第四話
「
黒装束に身を包んだ一つの影が、着流しの男に
「ご苦労だったな」
一言、紡がれた言葉に小さく「
着流しが視線だけで肯定の意を飛ばす。
「名を柊セラ、
目覚めたら。
そんなことが実際に有り得るのか。
実のところ、その点については確かに「有り得る」と断言できた。
それほどの場所であると、住まう彼ら自身がよくよく認識している。
有り得ない話ではない。
しかし、それを真実だと判断するには情報が足りない。
嘘をついていると切り捨てるのは楽だが、それはあまりに安直すぎる。彼らとしても、情報を正しく整理し、理解できるよう、ある程度の時間をかけないわけにはいかなった。
厄介な拾い物をしたようだ――思うが、ここで殺してしまえば重要な情報をも失くす可能性がある。そうして己の首を絞めてしまってはあまりにナンセンスだ。
そう思うからこそ、丁寧に女の素性を明らかにすべく動いていた。そして、尋問の手練れであるこの黒装束に任せたからこそ、ここまで聞き出せたのだろうという思いがあった。
「就寝前、“すばる”が精神的不安定な状態にあり普段より床に就くのが遅れたが、あの女は寝る直前、“そら”と共におり、翌朝その者と朝練に向かう予定だったという。恐らくこの場合の朝練は、我々と同義ではありません」
此処にも“朝練”と名の付くものはあったが、同じものを意味しているようには思えなかった。
「“そら”と“すばる”の話になると一気に
「だろうな」
「率直に、闇への耐性は無い、と感じざるをえません」
着流し自身もそう判断したからこそ、女の口調と同様のものを用いることで、話しやすい雰囲気を出したのだ。
何より着流しの場合は“そら”と呼ばれる女の知り合いに間違えられているという利点があり、聞き出しやすかったとも言える。
女の目に浮かぶ不安と混乱と恐怖は着流しの姿を見た瞬間、一気になりを潜めたことから、“そら”という人物がいかに女にとって安定剤なのかが分かった。
「それと、気になる資料が」
そう言った黒装束に、着流しは目を細めた。
その視線が何を意味しているのか黒装束には分からなかったが、今は報告が先だと判断し、「続けます」と一言断りを入れる。
着流しはその態度について何を言うともなく、ただ黒装束が口を開く様をじっと見ていた。
「柊セラという名の者が、
視線だけで「続けろ」と伝えた着流しは、
「一、柊セラの魔素は、魔術を使えるほどの量ではない、
「持つ者がいないとされる光属性、か」
「……はい」
体、及び世界は魔素によって構成されている。
一般的に、体内で構成されている魔素は無属性とされ、無属性魔素があらゆる生物にとっての基本の属性、つまり原素とされている。
一方、訓練を積んだ素質のある者は、闇・光・風・火・土・水のいずれか一属性に特化した魔素を集め、操れるよう訓練する。そう、魔術を扱えるようになる。
優位属性は相性があるため、全てを操ることは不可能とされているが、そうして一属性を極めることで、あらゆる分野のスペシャリストとして貢献するのがこの世の理(ことわり)であった。
特に闇、光属性を持つ者は稀少とされ、あらゆる分野に秀でた稀有な存在として一目置かれる。そして、その中でも光属性はなにより特殊で、伝説でしか語られてこなかった幻の属性だった。
そう、これまで扱う者がいなかったのだ。
「勇者と言われる奴らの
「……主と同じ意見ですよ」
その一言に、主と呼ばれる着流しは小さく笑ったが、それ以上何か言葉を投げることはなかった。
コタロウと呼ばれた黒装束も、着流しが何かを紡ぐことを期待してはいなかったのだろう。特に何の反応も返さず、「それともう一つ」と報告を繋げた。
「柊セラは魔術の才に恵まれなかったせいで、女中としても下位におり、友人や師はおらず、常に一人で行動していたとされている。唯一の肉親、及び柊セラの関係者である父・柊レイジも行方不明となっており、“そら”や“すばる”という名の知り合いはいなかった」
「
「……はい」
黒装束は着流しを見つめた。
やはりご存じだったのか――
しかし、ただの女中の名や容姿、さらにはそこまでの詳細を覚えているものなのだろうかという疑問が残った。
領主の屋敷は重要書類や禁術の巻物、更には
仕掛けや罠が多々あるということも考慮し、信頼できる家系の娘しか雇用してはいないものの、主自身が直接関わりを持つことは
食事の際に、担当の女中が直接持ってくるくらいのものか。
しかし、この柊セラという女中は長担当ではなかったし、今一つ関連性を見出すことができなかった。
持ち前の頭の良さと記憶力で、屋敷に仕える者すべてを覚えてしまったのだろうか。
不自然ではないが、違和感を抱いた。
そんな黒装束に気がついたらしい。着流しが小さく口角を上げる。
「何より、“そら”なんて名をつける奴はこの地にはいない」
「いたとしたら不敬罪ですよ」
「俺は構わんがな」
「いえ、神の領域に触れる行為です」
無表情に言い切った黒装束に、「だとすれば、女の言う“そら”は俺である可能性が高い」と着流しは声を出した。
黒装束もそのことは分かっていた。
この着流しの男――ソラはこの里の領主であり主。そんな彼と同じ名を自分の子どもにつけることは、里に住まう者にはできない。
規則として禁じられているわけではなかったが、領主であるということはこの里の神に等しく、暗黙の了解として、神と同じ名をつけるなど不敬罪にあたるとされていたのだ。
さらに、"ソラ"という名はもはや世界で
故に、“そら”と言えば、この主以外、ほぼあり得ないと断定できた。
「関係があったのですか」
黒装束が尋ねると、「あったと思うか」と質問で返されてしまった。
そこで、黒装束はハッとして気がついた――関係があったのだ、と。
そして思う。
それでいて、彼は女のことを知らないのだ。
そのように考えると、柊セラと名乗った女がどうにも奇妙な存在に思えて仕方がなかった。それはきっと、この男の方がもっと感じているだろうけれど。
「どおりで、貴方にしては珍しく尋問に消極的だったと感じました。それでいて、何故あそこで出てきたのかも」
「尋問・拷問に関してはお前を信用している。俺よりお前の方が有効だと判断したからだ。あそこで出てきたのは、あの女が俺を、自分の知る“そら”だと勘違いしていたからに他ならない」
「しかし、長はあの女と関係があったのでしょう?」
「だが、俺はあの女を知らない」
何の、なぞなぞだ。黒装束は自分が彼に踊らされているのをひしひしと感じざるをえなかった。
それでも、もっとも有力な事実候補として挙げるとするならば――。
「部分的な記憶喪失の線が濃厚、でしょうか」
柊セラと体内要素が一致していて、女の指す“そら”がこの主で間違いないのならば。
さらに言えば、「俺はあの女は知らない」という男の言葉は、「記憶喪失前とは別人のようだ」と換言できる。
「しかし、こちらの記憶を喪失している割には、色んなことをしっかり覚えていることになりますね」
「魔術の干渉による記憶の混乱とも断定できない。属性が生まれていることの奇妙さが、記憶喪失だけでは説明できない」
「……はい」
此処はどこなのだと、不安と恐怖を
そのくせ“そら”と“すばる”のことを庇うほど大切に思っている記憶があり、自分のことも明確に説明できるというちぐはぐさ。
女の中にある
そう、魔素をコントロールできていないのだ。わかりやすく、気全体で混乱を示している。
さらに、混乱した様子で言葉を詰まらせながらも、昨夜から今までの流れを追って言及できることを考慮すると、部分的な記憶喪失と結論付けるには違和感がぬぐえなかった。
記憶喪失という割には、女の記憶は確かな様子だった。にもかかわらず、女は此処にいる理由を理解できずにいるばかりか、此処にいる者を知っていながら、知らない様子で恐れていたのだ。
一方、女の構成要素はこの里の女中である柊セラのもので間違いないし、容姿や声質も一致していて別人とは言い難い。
そのことが、女を調査する上で引っ掛かっている最大要素だった。
「あの女、ベッドと言ったな」
「はい、私も気になっていた単語です」
「ベッドという単語を知っているのはおかしい。記憶喪失なら尚更だ」
その言葉に黒装束は静かに頷いた。そう、その単語を知っていることはおかしいことだった。
「実は他の女中に話を聞きましたが、我々が見た女の性格と証言によるそれが不一致の状態で、
「そこで記憶喪失、という判断か」
黒装束は静かに頷いた。
元々間者としてこの里に来ていたものの、何らかの事故で突如記憶喪失になった。元々目立たない大人しい性格を演じていたのは、我々の記憶に強く残らないため。しかし、意図せぬ形で記憶喪失になってしまったため、こうして注目を浴びてしまっているのではないか。
それが黒装束の見解だった。
記憶喪失になってしまえば嫌でも目立つ。
間者であれば、注目を浴びてしまったことで結果的に任務は失敗、ということになろう。女に疑いの目がいくことは必至であるからだ。
これがあちら側に伝われば、女はいずれ処分されるだろう。勇者が許しても、世界は許さない。
「主、命を」
さて、どうしたものか。着流しはそっと目を閉じる。
その様子を黒装束が見つめていたが、目を閉じたのはほとんど一瞬で、すぐに目が合った。
「主」
真っ直ぐとした視線が重なり、着流しは口を開く――。
「飼い馴らせ」
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