幼子の愛情
「奴は、魔法使いだろ。」
魔法使い、宇治アサト。──今となっては名前なんてどうでもいいけど。
死ぬはずなんて無かった。だって奴は魔法使いなんだ。その証拠に、今ボクは少々いびつな女性として暮らしている。諱戸が女性になってしまったからか、ボクも次の世界では女性になっていた。でも、それが諱戸の愛情なのだとボクは受け入れた。諱戸が死んだ妹のからだを無理矢理借りたことなんて、もう知っていたけれど気にしなかった。ボクは、愛する妹と諱戸を手に入れたんだ。ボクの願いも、叶ってしまったんだ。
女性のボクを、世界は受け入れる。だって、奴がそういう世界にしたんだ。福田が言っていた、「東が死ぬ」っていうのも少しだけ意味が分かった。あれは、「俺」としての東が死ぬということだったんだ。もうこの世界に東という「俺」は存在しない。
「はー、ヒールきっつ……。」
履きなれない靴はつらい。だから普通の靴で良かったんだ。自分の選択に悪態をつきながら坂道を上る。その時、前方にふと黒髪の女が佇んでいるのが見えた。女は定期的に左右に首を振っている。その時点でボクはみてはいけないものだと悟った。しかし、彼女は道いっぱいにその手を広げている。そこを通るしか無かった。
ゆっくりと、気づいていないふりをして歩く。こいつらは透けるので、多少の寒気さえ我慢したら通り抜けられる。そうしていくつも伸びている手の内の1本に触れてしまった時、凄まじい勢いでボクの頭の中に映像が流れ込んできた。
『ねえ、お姉さん?いつもここでご本を読んでるけれど、なんで?』
『……みんな、クモを気持ち悪いって言うから。』
『クモ?虫?……そっかー、虫はみんなきらいだもんね。』
『そうね。……できることなら、クモになってその可愛さをアピールしてみたいわ。というか、普通にこんな身体能力持ってみたい。』
『僕、できるよ。』
『え?』
『お姉さん、誰にも受け入れられてなくてかわいそう。僕がお姉さんのお願い、叶えてあげる。』
ぱちん。
冷や汗を全身にかいていた。こんなものみたのは初めてだ。思わず振り返ってしまう。
そこには、もう黒髪の女の姿は無かった。
行動の理念は「かわいそう」、だったか。確かに誰にも理解してもらえないクモ好きの女はかわいそうではあった。それでも、あんなクリーチャーになってしまうほうがかわいそうでは無いか。お姉さんと呼ばれていた女性は今の黒髪の女だと思う。それに、話していた小学生くらいの男の子は、どこをどう見ても奴だった。
「もしかして……この歌片町の変なもの全部奴がつくったの……?」
恐ろしくなった。奴の考えることは、分かるようで分からなかった。それはボクらがとうの昔に失った感情だった。
幼子の愛情。その一言に尽きるだろう。かわいそうだから、助けてあげる。それが人のためにならないとも知らず、無邪気に手を差し伸べるのだ。子どもの頃はたぶん、上手く行っていなかった。段々成長していくにつれて、できることが増えていったのだろう。酷くて惨くて、どこまでも無垢な愛情だった。ボクはその愛情を恐れていたんだ。小さい頃から、何度も何度も何度もみてきた。だから彼が嫌な存在であると気づいていたのだ。それも無意識下で。
「そんな、嘘だろ……?」
自分の変な妄想に過ぎない。けれど、嘘だとも思えなかった。
瀕死のアリがかわいそうだから踏んで楽にしてあげる。
ノミをつけている猫がかわいそうだから、殺虫剤を吹きかけてあげる。
仲の悪いミミズがかわいそうだから、一緒に結んであげる。
いっそ残酷とも思える彼の内面が、死んでからみえてくる。しあわせにしてあげる、と彼は新たな世界でボクに言った。気が狂いそうだった。そこで、坂を上り終えた。
ここは見晴らしがいい。歌片町が一望できるが、ボクはその風景に違和感を覚えた。町が暗い。確かに台風は近づいているものの、まだ雲は薄い。それなのに、何故か町に異様な闇が漂っているように見えて、怖くなった。
「……あの、東さん、でしょうか。」
「……はい?」
振り返ると、初老の女性が近付いてきた。和服に身を包み、上品な気配が漂っている。
「あの、失礼かとは思いますが、あなたは……。」
「宇治美春と申します。アサトの母です……。」
「あ、お母様ですか。この度はどうもご愁傷さまで……。」
「いえ、息子は残り数ヶ月も生きられませんでしたので……。それより、これを。」
涙を流すこともなく、奴の母親はしゃんと背を伸ばして私にノートを一冊手渡した。表紙には、「東さんへ」とだけ書いてあった。
「あの、これは……?」
「あの子が生前私に託したものです。自分が死んだら、東さんという級友に渡してほしいと。」
「はあ、そうですか。ありがとうございます。」
「いえ、確かに渡しましたので……。」
奴は、由緒正しきおぼっちゃんだったのかもしれない。そう思いながらノートを開く。1ページ目に、簡潔な文章が記されていた。
『僕はどうせ病気(という名の魔法の使い過ぎ)で死ぬからいいんだけど、僕の魔法がいつ解除されるかは僕自身分からないんだ。もしかしたら、僕が死んだ後に魔法が解けてしまうのかもね?バイバイ。』
彼が、黄泉の国で嗤っているような気がした。ノートをぱらぱらとめくると、最後にまた文章があった。
『バイバイって書いたのに、皮肉屋。あのね、僕はこの町のヒトたちがぜんぶかわいそうに見えたから、全員に魔法をかけたんだ。どうかな、解けちゃってるかな。東さん、その良く見える目で願いが叶った人がどうなるか、しっかり確認しておいてよ。』
さっきから、からだの震えが止まらない。何となく理解していた。ボクにかかった魔法が解けた時点で、ボクがどうなってしまうのか。でも、離したくない。離れたくない。自分のからだをぎゅっと抱え込む。
ボクの願いは、「愛する妹、それから諱戸と、離れないようにひとつになってしまう」ことだった。実は、妹が死ぬ前に切っておいた爪と髪の毛はもう飲んでいた。それでも足りずに燻っていた所に、妹のからだを借りた諱戸が現れたのだ。結局、諱戸自身も好きになってしまったが、ボクの願いは叶った。ということは、奴にお願いを叶えてもらってしまったんだ。
「あ、ああ……」
願いを叶えてしまったら、どうなるのか。耳鳴りが激しいし、吐き気が収まらない。昼なのに空は暗く、歌片町だけに異変が起こっていった。
ボクのからだが、こころが、引き裂かれていく。
ぱたんと手からノートが落ちた。裏表紙には、大きくこう書かれていた。
ぱちん。
幼子の愛情 細雪きゅくろ @kyukuro_sasame
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