エピローグ

 窓の外に景色を視線を移す。四階の一室だけあって人の行き交いや交通量、それに青々と繁る木々の並木が見てとれる。人々の表情も多種多様だ。笑っている人もいれば悩んでいる人、イライラしている人もいる。実に平和な光景だった。

 歩道の片隅で見知ったスライムが同じく知人である女子にはたかれる姿も見えたが実に平和な世界である。

「マスター、現実逃避されるのもそれぐらいにした方が良いかと」

 注意され、窓に向けていた視線を恋人の方へと変える。見ればお見舞いの一つである梨を果物ナイフで剥いていた。

「いやだって、こうも騒ぎ立てられればね」

「過去には戻れないのですから、気にしても仕方ないですよ。人の噂も七十五日。気長に待ちましょう」

「それは分かってるんだけど……」

 流暢に梨を回しながら皮を剥き続けるリンス。果皮を途中で切ることなく一定の動きを続けるところを見るに彼女はまるで動揺してないようだった。

 医療ベッドの隅に置いていた点けっぱなしのスマホをちらりと見る。そこには二日前の出来事にも関わらず某大手サイトで大きな見出しとなっている記事が表示されていた。

「愛の告白、決闘の果てに……ねぇ」

 心底重たい息を吐きながらぼやく。

 ネットニュースだけではない。SNSもテレビも新聞もラジオも――メディアというメディアが先日の試合を取り上げている。それも試合結果ではなく途中に行われた告白劇を。既に高校生を中心に美談として扱われていた。

 世界は真面目な試合よりも分かりやすい感動劇を望んでいるらしい。

「確かに恥ずかしいですが」

 言いながら八等分された果実の載った皿を差し出してくる。

「私は今幸せですので」

 少しばかり気恥ずかしそうにしているものの、幸せオーラが確かに伝わってくる。そのおかげかこちらまでついにやけてしまった。擦り傷に打撲、骨折に加えて挫傷と怪我のフルコースを味わっているが心は非常に満足だった。

「ちょっと貴方! どういうことよこれは!」

 突如病院に似つかわしくない大声で、チンパンジーよりも知能指数が低いであろう生物がドアを叩いた。幸福な時間を過ごしていた二人にとっては頭が痛くなる来訪者である。

「何で貴方達のニュースばかり流れてるのよ! 勝ったのは私。私なのよ!」

 手に持った新聞を叩きながらずかずかと病室に侵入するエルナ。余程怒りの捌け口になったのか、朝に売られたばかりであろう新聞がすっかりくしゃくしゃになっていた。

 先日の試合、勝者となったのはエルナだった。最後の一撃は相討ちでお互いに倒れたものの、持ち前の根性により立ち上がったのだ。その不屈の精神は多少なりとも賞賛されたようだが、ユカリ達程メディアの注目は集まらなかった。むしろ人を操る行為に避難のの声もあったらしい。

「限りなく私闘に近い勝負でしたからね。結果よりも過程に興味を持つ人が大多数だったのではないでしょうか。バラエティ番組みたいなものです」

「だからってこの扱いは何! もっと賛美されても良いでしょうに!」

「そりゃ第三者を介入させればなぁ」

 痛いところを突かれたのか「うっ」と一歩下がるエルナ。リンスを操った犯人についてはジークによる謝罪でユカリもエルナも知っている。秘書の責任を一方的に擦り付けないあたり、エルナも多少は進歩しているらしい。

「てか何でお前はそんなピンピンしてるんだよ。内臓やられてんじゃなかったのか?」

「貴方とは鍛え方が違うのよ」

 臓器まで鍛えてるとか、いよいよ類人猿に例えるのが類人猿に失礼になってきたなぁ。

「貴方も素質は悪くないのだから、トレーニングはこのまま続けなさいな」

 傍若無人にユカリの傍に近寄ると、梨を一切れ掴み口へと運んだ。

「それはマスターの!」

「固いこと言わないの。私も怪我人だし」

「人のものを強奪する怪我人がいますか!」

「それなら私のも剥きなさい」

「それが人にものを頼む態度ですか!」

「良いじゃない、これぐらい。それでも次期魔王のお嫁さんなの?」

「およ、およよ、およよよ――!」

 およよよ?

 壊れてしまったリンスを放っておき、ユカリはエルナに黙って皿を差し出した。筋肉馬鹿は満足気に笑うと、残っている中で大きめの梨を取る。

「そういやジークさんは?」

「歯医者に行ってるわ」

 小気味の良い音を立てながら食していく。食べ終わった後に指を舐める姿はやたらと艶っぽく綺麗だった。

 歯医者? 何で? 虫歯かな?

「そっか……。それにしても試合結果はどうあれ大盛況だったし、やった甲斐はあったな」

「そうね。本当はもっと一方的に展開になると思っていたのだけれど、予想以上にやってくれたわ。正直貴方の、いえ、貴方達の努力量を舐めていた」

 エルナの予想外の誉め言葉に目が丸くなる。その衝撃がどれだけ凄いかというと、壊れていたリンスが元に戻ったほどだ。

「驚いた――まさかエルナの口からそんな言葉が出るなんて」

「……その包帯が巻かれたお腹に一撃放っても良いのだけれど?」

「ごめんなさい」

 素直に頭を下げる。例え殴り掛かられたとしてもリンスが守ってくれるのだろうが、無用な戦いを避けられるならプライドなど安いものだ。

「分かれば良いわ。私だって他者の頑張りを認めた時には正当な評価を下すわよ」

 リンスが用意していたウェットティッシュを一枚掴むと、手を拭きながらエルナは立ち上がる。そして口をもごもごさせた後、エルナの割に小さな声で言った。

「町を良くしたいって気持ちは貴方達と同じつもりよ」

 一点の曇りもない目。たったそれだけで彼女の言葉が信用に足ることが分かった。

 しかしながらやはり恥ずかしかったのか、言い放った後に直ぐに踵を返して部屋から出て行った。エルナにしては珍しくしおらしい姿である。

「エルナもエルナなりに考えてるってことか」

「魔族と勇者の一族の関係について述べていないところがあの方らしいですけどね」

「確かに。ま、そんな簡単に考えを曲げる人間じゃないことは最初から分かってるし、俺達は俺達らしくやっていこうよ」

「そうですね。それならまず」

 空になった皿を下げウェットティッシュで机を拭くリンス。そしてテーブルが乾いたことを確認すると、鞄の中からクリアファイルを取り出した。

「お仕事の時間です、マスター」

 はにかみながら作業を促す従者にこちらも引きずられて笑う。彼女である前に秘書であることをすっかりと忘れていた。

 抵抗することを諦め、用意された書類を手に取る。最初は先日の決闘に関する報告書の確認だ。

 これも二つの市の、二つの人種の友好を温める行動に違いない。

 ユカリは窓から入る日差しを受けながら書類の文面に目を通し始めた。

 銀の少女が見守る中で。

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交流活動報告書 ‐銀の従者と脳筋勇者‐ エプソン @AiLice

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