この話を知ったとき、兄はそんなことしないと、思いたかった。
上がってくる意識と共に、ゆっくりと目を覚ます。
明るい部屋は、どことなく冷たい。
見覚えのある部屋。
いつ見たか。……そうだ、あの夜に見た、地下室だ。
どうして私はここに……?
そっとそっと記憶を手繰り寄せる。
隣の……そう、
それで、なにが……。
ピリッと頭が痛む。
思い出した。
突然苦しくなって、それで、私は
小さな痛みはきっと、薬を刺された痛み。
すぐに意識を失ったから、大丈夫、誰のことも吸ってはいない。
それだけの事実が、守りたい人を襲いかけた絶望に、少しだけ安心感を与える。
でも、どうして地下室にいれられたんだろう。
薬の効果が切れたのは、たぶん今だ。だけど、正気は失っていない。はず。
わけがわからない。
とりあえず立ち上がろう。
そう思って……そのときになって初めて、自分が拘束されていることに気づいた。
手を動かせば、みしりと軋むような感触。視線だけ下に動かす。足は紐で拘束されているから、恐らく、手首も同じように結ばれている。
「起きた?」
聞き覚えのある声にハッと顔を上げれば、焦げ茶色の瞳とばっちり目が合う。
「了くん……?」
呼びかければ、彼はしゃがむ。
距離が、縮む。
どうして彼は拘束されていないんだろう。
私は拘束されているのに。
もしかして、拘束を自力で解いたんだろうか。
「ね、部屋の中、よく見た?」
部屋の中?
どうしてそんなことを訊くんだろう。
不思議に思っていたら、よっと声を上げて、了くんが私の上半身の下に腕を入れて起こす。
目に入ったそれに、私は、ひっと喉を引きつらせる。
そこには、五人ほどの人間が倒れていた。
まるで荷物のように、乱雑に転がされているようにも見える。
まさか、私と了くんだけ、誘拐犯に捕まったのだろうか。
それとも……沙也加ちゃんも薫さんも捕まって、私たちよりも先に吸われ尽して、枯れてしまったんだろうか。
一瞬で血の気が引いていく。
いやでも、それなら犯人は? どうしていないの?
もしかして、今は外にいるとか? でも、ここに入れば、出ていけない。
ドアが閉まらなければいいのだから、間に靴とか、なにか挟んでおけば、出れるのかもしれないけれど。
今はそのドアは固く閉じていて、少なくとも私たちは逃げられないのだと悟る。
「了くん、私たち、どうしてここに……?」
「まだ、わからないんだ?」
引っ掛かりを覚えて、うしろにいる了くんを振り返り……即座にそれを後悔した。
彼の口角は、にんまりと、あの日見た三日月のような弧を描いていた。
「……嘘だよね?」
クツクツと笑い声が響く。
彼は答えない。でも、その笑い声だけで、充分だった。
逃げないと。
本能はそう叫ぶのに、身体は動かない。
だって、逃げられるはずがない。しまったドアは、開くはずがないということを知っているから。
それに、拘束されているこの状態では、どう頑張ったって逃げられない。
「沙也加ちゃんと、薫さんは……?」
「無事だよ。まだ、僕らがここにいるってこと、知らないんじゃないのかな。君を部屋に送るって言ってきたし」
二人は無事なんだ。
少しだけ、安心する。
「自分のことは、いいわけ?」
そうだった。
いいはずがない。
断じて、いいはずがない。
「……私の血を吸うと、了くん、枯れちゃうよ?」
「そうだねえ。でも安心して、君の血には僕、興味ないから」
興味ない?
なら、どうしてここに連れてきたの?
疑問がグルグルと消化されないまま、頭の中を回っていく。
「そこに、人がいるでしょう?」
頷く。
「そこにいる人、一人残らず吸ってほしいなって」
「え……」
予想していなかった言葉に、私は固まる。
吸う?
どうして?
なんで?
「ずっと、タイミングを計ってたんだよね。人工的に作られた君を、咲かせたくて」
耳に慣れた声なのに、冷たさを含んだその声は、まるで知らない人のそれで。
ゾッと背筋を悪寒が走る。
「なん、で……」
「ああ、安心して? 皆、薬を五本以上打ってるから、起きないよ。一度に大量に打たれると、何時間も彼らは起きないからね。死んではいないけれど、延々と眠り続けてる感じ。だから、苦しむこともなく、自分が死んだことを知ることもなく、枯れていけるんだ。……君が、ちゃんと吸えばね」
「そうじゃ、なくて」
「花人ってね、一日のうちに五人以上の血を飲めば咲くんだよ。……僕は、咲けなかったけど」
立ち上がると、彼は乱雑に転がされている人へと歩き出す。
なにをする気か察して必死にうしろに下がろうとするけれど、拘束されているせいで上手く下がれない。
彼は一人の腕を掴むと、ズルズルと引きずってくる。
壁に、背が付く。
嫌だ嫌だと首を振るけれど、彼の口角は弧を描いたまま固定されていて、だけどその焦げ茶色の目は、なんの表情も写していない。
虚ろな瞳が、すごく怖い。
重たい音を立てて、私の前に人が転がる。
「吸って?」
「……」
首を横に振る。
呆れたような息が、上から降ってくる。
彼が近づいてくる。なにをされるのかわからなくて、恐怖で身体が強張る。
彼が隣にしゃがみこむ。と、腕が伸びたと思えば、髪の毛ごと頭を乱暴に掴まれる。
「い……っ!」
痛い。
思わず顔を歪めるけれど、その手は力を抜いてくれない。
そのまま体重を込められて、私の口は目の前に転がっている人の首元に辿り着く。
「……飲まないのなら」
普段聞いたこともないくらい、低い声。
ゾクリと恐怖がまた新たに生まれていく。
「沙也加をここに連れてきて、僕が飽きるか、殺してくれと頼まれるまで、彼女の身体を切り刻み続けようかな」
思わず目を見開く。
花人は、血を吸われ尽すか、飢えるかして枯れるか、血を吸って咲くか、そのどちらかでしか死ねない。
だからと言って、痛みを感じないわけじゃない。
そんな、そんな痛みを、ずっと感じ続けさせるなんて、できない。できるはずがない。
「ごめ……さい……」
小さく謝る。相手に聞こえるはずも、許されるはずもないのに。
私は口を開く。そして、目の前の人の首元に、かぶりついた。
それから私は、ただひたすらに吸い続けた。
茨が身体から伸び始めたら、踏みつけて痛い思いをするのが嫌だから、なんて言いながら、了くんは拘束を解いて、私の身体を壁に押し付けた。
茨はその間も伸び続けて、私の身体を壁に固定していく。
三人、四人、五人。
飲み切った頃には、自由に動かせる身体の部位は、ほとんど残っていなかった。
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