられる。痛みも感じたけど、一気に呼吸できた開放感のほうが大きくて、何度もその場で深呼吸した。首を押さえながら目を開ける。


「え…」


目の前に見えた足先をたどって見上げると、思ってもみない人物が立っていた。小柄な見た目とは裏腹の、意思の込もった大きな緑色の瞳—

人間じゃない。やっぱり、この人は妖精なんだ…


「やるじゃん。おつかれ。」


"妖精"は自分に向かって笑いかけると、彼女の後方にいた少年少女たちに向かって声を上げた。


「ミカ!いいよ、暴れてきな。今日は許す。」

「まじで!?やったー!!」


"ミカ"と呼ばれた少年は文字どおり飛び上がって喜んだ。彼女と背格好が近く、短い金髪は無邪気に揺れる。


「よっしゃー!偽キバ狩りじゃーーー!!」


楽しそうに大声をあげると、その少年は、まだ銃声や馬の啼き声の響く集団の元へ駆け出した。

「なんか…あのコ勘違いしてない?ったく血の気だけ多いんだから…!」

「まぁまぁ、ミカが勢い余っちゃう前に僕らで何とか先に捕まえましょうよ。」

「ったくもう…カシラ!先いくよ!」

森の中で会った少女と、見たことのない赤い巻毛の少年が、先に駆け出した"ミカ"という少年を追うように駆け出して行った。


「こ、コヨーテ…」


口を動かしたら唾液に混じる鉄の味をぐっと感じて、気持ち悪い。


「喋らないほうがいいよ。待ってて。今キリルに手当てしてもらうから。」


(え、"キリル"って…)


「あのアジア人の男もあんたの連れ?」


アジア人…富岡さんだとすぐに分かった。口をうまく開けないので何度も何度も頷く。そうだよ、富岡さん!

どうしよう、無事なのか?あんなに銃声が何度も聞こえてたけど…!


「大丈夫。生きてるよ。」


何も言ってないのにコヨーテは笑った。

「あんたってさ、本当に何者なの?」

「え…?」

「旅人ってのは嘘だったし…目的はなに?」

「それは…」

痛む頭で言い訳を考えていたら、言葉に詰まる。コヨーテは吹き出した。


「まぁ、いいや。その口じゃ話せないか。」


銃声は徐々におさまり、代わりに男たちの怒声や叫び声が聞こえてきた。


「ありがと」


すごく優しい声で驚いた。コヨーテのほうを見上げる。

「あの子たち、助けてくれて。」

「え…あの子たち…」

よく話の内容が掴めず、首を傾げると後ろから男の声がした。


「ユーリとアリナは、俺たちの仲間だ。」


"ユーリ"って…あの助けを求めてきた少年か…!

声のするほうに体を向けると、コヨーテと揃いの紋様の入った生地の服を着た少年が現れた。恐らく、彼が"キリル"だ。


「はい、これで口をゆすいで。」


言われるがまま、差し出された器に入っていた濁った水で口をゆすぐ。吐いたら、口内に溜まった血が唾液と一緒に全部出てスッキリした。

「薬湯だ。ラッキーだね。歯茎が切れただけだ。じきに顔が腫れるけど、大した事ない。はい、この布噛んで。」

「……ありがとう」

すごく手際が良い。

「キリル、あいつは?」

今のコヨーテの声は厳しさを帯びている。キリルは、首を横に振った。

「見失った。また得意の雲隠れ…ラスが一応このへんを探してる。」

キリルは俺を手当てしながら淡々と答えている。痛みで喋れないので、じっとしながら二人のやり取りを眺めた。


(キリルって子もコヨーテと同じ年くらいか…?)


少し巻毛がちな金髪が短く刈り上がって小ざっぱりとしている外見のキリルは、話し方も落ち着いていて余計に知的に見えた。

コヨーテも、接し方を見ているとキリルを信頼しているのが伝わってくる。


「ハルキ…!」


声のしたほうへ顔を向けると、ダニールが駆け寄ってくるところだった。その少し後ろから、富岡さんも歩いて来る。

「無事で良かった…!」

「ダニール…」

やはり思うように話せないので、コヨーテ達のおかげだと身振り手振りで説明する。ダニールは頷き、富岡さんを見た。


「よく踏ん張ったな。見直した。」


逆光のせいでよく見えず、顔をしかめる。顔の筋肉がつり、痛みが走った。

「っ痛…!」

「おーおーそれ以上動くな…元の顔に戻らなくなるぞ。」

「え…?」

「リョウ!いいから…!とりあえず…」

ダニールは、コヨーテたちのほうを向く。空気を察してコヨーテを庇うようにキリルが彼女の前に立ち上がった。


「お互い、ちょっと話しましょうか。」


ダニールの隣に富岡さんも並ぶ。


(なんか…)


とんでもない事になってきた—


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