第8話 キバ
雪が、また降り出していた。遠くで、狼の遠吠えが複数聞こえている。
「コヨーテ…!」
「カシラ!」
「コヨーテ!無事か!」
服の袖を雪で濡らして顔を拭っていた彼女が顔を上げた。声とともに男たちが様々な方向から現れるのを呆然と眺める。中には、頭上から軽やかに着地した者もいた。続々と現れる彼らの背格好は様々だったが、一様にコヨーテと同じ紋様があしらわれたオル(ショール)を纏っていた。
長弓を持った男が、素早くコヨーテに駆け寄ると、迷わずその傷に手を伸ばす。
「大丈夫かよ…見せてみろ。」
「平気、こっちは返り血だし…」
(コヨーテに、6人の男…)
「カシラ!だから一緒に行くって言ったのに!うわ…だっせ、やられてんじゃん。」
「うるさいな。仕方なかったんだよ。」
「おい、揺らすな。患部が見えないだろ。」
眉間に皺を寄せ、負傷した彼女の腕に手早く布を巻いている長弓の男も、彼女と同じ歳くらいか。
(しかし、処置も正確で随分早いな…)
凄まじい集中力と手際の良さからして、この青年は相当戦場に慣れている。一方、ふてくされて頬を膨らませる少年は、リアム王の姿を発見するなり、楽しそうに声をあげた。
「あ!この男がお前のあこが…」
バキッ!!
派手な音が響く。長身の男が、はしゃぐ少年の頭を容赦なく後ろから叩いた音だった。
「喋りすぎだ。黙ってさっさと仕事をしろ。」
「痛ってぇ…なんだよ、レオのバカ!ちくしょう!」
口をへの字口に曲げながらも、言われたとおりに鎖に繋がれた家臣たちの元へ跳ねるように駆けていく。レオ、と呼ばれた長身の男は、それには全く気にも留めず、動かない野盗たちを縛り上げて回っている。
すでに家臣たちも続々と解放され、目の前の光景に動揺していた。王に駆け寄る者もいる。
「レオ兄!こっちは終わったよー!」
ざわつく家臣たちの向こう側から、ひょっこりと顔を出して手を振る少年がいた。遠くに見える赤茶色の巻き毛頭は、随分人懐こい。
「エル!お前はミカのフォローにまわってくれ。」
「ははっ!了解、任せて!」
エル、と呼ばれた赤毛の少年は笑って頷くと、すぐに踵を返した。積雪をもろともせず、軽い足取りのまま俊足で駆けて行く。
(それにしても…)
どの少年たちも、尋常じゃない運動能力を備えている。
さっきの、長弓の青年を思い出していた。さほど筋肉質ではないが、あの若さで、あれほど迷いのない処置ができる人間は多くはいない。もし、彼らが全員コヨーテのような戦闘力を持っているなら、軍隊と同じくらいの力を発揮するだろう。いったい何なんだ。この集団は…
「俺は、リーダーじゃないですよ。」
ずっと見ていたせいで警戒されたらしい。こちらの思考を見透かすように、唐突に"レオ"に声を掛けられた。いつ間に戻っていたのか、すぐ隣に立っている。
「そうか…君じゃないなら誰なんだ?」
そう投げかけると意外なことに、レオはふっと優しく笑った。
「コヨーテです」
面食らい、一瞬言葉を失いそうになった。彼女は居場所を見つけるどころか、一つの軍隊を束ねていたというのか。
(何の為に……)
ハッとする。こちらの表情をまた読み取ったか、同時にレオの言葉が降ってきた。
「そう、あの方を守るためでしょうね。」
視線の先に、家臣たちに囲まれて笑っているリアム王の姿が目に入った。半泣きの者もいる家臣集団の向こう側に、手当てされるコヨーテの姿も見える。
隣で応急処置する長弓の青年と何か会話しながらも、視線は時おり王とその周辺に向けられていた。
「なぜ…彼女がそんな…」
正直、驚いた。日ごろ情報収集しても、彼らの噂は聞いた事がない。
「あなた達が知らないのは当然だ。俺たちは目印みたいな証は絶対に残さない。」
レオの慰めるような口調に、コヨーテが突如王の前から消えてしまった日を思い出す。
「しかし…そうなら!王をお守りしたいなら、なぜ王城に知らせない?彼女が消えたあと、王は心底心配されていたんだぞ…!せめて会えなくても一報くらい—」
「真の敵は」
とても強い口調でレオに遮られる。その気迫に、黙るしかなかった。
「真の敵は…手強く、執念深いってことをコヨーテはよく知ってる。リアム王は、それほど大きな敵に狙われているんです。」
絶句した。自分は、今まで何をしていたのか。彼らの話には説得力がある。恐らく、事実なのだろう。この5年を、あの危機は乗り越えたと思って生きてきた。
彼らの存在すら掴めずに、オルカラドの平和を守っているのは自分たちだと思っていた。王を守っているのは自分だと信じて疑わなかった…
(なんて…慢心だ…!)
何も見えていないじゃないか。
「"キース・オルマン"」
「え…」
「オルカラド王国の名宰相にして、ルシアン帝国が見落とした最強の名参謀。今や周辺諸国であなたの名を知らない人はいない。」
レオが不意にこちらを向いた。
「あなたも、標的だ。王にはあなた達がいるから心配ない、とコヨーテは5年前にも言ってた…だからこそ悪いふうに捉えないで欲しいんです。」
気休めかと思ったが、レオの目は真実を語っているように思える不思議な力があった。それに何より、現実的な危機が迫っているなら、嘆いている場合ではない。
野盗に襲われたのは本望ではないが、コヨーテたちと接触できたことには大きな意味があるように思えた。
「分かった。君たちは…その…どういう集団なんだ?」
レオはちらっと素早くあたりを伺うと、声を少し潜めて言った。
「キバの唄、ってご存知ですか?」
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