第35話 見えぬ脅威

全員が、顔を見合わせた。

「じゃあ…その"スミノフ"は王家の人…?」

ダニールは首を横に振る。

「いや…それはないかな。王城というのは、王家以外の人間のほうが多く出入りするくらいだからね。」

王城って言うくらいだから王様の生活や仕事をする場所だ。王家の人間以上に、周りで働く人間のほうが多くなるのは理解できる。

「そもそも王家の人間が単身で出歩けるかよ。」

冷静な富岡さんにすかさず突っ込まれる。

「あ、そうか…」

悔しいけど、正論だ。国のトップがお供もなしに出歩く訳がない。となると、誰なんだ…?


「オルカラド王国の情報は元々入手しにくくて、国際会議に出てる人間くらいしか名前は公表されていないんだ。末端まで正確に辿るのはかなり難しいかも…」


ダニールも珍しく厳しい表情を浮かべている。


「あの…」


まだ立ち去っていなかった支配人が視線を泳がせながら、辿々しく言葉を選んで続ける。余計に興味が湧いた。


「私の…思い違い…かもしれないのですが…」


すごく慎重に、支配人は考えながら慎重に話しているのが分かった。

全員、急かさず続きを待つ。


「あの方は…キース…様ではないかと…」


初めて聞く名前だった。


「きーす…?」


聞き返すと、支配人はなぜか慌てている。


「あ、いや…!あの…っ私も、キース様がこのような場所にいらっしゃる訳がないと思い、似た方かと思って気に留め図にいたんですが…後から考えれば考えるほど、やはり…ご本人様だった気がしてきまして…!」

「キース、って人は誰なの?」


富岡さんが単刀直入に尋ねる。支配人は、申し訳なさそうに軽く頭を下げてから改めて口を開いた。


「失礼致しました。キース・オルマン宰相です。この国の…王を支える右腕のような方です。彼の名を知らない人間はこの国にはいません。」


ダニールも何か引っ掛かったのか、名前を反芻している。


「それなら、どこかで…聞いた事のある名前だ。」


そんなに有名なのか。その宰相さんは。


「その…キース宰相は王城勤務?」


富岡さんが続けると、支配人は何度も深く頷いた。


「えぇ、もちろん!キース様は重臣のなかでも特別だと聞きました。不測の事態に備える為に住み込みで働いているとか。」

「"不測の事態"ねぇ…」


顎に手をやり、何か考えている富岡さんを見ているとダニールが口を開いた。


「思い出した」


携帯のメモアプリにコピーした記事といくつかの名前が英字でメモしてある。

覗き込んで、その記事のタイトルを読んだ。


(危機…オルカラドの…救ったのは…)


小さな古い記事で、所々文字が潰れているが辛うじて読める。


「"オルカラドの危機"を救った影の立役者、キース・オルマン…彼ですか?」


ダニールが流暢な言葉で支配人に確認する。


「えぇ、そうです。その記事のとおり、10年程前…この国は一度傾きかけたことがあったんですが…あ、ありがとうございました」


先客の老人がゆっくりと店を出ていき、店には俺たちのほかに客はいなくなった。富岡さんの目の奥が鋭く光る。有無を言わさない勢いで支配人に告げた。


「その話、いま全部話してもらおうか。」



***


酒場『マリンカ』の扉には、「CLOSED」の看板が下がっている。白髪交じりの支配人を、異国の男たちが囲んで話し込んでいた。


「10年前―前代の王、ゲオルク・バザロフ様がお亡くなりになったんです。ゲオルク様は国民に大変慕われていた方だったので、この国一帯は喪に服していました。」


ダニールは携帯のメモアプリにスクラップしていた記事を検索しながら、耳を傾けている。


「私もこのころ、この店がちょうど軌道に乗ってきたところで…実はゲオルク様もお立ち寄り下さったこともあるんですよ。とても気さくでお優しい方で…だから彼の死は、この私でも堪えました。」


10年も前の話なのに、支配人の目が物憂げになるのを見ると、その亡くなった王様が本当に慕われていたのを感じる。そんな身近に感じられる王様なんているのか…なんか想像つかないな。


「そんな時だったんです。彼らが攻め込んで来たのは。」


突然富岡さんがすくっと立ち上がり、カウンター奥から灰皿を持ってくると、おもむろに煙草を取り出し始めた。

「え、ちょっと…何してるんですか…」

「昨日客に貰ったからさ。せっかくだし…」

「やめて下さいよ!煙くさくなるし…!こんな話してくれてる途中で…!大体ね、こういう店ってのは禁煙―」

支配人がにこりと遠慮深げに笑う。


「どうぞ…トミーロカ様のご自由に。」


振り返ると、富岡さんは得意満面に腰を下ろした。余裕気に煙草を一本取り出し、こちらに向ける。

「ほらな?トミーロカ様の弟くんよ、座りたまえ。悪いね、一本だけ…」

「えぇ、どうぞ。うちは禁煙じゃないので…」


(くっそ…!)


この人絶っ対、チヤホヤされて調子乗ってるよ!


「ハルキ、続き聞こう。」


ダニールに座るよう促され、渋々腰を下ろす。支配人は、俺にすら恐縮しながら再び話し出した。


「実は…その頃から、ここ辺りの国境付近の村は他国の武装した集団がうろつき始め、ろくに商売もできなくなったんです。」


「じゃあ、支配人さんも…」


「えぇ。私は早々に店をたたんで避難したので、そこまで被害は大きくならずに済みましたが…治安悪化が急激に進んでから間もなく…王城には、ルシアン帝国からの使者がやって来たそうです。」


え…


「ルシアン帝国、って…あの?」


飛行機と電車で通ってきた国じゃないか。


「"オルカラドの危機"は、ルシアン帝国が領土拡大の一環で侵攻したと言われてる。」


突然、富岡さんがふーっと白煙を吐き出しながら口を挟んだ。するとダニールも、それに続く。


「結局、本格的な武力侵攻に至らなかったから、対外的にはそこまで報道もされなかったんだよ。当時国際的にはかなり批判されていた。」


全然、知らなかった…


「それが…10年前にあった"オルカラドの危機"…」


「そうです。当時…ルシアン帝国の秘密部隊がこのラリヤク地方に潜伏している、ということで、キース様が率いる少数部隊がやって来たんです。」


ん…?ラリヤク…地方って何か知ってるぞ。


「お前なら分かるよな、?」


トミーロカが試すような視線を向けてきた。あの忙殺されそうな東京での日々の記憶が、不思議とさっと浮かび上がり鮮明に思い出せる。


「えっと…ラリヤク地方は、オルカラド王国、カラレア共和国の一部、ルシアン帝国が隣接し合う国境線を兼ねた地方一帯を指します。しかし、明確な国境線の規定が不明瞭なため、現在も領土問題が懸念される、って書いてありました!」


「へぇ…!」


ダニールが感心して手を叩く。


「で、ラリヤク地方に含まれる村は?」


安心も束の間、富岡さんはすかさず尋ねる。焦りながらも、あの時の記憶は自分でも不思議なくらい手に取る様に思い出せた。

「えーと…ルシアン帝国のサンガル、カラレア共和国のスハナの一部、オルカラドのリタ、シャリヤ、ウル…ですかね。」

「おぉ…!」

ダニールが小さく拍手し、支配人までなぜかそれを真似ている。なんだか…みんなに歓迎されると照れくさい。


「さすが弟、よくやった。」


(え……褒められた…?)


富岡さんは短くまとめるとすぐ、ほかの二人に向き直った。


「要は、この村を含めた一帯は、当時のルシアン帝国軍のねじろになってた訳だ。そこに、オルカラド軍の一部を率いたキース宰相殿が現れて根絶やしにした、と…そうだよね?」


急に念を押され、支配人は慌てて頷く。


「え、えぇ…そうです。我々も協力して…力のある若者たちは一緒に戦っていました。」


ダニールは深く頷きながら、メモに付け加えている。


「その、キース宰相殿が、なんで単身でまたこの地方に現れたか…それもお忍びで。」


富岡さんの呟きに、支配人も首を捻る。


「なぜかは…分かりかねますが…」


("その鷲を見て、血相を変えて…")


「鷲…」


呟くと、富岡さん達が一斉にこちらを見た。


「鷲…じゃないですか?理由は全く見当もつかないけど…その鷲を見て城に戻らなきゃいけないなら、まず、その鷲を調べましょうよ…!」


ダニールは楽しそうに笑う。


「いいね…!悪くない。王家の鷲なら、すぐ情報が手に入りそうだし。首都へ向かいながら情報を集めよう。」

「冴えてきたなぁ!弟くん。」

「いや…その弟っての、本当にやめてもらえます?」

「キース殿がソルートに発ったのは昨晩だから…向こうが止まらない限り、俺たちが追いつくのは無理だ。この国にまた"何か"起きてるとしたら…」


無視かよ!


「キバ事件どころじゃないのかもな…もっと大きい"何か"…」


え…


富岡さんは心底楽しそうに目を輝かせると、咥えていた煙草を灰皿に折り曲げるようにして消し捨てた。


「これは…結構、やばいかもねぇ…」

















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