第五話

 目が覚めたら、ぐわんぐわんと脳みそが回っている感じがして落ちつかなかった。

 何度も何度もこうして、どうしてまだ夢から覚めないのだろう。夢の中でさらに夢を見るという経験は何度もあるが、こんなにも長い夢は初めてだ。


「ゆめ、だよね……?」


 ちいさくつぶやいてみるも、体を取りまく感覚がどうにもそのもので、自分がおかしくなったような気さえした。

 両手は未だに後ろで一つに結ばれている。着ているものもあいかわらず着物で、腰のあたりで揺れる髪の毛に、気分が悪くなる。


 いま、自分がどのような顔でいるのか、どのような姿でいるのか気になって仕方がなかった。

 こんな恰好はしたことないし、髪の毛だって腰までつくほど長くない。ミディアムヘアーな自分が、どうして揺れる髪を感じなきゃいけないんだろう。

 身体をよじって確認しようとしてみるけれど、上手くいかない。


「いみ、わかんない」


 なにより意味が分からないのは、宇宙に似ているあのひとだ。

 どう考えたって宇宙でしかない見た目と声を持っているのに、体があいつを拒否する。宇宙じゃない、って心の奥の何かが叫んでいる。


 真剣な顔をしている宇宙は何度も見てきた。怒っている宇宙だって、悲しんでいる宇宙だって、全部ぜんぶ見てきた。

 なのに、“あんな顔”、知らない。あんなに冷たくてこわい顔、わたしは知らない。


 思い出すだけでふるえる。

 こわくてこわくて、叫びだしたくなる。


 “そら”じゃないって言ったり、宇宙って呼びかけて返事をしたり、あいつが何を考えているのかわからない。

 どう見たって宇宙でしかないあいつは、本当に自分の知る宇宙なのかわからなくて、なんだかあいつに突き放された印象さえ受けた。

 なにが、起こっているんだろう。わたしは、どうしてここに――。


「おはよう」


 突然、声が聞こえた。

 びっくりして肩をゆらしながら顔を上げれば、鉄格子の向こう側に知っている顔のひとがいた。


「えっ」


 おもわず声を出せば、キョトンとした男のひと。


「どーしたの」


 にこにこして尋ねてきたそのひとが、鉄格子にある南京錠らしきものに手を触れた瞬間、ガチャリと音がして扉が開いた。

 それにまたびっくりして、「どんなマジックだよ……」とこぼす。


 長い前髪は左目をおおい隠していて、口元のホクロが印象的だ。やさしい声色は色気がある。

 濃い灰色の着流しでいるその人は宇宙とちがって、こわい雰囲気は一切感じられない。胸元に巻かれた包帯は――たしか、サラシって言うっけ。


「その、カオルくん、だよね」


 そうだ、このひとはカオルくんだ。

 一つ年下の斎藤さいとう かおるくん。サッカーが上手で、イケメンくんで、かわいい雰囲気の子だった。

 昨日の朝練で初めて挨拶を交したばかりの仲だが、さすがに顔は覚えている――認識した瞬間、心の中にどろりと黒いものが生まれて、心臓を喰らおうとするのがわかった。


 知っている人がこうやっているのに、どうしてこんなにも、世界に突き放されているかのような、ひとりぼっちの感覚に陥るのだろう。


「ど、どうして、ここに」


 ぽつりとこぼれた疑問の言葉は、考える間もなく口から飛び出た。


 宇宙もいる、カオルくんもいる――そうなると、ここにいるのはうちのサッカー部メンバーだろうか。

 だけど、どうしてここに来たんだろう。そもそも、わたしはあの時、確かに寝たはずなんだ。


「あの、ここはどこ? ここにはカオルくんが連れて来たの? 宇宙にはもう会った? なんかワケわかんないことになってて……、サッカー部の連中で合宿にでも来たのかな。でもわたし、確かに昨日ベッドで寝たから、サプライズイベント的なドッキリにしては、ちょっと手が、こみすぎっていうか……」


 口に出すと、どんどん不安が押し寄せてくる。

 じっとこちらを見つめてくるカオルくんを見ながら、情けないほど眉を下げて泣きそうになっていた。


「あの、セラちゃんって、そらと知り合いなの?」

「えっ」


 突然の質問にびっくりして、また声をあげる。


 「そら」、だって?

 カオルくんのことは知らない、という振る舞いをしていた宇宙の様子からして、二人があの段階、つまり新入部員紹介時の段階で知り合いだったというのは考えにくい。

 ましてや、カオルくんは自分たちよりも一つ下、つまり後輩。呼び捨てができるほどの仲に突然なるわけもないし、なにかが変だ。


 なにより、宇宙とわたしが仲良いのは地元では昔から有名だし、宇宙の友達ならわたしのことを知らないはずはない。

 後輩なのに呼び捨てできるほど仲が良いとしても、わたしたちのことを知らないのは、はっきり言って不自然だ。


 そもそも、わたしのことを“セラちゃん”なんていう言い方をするような子じゃない。

 先輩に対していきなりちゃん付けで馴れ馴れしく呼ぶような子、という印象はない。

 とても礼儀正しくて、かわいらしい雰囲気の後輩の男の子、という印象だった。


「その、カオルくんって、そんなに宇宙と仲良いっけ」

「えっ」


 今度はカオルくんが驚く場面だった。

 色気のある切れ長の目をまんまるに見開いて、きょとんとする。


「あ、いや、なんかごめん」


 失礼なことを聞いた、とすぐにおもった。混乱している頭は、元々の悪さもあってか、上手く機能してくれない。

 嫌な思いさせちゃったかな。

 そうおもって顔色をうかがったが、「大丈夫だよ」と笑われるだけで、特に気にした様子はないようだった。ほ、と息を吐く。


「此処がどこか、ってセラちゃん聞いてたけど――」

「う、うん」

「セラちゃんってどこの生まれの子なの?」


 どこの生まれの子?

 また変な聞き方で変なことを聞くもんだな。そうおもいながら、自分の出身地を告げる。

 けれど、カオルくんはそれを舌ったらずな口調で復唱したあと、「そうなんだ」と言うだけだった。

 あれ、知らないのかな。


「田舎だから、知らなくてもしかたないとおもうけどね!」


 一応フォローしておくと、彼は「ごめんね」と言って苦笑する。

 まぁ、地名に詳しくないひともいるし、うちの学校は遠くから通うひとも多いからな。そう納得させて、「気にしてないからね!」と笑っておいた。

 「やさしいね」と同じように笑みを見せてくれたカオルくんに、「イケメンにはね!」と冗談を返す。


「いけ、めん?」


 不思議そうにそう言った彼に、ああ、とおもう。

 イケメンって自分がイケメンであることを認めないタイプと、認めていて最大限利用するタイプに分かれるが、やっぱりカオルくんの性格からして前者だよね。


「昨日も言ったけど、カオルくんってイケメンだよ」

「そ、そうかな」

「なんかこう、中性的な美男子って感じ! 色気むんむんなのに爽やか少年的な」

「ううん……僕、褒められてる?」

「最大限の愛情と欲望をもって褒めてる」

「なにそれ」


 そう言ってへにゃりと笑ってみせた彼に、わたしもちょっとずつ心が落ちついてくる。

 と同時に、後ろで縛られている両手が気になって仕方なくて、「あのさ」と声をかけた。


「ん?」

 笑顔で首をかしげてくれるカオルくんを見ながら、「手なんだけど……」と声を出す。


「なんか、両手しばられてて、意味がわかんないんだけど、その、外してもらえたりとかって、できない?」


 上目づかいにそう聞けば、彼の眉は申し訳なさそうに下がった。


「ごめんね。僕にはできないよ」


 まぁ、そうだよね。

 納得したけど納得いかない、という矛盾した感情を抱えながら、わたしは「ここ、ほんとにどこなんだろ」とつぶやく。

 この状況を見ても慣れた様子で入ってきたカオルくん。普通なら、人が牢屋に入れられて両手しばられて地面に座らされているのを見たら、ちょっとは動揺するはずなんだけど。


 そうおもうと、彼はここがどこなのか知っているし、どうしてわたしがここにいるかも分かっているのだろう。それなのに、なんにも教えてくれないところをみると、もやもやとしたなにかが残った。

 なにもしていないわたしが、なんでこんな目にあわなきゃいけないんだろうという確かな怒りとともに、わたしのことを心配している様子を見せるのに、この状況に顔色一つ変えない目の前の"人間"に、苛立ちを隠せない自分がいた。


「ゆめ、だから、いいんだけど」


 ありえないことが重なっているところを見ると、やっぱり明晰夢なのだろうとおもう。

 リアルな夢ってけっこう見るし、おかしいことじゃない。

 あまりにリアルすぎるのが怖いが、“ありえない”ことが起こっている時点で、現実という判断は下しにくい。


「あ、セラちゃん」

「ん?」

「おなか、すかない?」


 聞かれた質問に一瞬、なにを言われているのかまったく理解できなかったが、言葉の意味を実感したら、とたんにお腹が空腹をうったえるようにぐぅ、と鳴った。

 そういえば、とってもおなかがすいてる。

 お腹の音を聞いたカオルくんは嬉しそうに笑って、「なにか持ってくる!」と笑顔で言い切った。


 じゃあ、お願いしようかな。そう言おうとした唇が、開いて閉じる。


 あれ、夢で空腹なんて、感じたことあったっけ。

 そういえば、しばられている両手の感覚だとか、それこそ背中で揺れる髪の毛の感触だとか、五感がやけにリアルに再現されているような……。

 そう認識した瞬間、また背筋がぞくりとして、顔の血の気が一気に引いていったような気がした。


「、まって、カオルくん」


 立ち上がろうとした彼に呼びかければ、「そんな顔して、どうしたの」と心配そうに眉を寄せられる。


 ここで聞いたって夢の中なんだから、都合のいいように返されるだけのことだ。だから、彼に聞いたって意味がない。

 なのに、確認しなきゃっておもう気持ちは止まらない。不安と焦る気持ちがない交ぜになって、ぐるぐると胸の内をかき乱す。


 本当にこれが夢だって言える?

 本当にこの感覚が本物じゃないって言える?

 いま感じた空腹は? 不安は? 恐怖は?


 足の裏の冷たさ、髪の毛の揺れる感触、肌に触れる生温かい空気、動くたびにじゃらりと鳴る金属音――全部これが夢なんだって、わたしほんとうに、言い切れる?


「うっ……!」


 吐き気がしておもわず声を出せば、「だいじょうぶ!?」と焦ったような声があがった。


 ちがう、ちがう、ちがう。だいじょうぶじゃない。


「セラちゃん、ゆっくり息吸って」

「っ、ぅえ!」

「胃の中のものは吐いていいから、我慢しないでね」


 だいじょうぶじゃ、ない。ぜんぜん、だいじょうぶなんかじゃ、ない。


 だって、この吐き気はなに。

 この息苦しさはなに。

 この気持ち悪さはなに。

 この感触はなに。


「ぐっ、うえっ、う……!」

「ゆっくり、ゆっくりだよ。焦らないで」


 これって本当に、ゆめ?


「っ、は……!」


 酸素が足らないと必死に息を吸おうとするのに、まったく呼吸ができずに涙が目にたまっていく。

 かすむ視界のなかでカオルくんが心配そうに「セラちゃん!」と名前を呼んでくれているけれど、それに応える余裕はない。


 そもそもわたしの名前は、そんな響きじゃない。


 ゆめなのか、ゆめじゃないのか。

 ほんものなのか、ほんものじゃないのか。


 脳内をまわる疑問は、爆発しそうなほど巨大なものになって心臓を食らい尽くす。

 落ちつかない鼓動は焦燥感と不安を引きつれ、震える唇は心を置き去りにする。


「、っ、ここ、どこ……」


 夢じゃない――心のどこかで、だれかに言われた気がした。

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さよなら、かみさま【絶望ラブコメ異世界トリップ】 一之瀬ゆん @6mqn

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