日本(Japan)

第2話 国際警察庁長官の息子

狼狽えた声は、よく響く。

周りが固唾を飲んで自分達を見守るなか、自分もどうしたら良いのか分からず、その場で動けずにいた。

「は?彼って誰よ…え、新人?こいつが?」

トミオカ、と呼ばれた目の前の男は、何が起こったのか理解できていない。眉間に皺を寄せ、少し苛立って見えた。素早く周りを見渡して答えを求めるも、目が合った職員は途端に気まずそうに目を逸らす。

「富岡くん、ちょっと…!」

「あ、部長。何す…かって、え?何?」

「いいから!あっちで説明するから…!」

上司は彼に駆け寄ってなにかを囁き、そのまま会議室へと連行していった。張り詰めていたオフィスも、二人の姿が会議室に消えた途端、ホッとしたように元どおり動き出す。


(内容なんて、たいてい決まってる…)


―上の判断で、我々が預かることになったんだ、堪えてくれ。

―無理に仕事をさせなくていい。当たり障りのないことだけ、やらせておけばいいから…

―間違っても、我々に非があるように捉えられないようにな。お父上に何か言われたら大変だぞ。分かってるな?


心の中でため息をつきながら当初説明された席に座る。前にも似たようなことがあった。右手の痛みを思い出す。

「気にしないでいいよ?」

「へ…っ?」

声のするほうへ目を向けると、隣席の女性職員だった。黙り込んだ自分を見て、気を使って話しかけてくれたに違いない。

「ごめんねぇ。富岡くんってね、いっつも、あんな調子なの!」

明るい茶髪をねじり、その毛束を器用にまとめた髪型が真っ先に目を引いた。こざっぱりとした顔立ちだが、笑顔に華やかさがある人だ。


(自分と同じ20代か…?)


富岡さんの言葉に傷ついていると思われたらしい。彼女は敢えて大げさに嫌な顔を自分に向けてきた。それを見て、自然と笑えた。

「けど僕も失礼なこと言っちゃって…」

相手は先輩なのに、初日から口ごたえしてしまった。その事実は結局、変わりはしない。短絡的だった自分の行動が今さら恥ずかしい。

「えっ!まじめー!」

意外にも、女性職員は急に大声を上げた。

「初対面であんなに怒鳴られたのに!?人格否定されたのに?何なら、軽く暴力振るわれたのに!?」

「そんなに改めて言わなくても…」

詰め寄る彼女の言葉にまた思わず吹き出してしまった。周りの職員も笑っている。

さらに、彼女は構わず身を乗り出して続ける。


「ねぇねぇ、久我くんってさ、やっぱ久我長官の"クガ" なの?!」


("久我長官のクガ"って…)


すごく不思議だけど、この人の言葉は全然嫌じゃないな。むしろ、その屈託のない開けっ広げな表現に笑ってしまう。

「はい…そうです。父です。」

「あ、やっぱりー!あの富岡相手に健気に反省するなんてさぁ、さすが噂の長官ご子息は謙虚なんだねぇ♪」

「いえ、そんな良いものじゃないですから…」


(というか、噂になってたのか…)


興奮気味な彼女の勢いは止まらない。ふいに、勢いよくこちらへ顔を向けて言った。

「富岡くんとさ、けっこう相性良いんじゃない?!」

「……はい?」

思ってもみない言葉に面食らった。しかも、相手が相手だけに…すごく嫌だ。

「…」

富岡さんは明らかに30代後半だ。なのに、そんな富岡さんを呼び捨てにできるって…この女性ヒトいくつなんだろう。

「あの…富岡さんって、いくつくらいの方なんですか…?」

質問の意図に気付かず、女性職員はけろっと笑って答えた。

「40だよ?私と同い年だから。」

「へぇ…なるほど…」




まじか…っ!!

この人たちの見た目年齢、どうなってんだよ!てっきり自分と同世代かと思ってたよ。あぶねー!

敬語使っておいて良かった…

「あっ!ねぇ、久我くん。システムに登録しちゃうから名前フルネームで教えてー」

彼女は、すでに何事もなかったかのようにPCに向き直っていた。カタカタとキーボードを鳴らし、なにやらデータ入力している。画面をのぞくと、入力者欄に表示されている彼女の名前が目に入った。


"藤代ふじしろ さくら"


名前通りだ。


(サクラ…さん)


この人の笑顔はそれだけで華やかで、その存在が周りを和ませている。妙に納得しつつ答える。

「久我、春輝です」

「おっけー♪」

早速カタカタと手早く入力しているサクラさんの横顔を眺めていると、不思議と頑張ろうと思えた。


(それに…)


周りの職員たちを眺める。余計な無駄口をたたく訳でもなく、それぞれがそつなく仕事をしている。あの頃みたいなヘマは二度としないと決めた。今度こそ、慎ましく、おとなしく生きるんだ。

「あ!説教終わった?」

彼女のやけに楽しそうな声で我に返る。その視線を追って振り返ると、"不服"と顔に書いてある富岡さんが腕を組んで立っていた。


(うっわ、すごく不満気…)


じっと遠慮なく自分を見てくるので、気まずくて視線を逸らす。

「何者だ?お前。」

「え…?」

桜さんの机脇にあるキャビネット上に積まれたお菓子に手を伸ばしながら富岡さんが声をかけてきた。


「あっ!ちょっと!勝手に…!」


桜さんの反応も全く気にする事なく、富岡さんは飴の包装紙を手早くむいて口に放り込む。

「ど…どういう意味ですか…?」

口を動かしながら、富岡さんは顔色ひとつ変えずに答えた。

「そのままの意味。こんなに外野に騒がれてる中途は初めてだから一応本人に聞いてみようかと思って。」


(そのまま、って…)


考えていたら間があいてしまった。富岡さんは何も言わず、回答を待っている。


「何者…でもないです。」


そうだ。俺は、何者でもない。咄嗟に出た自分の言葉に妙に納得する。そのまま過ぎるかと違う言葉を探した。

「ただの…新参者、ってだけで…」

少し、緊張した。意外なことに、富岡さんはふっと笑って呟く。

「へぇ…"ただの新参者"ねぇ…」

なぜ、富岡さんが笑ったかは分からない。

「あの…そんなこと聞いてどうするんですか?一体何の質問…」

「ま、いいわ!一応、分かった。」

勢いよく手を合わせると、富岡さんは納得したのか自席へ戻って行く。

「いや、こっちが意味分からなくて困ってるんですけど…!」

まるで意味が分からない。何なんだ、この人…

「あ、そうだ…」

富岡さんは冗談か本気か分からない表情を浮かべて、振り返った。

「ひとつ、教えておいてやる」

目が合うと、富岡さんは続ける。


「基礎が全てだ。どんな仕事でも、どんな立場でもな。」


なぜか、富岡さんの言葉には強さがあった。どうしても聞き入ってしまう自分がいる。

「だから無駄にするなよ。全てが、お前次第だ。」

「…?あ、はい…」

楽するなって事か…?俺が父親のおかげで中途入社した半人前だから忠告をしてるのか?はいと返事をしたものの、富岡さんの言葉の真意がよく理解できない。

上司に指示された管理職専用の席に渋々戻っていく富岡さんの背中を眺めながら、俺は、それ以上何も聞けずに佇むしかなかった。


国際警察庁付調査機関(通称IAIP)は、国際警察庁日本支部の隣、霞ヶ関にあるオフィスビルに位置している。


隣接するビルの窓に映る青空がきらきらと反射して、フロアに光の影を落としていた。

海外の支部ともやり取りするため、人種に関係なく様々な職員が働いているこのフロアは、すっかり元の活気を取り戻していた。


(それにしても…)


改めて見ても、富岡さんは40歳には全く見えない。ふさふさの黒い髪はウェーブが微かにかかっている。それが淡白な顔を精悍に見せていた。だいたい、肌なんてハリありまくりで、浅黒い。

(あれ…)

白地のTシャツに黒色の細身のパンツ、白いスニーカーというシンプルな格好が、嫌味なくやけに似合っていて羨ましい。何かスポーツでもやってたんだろうか。


(意外と清潔感がある…)


「おい…なんか今、すごく失礼なこと考えてるだろ」


背が高いからか独特の威圧感がする。けど、怯むわけにはいかない。

「か、考えてません。あの…さっきは…!」

「久我くん」

非礼を詫びようとしたら上司に突然、割って入られた。

「今日から富岡くんの仕事を手伝ってやってくれないかな?」

驚いて内容が一瞬入ってこない。

「へ…?」

「え…」

富岡さんと目が合った。彼の目が「断れ」と強く語っている。

「あ、はい…けど、その…僕は足手まといになるので遠慮…させてもらえませんか…?事務作業でも何でもやりますから!ね、富岡さん!」

「ほら!本人だってこう言ってんだから、そうしましょうよ。大体ね、俺にまだ部下は早いっすよ。この間のインターンだって、突然来なくなったわけだし…」

畳み掛けるように話し出す富岡さんを一瞥し、上司はこちらへ向き直る。

「いいや。君のコーチ役は富岡くんに決めた。何でもやる気なら別に問題ないだろう?」

「あ、はい…けど、えーと…」

まずい。言い返せるだけの適当な理由が見つからない。

「色々学ぶといい。口は悪いが仕事は早いんだ。頼んだよ」

「……はい」

富岡さんは上司の背後でうなだれていた。

「あ、あの…宜しくお願いします!」

「まじか…」

こうして、口の悪い富岡先輩のもとで働くことになり、俺の社会人生活(2回目)がスタートしたのだった。

今思えばこの頃の俺は、まるで分かっていなかった。自分のことも、周りのことも。それに、父親が紹介してくれたこの組織のことも―


無理もない。


なにが、この先待ち受けているのかなんて、この頃の俺には知る由もなかったんだから―




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