第37話 疾駆の林道

俺は、なにをしようとしてるんだ。

その疑問が頭に浮かんでいながら、駆け出していた。若い男のあとについて歩き、遠ざかっていく男の子を追いかける。気配を感じて若い男が振り返るのが見えた。

男の子達を隠すようにして立ち止まると、電話を切っている。こちらにその視線をじっと向けてきた。


"お願い、助けて"


はっきり見たんだ。理由は分からないけど、男の子はたしかに、自分に向けて助けを求めていた。


「あっあの…!!」


男は、何も答えない。こちらを黙って見据えている。明らかに警戒されていた。

「なんか…落とされましたよ!」

たどたどしい言葉に、男は眉間に皺を寄せて目を細めた。

「……よそ者だな。」

「はは…そう、私は、旅人です。分かります?旅行中!」

心臓がばくばく言ってるのは、軽く走ったからだと思いたい。

「落としましたよ?」

「なにを」

男は喋ることが嫌そうだった。


「だから…これ…を…」


隠していた右手をゆっくり動かす。その時、後ろから顔を出していた男の子と目が合った。男の子の目は、理解を示している。


(よし…)


握り込んだ拳をゆっくり、焦らないように慎重にポケットから出す。男が自分の手元に意識を集中させているのが分かった。


「なんだ…はやく見せろ」


怪訝な顔をして、こっちに顔を向けた若い男は、勘付いた。


(今だ…っ!!)


握り込んだ携帯サイズの防犯スプレーを相手の目元へ何度も吹きかける。

「…ッく!!」

「こっちへ!あそこに馬がいるから!」

男の子は、ばさっと身を包んでいた布を投げ捨てた。すると、驚いたことに全く同じ顔をした女の子が彼の背中から飛び降りる。

「え…?」

眠ってたんじゃなかったのか…?


「危ない…っ!」


女の子が声を上げて、自分の腕を強く引っ張ったので、よろけて片膝をついた。

意外と強い力で驚く。

ひゅっ…という音が耳をかすめたので振り仰ぐと、若い男は目を閉じながらも手にナイフを持っていた。

「え…っ」

「貴様ら…っ図ったな…!」

いやいや!!あの防犯スプレーかけられたのに動けてるってどういう事なんだよ、強めのやつなのに!

「キバの仲間か!」


(え…?)


「走ってッ!!はやく!」


女の子にまた腕を強く引っ張られて我に返る。騒動に気がついた周りから悲鳴が上がった。周りの人間も避難したり、思い思いに騒ぎ始めていた。

「はやく…ッ!!」

「ね、君たち…キバとどう関係…」

「いいからッ!!走って!」

二人に促され、馬のいる場所へ戻るように走る。振り返ると、男の子がその若い男に向かって飛びかかるのが見えた。

「おい!彼が危な…」

「いいからッ!!私たちは馬を出すの!はやく!」

「あ、はい!」

有無を言わさない女の子の剣幕に圧倒される。身長差がかなりあるのに、同じ速度で走ってる彼女に違和感を感じた。


(この子たち何者…っ?!)


馬は不穏な空気を感じて暴れたけど、女の子が話しかけるとすぐ落ち着きを取り戻した。

女の子は自ら鞍に飛び乗る。その異常な脚力と身体能力にも驚きながら、自分も慌てて飛び乗った。

「行くよ!は…っ!」

何にも動じる事なく彼女は手慣れた所作で馬を走らせた。男の子のほうへ戻るらしい。男の子は凄まじい速さで殴打と足蹴りを若い男に繰り出し、若い男のナイフをかわしながら攻撃を繰り返している。

しかし、その若い男も目を潰されてるとは思えないほど機敏に応戦していた。

 

(何なんだよ!この子らも、この男も…!どうなってんの?)


「ユーリッ!」


女の子が男の子の背中に向かって声を掛ける。"ユーリ"と呼ばれた男の子は、若い男の左脇腹に強めの足蹴りをくらわせると、その勢いで後ろへ飛び下がった。

すぐさま女の子の伸ばした手の力を利用して、器用に飛び上がる。

男はさすがに堪えたのか、よろけて片膝をついた。ぺっと忌々しげに血を吐く。

「逃すか…!」

男は脇腹を押さえながら立ち上がった。


(立ち上がれるのかよ…ッ!!どうなってんの?!)


面食らっていると、二人が同時に怒鳴った。

「はやく!ついて来て!」

言われるがまま、駆け出す目の前の馬を必死で追いかける。


「ハルキ…?」


聞き慣れた声のほうを見ると、ダニールが布袋片手に店を出たところだった。


「ダニール…!」


なんて説明していいか分からず、結局なにも言えずに通り過ぎた。


(この方向は…)


俺たちが『マリンカ』から首都へ向かう方向と同じだ…二人は東へ向かってる。

だいたい、あの若い男もそうだけど、この子たちも明らかに普通の子どもじゃない。

「ねぇねぇ…!」

英語が通じるとは思ってなかったけど、ダニールもいないので、取り敢えず声を掛けた。

「君たちは…何者なの…?」

二人に、反応はない。やはり英語ではだめ…


「ありがとうございます。助けてくれて。」


(え…)


流暢な英語で、男の子が振り返った。

「怪我は?大丈夫ですか?」

「あ、いや…大丈夫。ありがとう…」

「あなた、旅人ではないんでしょう?」

「え…?」

さらりと男の子は言って、笑った。女の子も馬を走らせながら話し出す。


「宿で見てたから…それで街中で見たときピンときたの。旅人は携帯電話なんて買わないもの。」


(み、見られてたのか…)


「あれ…もしかして宿って…」


あのベット下で顔を見合わせた子どもの顔と目の前の子どもの顔が重なる。



(あの時の…!見間違い…じゃなかったのか…!)


「けど本当に助けてくれるなんて…あなたは勇敢ですね。」

「へ…?あ、いや…そんな…」


真顔で感謝されると気恥ずかしい。情けないことに馬の上で戸惑ってしまった。

馬はどんどん進み、さっきまでの喧騒が嘘のように遠ざかっていく。

「あのさ…二人はどこへ向かってるの…?俺にも…連れがいて…」

「……来た!」

「え…」


("来た"って…)


耳を澄ますと、後方から複数の馬が駆ける音が聞こえてきた。

嫌な予感しかしない。バランスを崩さないよう慎重に、後ろを見た。


(嘘…だろ…)


全員黒い布を顔まで覆った集団が、まとまって迫っていた。人数まで数える余裕がなくてまともに数えられず、分からない。そのスピードや勢いに圧倒されて、胃が締め付けられるように痛んだ。

「ふ…増えてる…っ!!」

「森に入ります…!ついて来て!」

賑やかな街並みを過ぎると、まだ整備されていない一本の真っ直ぐな林道に入っていた。雪の残る林道は、ずっと先まで続いている。森なんて、本当にこの先にあるのか…?

「森って…!どこ…?!」

焦りすぎて、無駄に馬を急かしてしまう。こんな危険な乗馬はしたことがない。

今にも振り落とされそうだ…!

「彼らは…?!誰なんだよ…ッ!」

追われる恐怖から、二人の背中に向かって怒鳴る。視界が揺れて仕方ない。

「ルシアンの一味です…っ!」

「え、えっ?!ルシアン…ッ?!」


(聞き間違いか?ルシアンって…!)


パス…ッ!パスパス…ッ!!


聞き慣れない不自然な音が空気を揺らし、斜め前の大木の幹の一部が弾け飛ぶ。

背中を冷や汗が伝った。

「え…銃…?」

しかも、サイレンサー付き。もう俺は生きて帰る自信はない。


パスッ…!パスパスパス…ッ!


こっちの不安などお構いなしに、黒い集団は次々と攻撃を続けてくる。

自分の耳横をかすめて行くのが分かった。彼らの銃弾の一部が、前の馬の後ろ足に被弾した。目の前で大きな馬がバランスを崩し、子ども二人ごと勢いよく引っくり返るのが目に入る。

「うわっ!!」

自分が乗っている馬もそれに動揺して、大きく嘶き、前足を高く上げたので、為す術なく振り落とされる。

激しく地面に打ちつけられる。冷たい湿った土に打ちつけられた鈍痛とショックで暫く身動きが取れない。

「痛っぇ…」


(…っ!二人は…!)


経験したことのない痛みに顔を歪めながらも、何とか半身を起こした。二人は被弾した馬が倒れている場所より、遥か先に転がっている。かなり強くはじき飛ばされていたらしい。気を失っているのか二人とも全く動かない。


(くそ…っ!)


子どもたちを守らなきゃ…!

背中や肩が痺れたように痛んだけど、立ち上がることはできた。情けないことに膝ががたがた震えて、まともに歩けない。なんとか子どもたちの所へ辿り着いた時には、黒い集団に追いつかれていた。倒れる二人の子どもの頬を叩いて声を掛ける。

「おい…!しっかりしろ、二人とも!おい!起きろよ!死ぬな!おい…!頼むよ!」


「無駄だ」


ぞっとするほど冷たくて、艶やかな声が背中から響いた。振り返ると、あの若い男が黒い集団のひとりに支えられながら立っていた。

「お前は誰だ」

問いかけられて、更に心臓が高鳴る。


(もう…だめだ…こんな武装した集団相手に丸腰じゃ…殺される…!)


いや、だめだ!考えろ!考えろ!考えろ!

富岡さんなら、どうする?


カチ…


どこからか銃が装填される音が聞こえた。

「ふっ…まぁ、いい。お前がじゃないのは明らかだ。」

その若い男は、悠々と近寄って来る。


(こいつは…誰なんだ…)


長い銀髪が風に煽られ、ふわりと動くのが目に入った。こっちを見下ろす視線の冷たさにぞっとする。


「そいつらを引き渡せ。渡せば、殺しはしない。意味は、理解できるな?」


喉が急激に乾いて、唾もろくに飲み込めない。俺より若いくせに、威圧の仕方だけは完璧だ。じりじりと後退りして、子どもたちの前で両腕を広げて見せた。


「どけ」


首を左右に振る。失礼なことに、若い男は鼻で笑った。


「何のつもりだ…おい、適当に指を切り落とせ。」


え…なんて?現地の言葉だと分からないんだけど…黒い集団の端にいた男たちが自分に向かってぞろぞろと歩いて来る。向かって来る途中で、ひとりがナイフを取り出すのが見えた。


(まじで殺す気か…?!)


「だめだ!やめろッ!」


子どもたちに覆いかぶさったら、男たちに寄ってたかって引き剥がされた。


「え…っあ、俺?ああッ!痛い!折れる折れる!!」


左手の指を数本無理やり突き出させられる。ナイフを持った男がゆっくりと振りかぶった。

どこに力を入れても悲しいくらい何にも相手に敵わず、かたく目を閉じる。TVドラマみたいにいかない。死ぬときなんて、こんなもんか。痛いのが続くのは嫌だな。


「伏せろッ!!」


聞き慣れた日本語が響いた—











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