第5話 キース・オルマン
"オルカラド"―正式名称は、オルカラド王国。
リアム・バザロフ国王が治めている君主制国家で、限られた貿易を行いつつ内需バランスをうまく取るという、小国でありながらも堅実な国家運営をしている数少ない国でもある。
オルカラド王国は険しい山々と深い森に囲まれ、他国からの侵攻を受けにくく、実際に幾度も免れてきた。
しかし、周辺世界が戦いによって領土を拡大・縮小していた激動の時代に突入すると、そんな小国にも最大の危機が訪れる。現在の国王リアム・バザロフの父、先代ゲオルク・バザロフの急逝である。
当時、リアムは弱冠15歳。今から10年前の出来事だった。
オルカラド王国の立地が、国境線がわりの山や森を挟んで隣のルシアン帝国と陸つづきになっている事から、ゲオルク国王が逝去した際、領土拡大にまい進していた大国ルシアン帝国は、その勢いある触手をオルカラドへも向けようとした。
幼い王の初仕事は、親の遺した国と国民を、全力で守り抜くことだった。
今にも迫り来る大国の触手から国民を守るためには、どうしたらいいのか。戦火は免れない状況下で、幼い王は覚悟を決める。
(早いものだな。あれから10年か…)
「キース宰相、国王様がお呼びです。」
「あぁ、いま伺うよ。ありがとう。」
窓の外で今朝から降り始めた粉雪が、窓枠に薄く積もっていく。
オルカラド国の宰相キース・オルマンは、その青い瞳の奥で10年前に見たオルカラドの危機を反芻していた。
当時、キースはオルカラド国軍の参謀として敵軍を出し抜いて打破し、ルシアン帝国側の主要な資金源の一つを見事に玉砕した。こんな小国はすぐに手に入ると踏んでいた大国ルシアン帝国は、出鼻を挫かれ、王都を目前に、撤退を余儀なくされた。
キース・オルマンは、近隣諸国では言わずと知れた名宰相だ。
先代のゲオルク国王時代に、その才覚を見込まれて15歳で王室付になると頭角を現し、若くして宰相まで登りつめた秀才である。10年前のオルカラドの危機の際も、その類まれな才覚を発揮して現在に至るまでリアム国王を支え続けていた。
(あの日も、今日みたいに雪が降っていたな…)
眩しそうに目を細めて窓の外を見やり、キースは当時懸命に生きた国王と、その家臣たちの姿を思い起こしていた。
(あの潔さ、実に見事だった…)
当時、大国ルシアン帝国の使者は「抵抗せず、国を譲れば無用な血は流さないで済む」と若き王を上手に脅した。重臣たちが見守るなか、誰もが若き王は血を流さない道を模索するのだと思った。
しかし、リアム皇子は「ふざけるな」と一喝して空気を凍らせる。その声は、家臣たちを奮い立たせるには十分すぎる正論だった。
「すでに血は流れている!順番を誤るなと伝えよ。良いか、我らを侮るな。最低限の礼も示せない国に屈する我らではない。好きに攻めて来るがよい!」
自分の目の前で声をあげたリアム皇子が「戦う」という大きな決断をした瞬間を、キースは忘れたことがない。それは、まさに次の王の誕生を目の当たりにした瞬間だった。
あの瞬間から、キースの不屈の忠誠心は更に強固になる。こうして、オルカラドの危機は不動の王の存在を世間に知らしめて幕を閉じた。
「キースです。ただいま参りました。」
キースは、リアム国王が普段使用している執務室の重厚な扉の前で少し頭を下げ、声を掛けた。
「入れ」
力のある、張りのある声が中から響く。
「はい。失礼致します。」
ゆっくりと扉を開け、執務室へ入る。
天井まで届きそうなガラス窓の前で、国王は腕を後ろ手に組んで直立し、外を眺めていた。その凛とした後ろ姿は、先代の国王と瓜二つだ。もちろん、父親と言えど執務中の先代国王の姿を、リアム王が見た事は無い。ゆえに真似ではない自然な所作だったのだろうが、キースはひとり感嘆した。
(ここまで似るとは…血縁とは実に不思議なものだ。)
扉を閉めると、リアム国王はゆっくりとキースのほうへ振り返った。キースはその場に跪き、頭を下げて言葉を待つ。
「先ほどプッチに聞いたぞ。また、"キバ"による死人が出たらしいな」
キースは思わず心の中で舌打ちをした。重臣の一人であるプッチの名が出たのは意外ではないが、だからこそ腹立たしい。
(何を考えているんだ、王に伝えるとは…!)
キースも、その知らせは耳に入っていた。
しかし、まだ不確かな事が多すぎて情報を集めているところだった。いやなタイミングだ。
「…はい。その様ですね。」
「やはり、"彼女"の仕業なのか…?」
顔をあげると、王の視線はまっすぐ自分を捉えている。
その瞳が語っているとおり、王の言葉には祈りにも似た感情がこもっているようにキースには感じられた。しかし、表情を変えずに俯き続ける。推測だけで王に期待をさせる事はできない。
「それは、まだ分かりかねます。現在、情報を集めていますので分かり次第、ご報告を…」
「しかし、キース…!」
「リアム様。私も、信じたいのです。」
キースの偽りのない言葉は、国王に次の言葉を呑み込ませた。
「…分かった。お前に免じてもう少し待とう。急いでくれ。」
「かしこまりました。」
丁重に頭を下げると、キースは王の執務室を後にした。
石畳の廊下を歩きながら、キースは思いを巡らせる。窓に積もる雪が記憶を呼び起こす。雪中で映える彼女の大きな瞳とその鋭い眼光が一瞬、頭をよぎる。最後に"彼女"の姿を見たのは、5年ほど前だったか…
「コヨーテ…」
そなたは今、どこにいる―
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