第一部

第1話 プロローグ

キバの唄


"耳を澄ませて。

雪夜に響く彼らの声が聞こえるかい?

悪いことをすると、彼らに見つかる。

だから、悪いことはしちゃいけない。


彼らは、必ず、見つける。

闇夜に紛れた悪の芽を。

密かに摘んで、朝焼けの中に消えて行く。


彼らは、正義の狼。

彼らの牙は、侮らないほうがいい―"



―――――――――――――――――


「…ここで言う"彼ら"って誰のことなんですかね?」

「だから、"正義の狼"だろ」

「いやいや!それは比喩でしょ?正義心の強い狼たちが夜な夜な悪い奴を探しては食べてる訳ないんだから…」

「食べる、なんて書いてないだろ。"摘む"んだよ、やつらは。」

「やつらは、って…見てないくせに何言ってんですか。"摘む"だって比喩ですよ、きっと!」

「なにキレてんだよ…それにしても寒くない?」

「だからさっき毛皮買ったほうがいいって言ったのに…この国は降雪量もそうだけど山に囲まれてるから、この時期かなり冷え込むんですよ。」

「へー。だめだ、やっぱ寒すぎる。おい、さっき買った物よこせ。」

「あのですね…酒なんて飲んだらまじで上に怒られますよ?」

「"上"ねぇ…お前みたいに若いくせに肝っ玉がちっこい人間にはなりたくないね。ほら、よこせって。少ししか飲まねーから。」


(はぁ。なんで俺が…)


自分から捥ぎ取るように小さな酒瓶を手に取り、手際よく開けて飲み始める目の前の男を恨めしく眺める。内心溜息をついた。そもそも、自分がここまで遠い土地にまで足を踏み入れることになるとは思わなかった。

この男に、巻き込まれるまでは。


◇ ◇ ◇


国際警察庁付調査機関(IAIP)

—そこに配属が決まったのは数ヶ月前の事だ。


その親組織である国際警察庁 最高責任者—国際警察庁長官を父に持つ自分に、上司を含め皆かなり気を使っている。常に自分の挙動が周りの人間の目に晒されている様な感覚には慣れていた。それに気付かないふりをする応対も、幼い頃から特に変わっていない。

「久我くん。不自由な事があればすぐに教えてくれ。無理は禁物だよ?」

「ありがとうございます。」

そんな幼稚な扱いを受けても怒りはしない。25年間で染み付いた社交儀礼みたいなもんだ。偉大な父と、息子―だから息子も、息子を雇わされた雇用者側も、お互い暗黙の了解のもと”大人な対応”を心掛ける。そのはずだった。


「どけ。邪魔。」


だから、最初は自分へ向けられた言葉だとは思わなかった。周りの大人たちのほうが驚き、ぎくりと振り返ってこちらを見ている。

「嘘だろ、聞こえてねぇのか…お前だよ。お前。」

覗き込まれた気配がしたかと思った瞬間、突然肩を強く小突かれた。

「痛っっ!え?え…?」

「…なんだ、声は出んのか。お前さ、勘違いしてるみたいだけど、ここ、俺の席だから。どいてくれ。」

声のしたほうを振り返ると、中年の男が腕を組んで立っていた。意思の強そうな目が、じいっと自分を容赦なく捉えている。真正面から、こんなに容赦ない視線を向けられたのは初めてだった。


相手から掛けられた乱暴な言葉を思い出し、慌てて立ち上がる。

「あ、いや…この席が自分の席だと言われまして…」

男は露骨に呆れた表情を浮かべる。鼻で笑うと更に続けた。

「そんなの知るか。ここは、俺の席。さっさと確認し直せ、ばーか」

カチンときた。親指だけ立てた右手を振り、ほかの席に行けと言わんばかりのジェスチャーも気分がすごく悪くなったけど、特にむっときたのは、無駄に伸ばされた最後の"馬鹿"の言い回しだ。

「ば、ばかって…!あなたこそ少しは周りに聞けばいいのに…急に小突いたり、その物言いは何なんですか?」

「物言い、だと…?日本語くらい勉強してこい、ガキ。ここは俺の席。どけ、仕事の邪魔だ。」

ガ、ガキって…そっちこそ、いい大人のくせに何て言い方をするんだ、この人は!

(完っ全に頭きた…)

「あんたね…」

無意識に拳を強い力で握りしめた、その時だった。


「富岡くんッ!何してる!そこはっ彼の席だッ!」


突如響いた上司の大声に、驚いて開いた手が少し痛む。これが、富岡さんとの出会いだ。


富岡とみおか りょう


仕事の鬼、一匹狼、偏屈、変わり者、パワハラ上司…彼の不名誉な肩書きは死ぬほど沢山ほかの先輩方から噂を聞いた。彼と同じ部署に配属ってだけで周りの先輩が気の毒がったり、何故そうなったのかと訝しんだり、反応は様々だったが、共通で言えるのは俺の転職した未来はどうやら明るくはなさそうだ。


初日から嫌な空気で参ったが、そんな周りからの評判は彼のほんの一部に過ぎないって事を、俺は身をもって知ることになる。

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