そして彼女は花を咲かせた。
勢いよくドアが開く。
茨に固定されて動けなくなった首の分まで視線を巡らせれば、そこには長い髪を汗でピッタリと貼り付けさせた
栗色の瞳が私と
そのまま、一歩前へ。
ドアが閉まり、施錠される音が、重く、冷たく、響く。
「予想してたよりはやいね」
「……いばらを寮まで送ると言ったのに、女子寮の受付表に、あなたの名前がありませんでしたから」
「……そう」
まるで、地下室に了くんがいることを、知っていたかのような口ぶり。
もしかして薫さんは、行方不明者が多く出ていることと、了くんが関係あることに気付いていたんだろうか。
「決心、したんですね」
決心。
少し考えて、思い出す。
前に薫さんは言っていた。
了くんと約束をしたのだと。
決心がつくまでは、生きていようと。
「……わかるんだ?」
「そうじゃないと、ドア、閉めないでしょう?」
了くんが、口元を歪める。
正解だ、とも、間違っている、とも言わない。でもきっと、あっている。
「……で、あなたはどうするんですか?」
その問いかけは、とても穏やかな音をしていた。
まるで、明日、どこに遊びに行く? なんて、問いかけているみたいな、そんな響き。
だけど、外に出るためのドアは、重く閉ざされている。
胸が、ざわりと騒ぐ。
「……いばらは、知らないと思うから、教えてあげる」
了くんが、焦げ茶色の中に紅を揺らめかせながら、私を見る。
「僕……俺は、吸血鬼なんだ。そして、花人病を生み出した親の、子供」
「……」
声を出そうとしても、微かに音の乗った風が口から抜け出るだけで、彼まで届きそうにない。
「恐らく、両親は花人病を、国内の吸血鬼を滅ぼした人間に対する復讐として生み出した。だから、俺はずっと悩んでいたんだ……。死ぬか、生きるかを」
もしかして、決心というのは、その事なんだろうか。
死ぬのか、生きるのか、決めるということ。でも、どうして?
「俺の推測だと、俺が死ねば花人病は消える。だから、そのために死ぬべきなんだ。でも……そうすればきっと、国内の吸血鬼は全員いなくなってしまう。ずっと悩んでた」
了くんの表情は変わらない。
声は、絞り出すように苦しそうなのに。
さっきまでの、冷たくて低い声じゃない。
なぜかそのことに酷く安心した。
「……どう、するんですか?」
穏やかな声が、もう一度問いかける。
焦げ茶色の中の紅が、そちらへと動く。
「……花人病を、止める」
「つまり、死ぬんですね」
声は変わらないのに、感情という色が、薫さんの青白い顔からストンと抜け落ちる。
自分に向けられたものではないのに、背筋が冷える。
「私も、いばらもいなくなります。その上に、同じ時を過ごせるあなたまでいなくなれば、あの子は悲しみますよ」
「薫は、俺を止めたいの?」
了くんの言葉に、薫さんは口角を片方だけクッと上げる。
「まさか。ずっとあなたのことを妬ましく思っていましたから、あの子の前から消えてくれるのなら幸いですよ。……でも、止めたくないわけじゃないんです」
薫さんが、ゆっくりとした動作で了くんへと近づいていく。
「私がここまで生きていたのは、あなたがいたからです。あなたとの約束があったから、私は枯れることなく今日まで生きてきました」
静かな空間に、足音が響く。
「……花人病があったから、元々の余命よりも長く生きることができましたし、ここでいばらや
足音が止まる。
薫さんが白い手を伸ばせば、きっと、目をそらすように俯いてしまった了くんに触れることができると思うような距離。
「沙也加のことも、花人病のことも、あなたがしたであろうことも。すべて考えずに言うのであれば、私はあなたに死んでほしくない。……何人、吸ったんですか?」
「……ここ最近、行方不明になった人のうち、いばらに吸わせた人を除いて全員。……数えては、いないけれども。何人も飲んで、でも、やっぱり、咲くことはできなかった」
サアッと血の気が引く。
私が吸ったのは、五人だ。一気に飲まされて、あと一人ほど吸えば、きっと、花になるんだろう。
だけど、それよりも多い人数が、ここ数日で行方不明になっている。
それまでだって突然人が行方不明になることはあったらしい。だけど、ここまで連続で次々に人がいなくなることはなかったようで。
もしかして、薫さんは、了くんが犯人だということに気付いていたのかな。……でも、いったいいつから? どうして、それを止めなかったの?
「私と出会った直後にやっていたこと、覚えていますか?」
了くんの前髪で隠れた顔。その隙間から、上がった口角が見える。
「日に焼けようとしてたときのこと?」
薫さんの目が、懐かしむように細まる。
「そうです。倒れるまで、ずっと太陽の下で突っ立ってましたよね。たまたま近くにいた私が、必死で保健室まで連れていって。そのときに、あなたが吸血鬼だということを知りました。あのときのあなたは、死にたがっていました。でも、同時に生きたがってもいました。……了」
「……」
了くんは、顔を上げない。
「あなたの親が花人病を作ったこと、あなたが国内最後の吸血鬼だったこと。それを除いて、あなたは……どうしたいんですか?」
沈黙。
だけど薫さんは、答えを急かすことはしない。
ただ、じっと待つ。
「……俺は……」
薫さんが、そっと頷く。
了くんの肩が、大きく上がって、そしてゆっくりと下がっていく。
「俺は……まだ、生きてたい。生きてたいよ……。……でも」
了くんが顔を上げる。
その顔は、あふれる感情を無理矢理飲み込んだような、混ざり合ったような、ぐちゃぐちゃな表情を描いていた。
すがりたい、でも、もうすがれない。悲鳴が聞こえてきそうな、うめき声が漏れてきそうな。泣いているようで、笑っているようにも見える、そんな表情。
了くんは、言葉を途中で切ったまま、続きを紡ぐことはない。
だけどその顔を見て、ああ、無理なんだと、突き付けられた気がした。
薫さんは、腕を広げる。
そして、ギュッと了くんを抱きしめる。
了くんは身体をこわばらせる。
「私は、あなたのことも、大好きでしたよ」
最後に一度頭を撫でると、薫さんは了くんから身体を離す。
そのまま方向転換をして、私のほうに足を進める。
なんでだろうと考えて、今まで了くんに無理やり吸わされた人々を思い出す。
もしかして。
考えに至る。
薫さんは、了くんが決心するまでは生きていると言っていた。
了くんは、決心した。
薫さんは、恐らく、死ぬ気だ。
花人が死ぬには、咲くか枯れるかしかない。
了くんの血を飲めば、吸血鬼になってしまうから、すぐには死ねない。私の血を飲めばすぐに枯れることができるけれど、二人が話している間にも伸び続けていた茨によって、今まだ外に出ているのは、花と目と口くらいで、歯を立てられるような場所はない。
つまり、薫さんは、咲いて死ぬことはできない。
他に死ぬには――枯れるしかない。
そして、恐らく了くんは薫さんの血を飲むことはない。
だから、きっと、いや、絶対。
私に、吸わせようとしている。
「……!」
いやだ、と声を吐く。音にならない声は、息として落ちていくだけ。
暴れたくても、もう、手も足も、胴体だって茨や蕾になってしまった。
せめてもの抵抗に、私はグッと口を閉じる。
「……了」
私の前で立ち止まった薫さんは、私を静かに見つめながら、了くんへ呼びかける。
「なに」
「……どうして、自分が死ねば花人病は消えると、そう思ったんですか?」
了くんが息をのむ音が聞こえた気がした。
「それは……」
「本当は、この病気が、吸血鬼から人間への復讐の病、なんかじゃないと気付いていたからじゃないんですか?」
「……」
どういうことだろう。
復讐じゃないのなら、なんのために、こんな病を了くんの両親は生みだしたのだろう。
了くんは、様子を見ているのか、黙っている。
薫さんは鼻から答えを期待していなかったのか、静かに続ける。
「陽に長時間当たっても、灰にならない。恐らくは花人病になってから十年が経っているのにまだ生きている。この短期間で複数人の人の血を、花人ならとっくに咲いている量を飲んでも咲いていない。他にも、吸血鬼と花人病の、いいところをとったような性質を、あなたは持っていますよね」
「……」
「それに……せっかく生まれてきた子供を置いて、復讐のためだけに自分たちの命を捨てるのか、私には疑問でした。もちろん、復讐の意もあると思いますよ。でも、私にはそれ以上に別の目的があったように思えました。本当は気付いているんでしょう?」
薫さんが、静かに栗色の視線を投げる。
「……」
それでも、了さんは、答えない。
「……まるで吸血鬼のように、血を求める病。花のような最期を迎えるのはきっと、あなたの母親が花の精霊と仲が良かったから。……吸血鬼と言えど、長生きはしても息子のほうが長く生きてしまう。それに、なにかあって自分たちが人間に見つかれば、自分たちだけじゃなくて息子まで狩られてしまうかもしれない」
「……」
「木を隠すなら森の中。吸血鬼と同じように血を求める病が流行れば、もしも息子が誰かを襲ってしまっても、その病として扱ってもらえるかもしれない。吸血鬼だとばれれば狩られてしまうけれど、病ならば、もしかしたら。……そんな希望を込めた病だと、あなたは気付いてしまったんじゃないんですか?」
「……だから、色々と死ねるかもしれないことをやってみたんだ」
やっと、了くんが口を開く。
「太陽の下に倒れるまでいた。花人なら咲くくらいの量の血を飲んだ。花人なら枯れるくらい、血を断ったこともあった」
「私が無理矢理飲ませましたけどね」
「懐かしいね」
二人の小さな笑い声が数秒間だけ響く。
「気付いてた、わかってた。花人病が、俺のためのものだってこと。だから、どうすればいいのか、わからなかった。きっと俺が死ねば、花人病は終わる。でも、死ねば……」
「命を差し出した両親を、裏切るような気がしたんですね」
「……」
「国内最後の吸血鬼だから、なんて、そんなの実際、どうでもいいと思っているでしょう、あなたは。ただ、名前以外で両親から与えてもらったのがそれだけだから、それまで失うのが、怖かったんでしょう?」
沈黙。
そして、小さな、本当に小さな、笑い声。
それは微かに湿った音をしている。
「あの子には、言わないで」
「……なぜですか?」
「お願いだから、言わないで」
「……わかりました」
小さく、ありがとう、ときこえた。
了くんに投げられていた栗色が、私に帰ってくる。
その目からは、感情が抜け落ちていて。
口の中に真っ白な指が入りかけて、慌てて唇をかみしめる。
「……ごめんなさい」
「……っ」
鼻を薫さんの左手でつままれる。
息苦しくて思わず開いた口の中に、右手の人差指がするりと入ってくる。その指は犬歯に触れたと思えば、そこに刺すように押される。
瞬間、花の香りが口いっぱいに広がる。
オイシイ。
むさぼるように吸えば、コンコン、と口のふちを他の指に叩かれる。
急いで口を開けば、残りの三本が入ってくる。その指にかぶりつく。
うめき声が聞こえた。既に鼻から左手は離れている。
吸いながら、ぼうっと私は、これで吸いきってしまえば、私も薫さんもいなくなるのだと思った。
きっと、なんらかの方法で了くんも死ぬのだろう。
沙也加ちゃんは、一人になってしまう。
独りに、してしまう。
視界は、茨に覆われてしまったのか、それとももう茨になってしまったのか、なにも見えない。
沙也加ちゃんのことを大切だと言っていた薫さん。
私は、ずっと沙也加ちゃんの傍にいたから。
本当は、彼が向けているのと同じ視線を、沙也加ちゃんも薫さんに向けていることに気付いていた。
二人はどうして、伝え合えなかったんだろう。
了くんは、二人のことを大切に思っていたのに、どうして、こうしてしまったんだろう。
ごめんなさい。
沙也加ちゃん、ごめんなさい。
だからどうか、一人になっても死なないで。あとを、追わないで。
どう言ったら、どうしたら、彼女は生きてくれるだろう。
死なないで?
生きていて?
そうじゃない。
そんな言葉じゃきっと、誰かを思い続けることで生きているような彼女は、生きてくれない。
自分で立てるほど、強い子じゃない。
私ほど弱くはないけれど、でも、誰かにもたれないと、生きていける子じゃない。
どうすれば。
「いばら! 了! 薫! いる!?」
勢いよく開かれるドアの音。
口から抜かれる指。
大好きな、彼女の声。
何度も、私のことを心配してくれた声。
ああ、そうか。
こう、言えばきっと、生きてくれる。
「……に、……っで……」
ひとりに、しないで。
全身全霊、力を振り絞って紡いだ言葉。
同時に、茨が鼻を、そして口を包んでいってしまう。
誰かを一人にしてしまうことは、きっと彼女にはできないから。そう思って、この言葉を紡いだ。
彼女には聞こえなかったかもしれない。けれど、きっと薫さんが伝えてくれるかもしれない。
伝えてくれなかったらそのときはそのときだ。
よく考えれば、薫さんが沙也加ちゃんを死なせるはずがない。
私、ここにいて、よかったのかな。
この、優しくて、そして、依存しあっている、この人たちのそばにいて、私は邪魔ものじゃなかったのかな。
私、わた、し――……。
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