第7話 コヨーテ
降っていた雪は、止んでいた。
そこにいる誰もが、なにが起きたか理解できずにいる。皆が固唾を呑むなか、吹く風の音がより一層強く響き、倒れた野盗の体は積もった雪にずしっと沈んだ。
「な…っ何だよ、今の…っ!てめぇの仕業か!」
死んだ男の隣にいた野盗が動揺隠さず叫んだ。呼応するかのように、ほかの男たちも武器を持ち直して身構える。
「……」
男の声に一切応えない少女に目を凝らす。異様な存在感が漂っていた。
少年のように短い金髪がさらさらと風に揺れる顔は、大きな翠眼の瞳が際立って印象深い。
そこから放たれる眼光の鋭さと冷静さが、不気味な神々しさを放っていた。人間の子供というより、森の神の使い、という表現のほうが感覚的には得心だ。
(しかし、無理だ…!この大人数を相手に…)
あたりに人の気配もなく、圧倒的に不利な状況だ。
しかし、少女は表情ひとつ変えず、腰に備えていた短刀に手を伸た。
肩から斜めに掛けている毛皮のオル(ショール)を風にたなびかせ、彼女は素早く辺りを見渡す。王が捕らえられている方向で視線を止めた。見過ぎていたせいか不意に目が合い、ぎくりとする。雪のような肌に、真っ赤な唇の色がよく映えていた。
"どけ"
(え…)
声が聞こえたわけじゃない。彼女の唇がそう動いた…ように見えた。次の瞬間、少女は軽く踏み込むと、こちらに向かって駆け出した。そして、向かってくる男たちの数歩手前で勢いよく跳び上がる。人間離れした軽やかさで野盗たちの頭の上を飛び越えると、その落ちる勢いのまま迫る野盗たちに次々と斬りかかっていく。なんの迷いもない。まるで踊るように、男たちをあしらって軽やかに動き続ける。
(見事だ…)
悲鳴と怒号が入り混じるなか、彼女だけはそれとは無縁のように軽やかで、冷静だった。間も無く、彼女は負傷した男たちを後にして、再びこちらを向く。
今度は、走り出した彼女と、しっかり目が合った。
「どけッ!」
はっきりと、聞こえた。
凄まじい勢いで自分に向かってくる彼女に思わず文句を言いたくなる。捕らえられて足枷もある身で、どう退けば良いのか。やはり動こうにも足枷のせいで思うように動けない。一方、スピードを全く落とさず少女は迫って来ていた。
(くそ…っ)
前方に体を思いきり倒した。後ろ手に縛られているので、顔から勢いよく雪の中に埋まる。顔面に衝撃と冷気を感じた。溶けた雪で顔や体中がじわじわと濡れていくのが分かる。何も見えないなか、突如、背中に勢いよく飛び乗られ、強く踏み込まれた。体がさらに沈む。
(っ痛…っ!)
言葉どおり、踏み台にされたらしい。遠くで、金属のぶつかるような音や怒号と悲鳴が聞こえる。
(あの少女―)
倒れる寸前に見た少女の姿が残像のように浮かぶ。
(やはり、あの時の少女だ…信じ難いが、そうだとすると—)
「ど…どうしたんだ…何かあったのか…?」
「おい、なんだ…?!何が起きてる…!」
「誰か来たのか?!敵…?!」
布袋を被せられたままの捕らえられた家臣たちが、周りの異変に気付いて声をあげ始めた。
「案ずるな!敵ではない!」
雪中に埋もれながら、彼らの声がした方向へ僅かに顔を向けて声を張り上げる。
(しかし…)
味方、と言い切れるほど確かな根拠もなかった。記憶が正しければ、彼女はまだ10代半ば頃のはずだ。ここまで目覚ましい成長を遂げられるものだろうか。記憶のなかの幼い彼女と、目の前に突然現れた熟練した武人を繋げることができない。耳を澄まして聴こえる金属音の軽やかさと俊敏なリズム—あの身のこなしは只者ではない。
(そうだ、リアム様……!)
呑気に倒れている場合ではない。王に危害を加えないという保証は何もなかった。いつの間にかあんなに騒がしかった音や声が聞こえなくなっている。体をよじり、肩の力だけで這い進んだ。
「済んだぞ。」
突然、声の主に上体を引き上げられる。水滴が目に入って一瞬、視界がぼやけた。徐々に開けた視界のなかで負傷したリアム国王がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
想像を絶する光景が広がっていた。
既に絶命している者、呻き声をもらし恐怖に震える者、何とか逃げたいが体が動かせない者…中には二人、三人と重なったまま息絶えている所もある。その者たちのなかに、頭から布袋を被せられ、立て膝姿で為す術なく佇んでいる捕虜になりかけていた家臣たちの戸惑う姿が並ぶ。
(一人でこれだけの人数を相手にしたというのか…!)
冷え冷えとした風に吹かれて身震いした。当の武人は、自分の背後で黙々と縄を切断しようとしている。こちらに歩いてくるリアム国王が視界に入らなければ、暫く目の前に広がる光景に呆然としていただろう。
「キース!無事か!」
「リアム様…」
主が自分の名を呼ぶ声で我にかえった。リアム王は、右腕と額に少し切り傷があったものの、それ以外の外傷は見当たらない。安堵したとき、後ろ手に縛られていた縄が完全に切断されて自由になる。
「ご無事で良かった…いま手当てを…!」
「いやキース、それよりも彼女だ。私を庇って怪我をしている。」
「え…」
振り返り、ぎょっとする。目に入ってきた若き武人の顔は、沢山の返り血を浴びて髪ごと真っ赤に染まっていた。大きな瞳の白目部分がやけに目立つ。
たしかに、その左肩はオル(ショール)ごと大きく切り裂かれていた。よく見ると、血は指先からも滴り落ちている。
「大変だ…止血します。見せて下さい」
手を伸ばすと、素早く叩かれた。こちらを一瞥すると、すぐに目を背ける。
「いい。」
彼女は少し口ごもり、小声で続けた。
「…仲間が迎えにくる」
遠くで、微かに狼の遠吠えが聞こえた。
(仲間が…いたのか…)
「あいつらが来れば、あんたの足の鎖も切れると思う。」
「そうか…かたじけない。」
さっきまでの凄まじいエネルギーはどこへ行ったのか、ぽつりぽつりと喋る彼女は年相応に内気な少女そのものだ。不意に、リアム王が口を開いた。その声は嬉々として響く。
「そなたは、居場所を見つけたのだな。」
目を細め、優しい眼差しを彼女に向ける王の姿は、王というよりも兄のようだった。
「………うん。」
「良かった…!」
屈託なく微笑む王に、気恥ずかしいのかまた彼女は下を向く。そして、消え入りそうなほど小さな声でぽつりと呟いた。
「……あんたのおかげだ」
リアム王とこの幼き武人の出会いは、オルカラドの危機まで遡る。
♢ ♢ ♢
彼女は、ルシアン帝国の奴隷の娘だった。出身国は分からない。当時、ルシアン帝国は潜伏部隊に奴隷たちを同行させていた。
オルカラド軍が残党狩りに入った森のなかで発見した質素な山小屋に、彼女たちは取り残されていた。既に敵の部隊の姿は跡形もなく、彼女以外の子どもたちは鎖に繋がれたまま衰弱死していた。彼女も、気の毒なほど痩せていて虫の息だった。
「これは……ひどい…」
家臣たちの意見は割れたが、最終的に王の判断で城に連れ帰ると手当てをして匿った。当時のリアム王は、年の近い彼女の孤独さを放っておけないようだった。噛み殺そうと彼女が何度も王の暗殺を試みても、王は咎めない。
「……あんた殺されるよ」
それでも関わろうとする王に、少女は遂に口を開いた。
「たしかにな。いつかはそんな日も、来るかもしれない。」
「……ッ!!いつかじゃない、あんたは必ず、あいつらに殺される…!まだ狙われてるんだよ?あいつらからは…絶対、逃げられないんだっ…!」
出されたスープを器ごと投げつけて怯える彼女に、王は穏やかに温かい言葉を投げかけ続けた。
「大丈夫。私はそんなに簡単に死なないさ。だから王なんだ。」
「は…意味分かんない」
へそを曲げる少女に王は満面の笑みを浮かべる。
「そなたを初めての友としたいんだ。そなたの名をそろそろ教えてくれ。」
「勝手なやつ…!名前なんてないし。そんなの、どうでもいい…!」
一瞬、遠い目をした彼女を暫く眺めると、王は間髪入れずに手を叩いた。
「じゃあ勝手ついでに、私が命名しよう」
「おい!話聞いてんのか?名前なんていらな―」
「コヨーテ」
「……は?」
「そなたは、狼の仲間でありながら強い意思を秘めたコヨーテに似ている。小柄なところもそっくりだ。」
黙り込んだ彼女を無視して王は続ける。
「コヨーテは、孤高の美しさと真の強さを持っている。そなたに相応しいと思わないか?」
面食らった少女は、今度は銀のスプーンを王に投げつけると、口をつぐんだまま王と食事するテーブルに突っ伏した。その顔を隠すために。
「ださすぎ…ちっこい獣の名前かよ…」
その雪解けのようなオルカラドの一夜は、静かに更けていった—
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます