彼女の中の想いは、少しずつ変わっていく。

 お昼休み。

 今日は沙也加さやかちゃんに断られて、一人で食べる日。

 とぼとぼと食堂へ行ってじっと券売機を睨んでいたら、かおるさんに一緒に食べませんか、と声をかけられた。

 もちろん一人は嫌だったので、勢いよく頷けば、薫さんは嬉しそうに目を細めた。


 保健室でのあれ以来、色々と気にかけてくれているようで。

 暴走しそうな感じがあれば、すぐに教えてほしい、と言ってくれた。

 その言葉に甘えて、私は喉が渇いた日は薫さんに連絡を入れて、見張ってもらって、そして、暴走しかけたらすぐに注射器でさしてもらった。

 おかげで誰にも気付かれずに済んでいる。


 薫さんは好きだ。

 優しくて、綺麗で。

 静かにしているときは美人なお姉さんなのに、低い声や大きくて筋張った手を見るたびに、ああ、男の人なんだな、と思って。

 気付いたときには、薫さんのことを目で追っていた。


 それがどうしてなのか、私にはわからずにいた。



 食事を終えて、雑談に花を咲かせていたときだった。

 

 私ばかり話していて、薫さんがなにも話していないことに気づく。

 視線を上げれば、薫さんはどこかをじっと見つめている。

 その目は険しくて、普段宿している優し気な光は、見る影もない。


 なにを見ているんだろうと、私はその視線を辿って……あ、と声を漏らした。すぐに薫さんに視線を戻す。

 視線の先には、食堂の向かいにある売店でご飯を買っていたのであろうりょうくんと沙也加ちゃんがいた。手にはビニール袋。


「……二人を、見てるの?」


 薫さんは目で二人を追いながら、はい、と返事をする。

「話し、かけないの?」

「……話しかけられると思います?」


 キュッと綺麗に整えられた眉が寄る。

 その表情は泣くのを堪えているようで。私の胸が、チクリと痛む。

 その痛みから目をそらすように、二人を見る。


 了くんが沙也加ちゃんに話しかける。そして細い手を取って、歩き出す。

 そのまま二人はそこから立ち去ってしまう。


「いいの? 声、かけなくても」

「かけないですよ。たぶん、二人とも今から食事でしょうし」

「……」


 食事、食事……。

 今食べ物を買っていたみたいだし、それかな、と一瞬思ったけれど、それなら一緒に食堂で食べればいいわけで。

 売店で買うってことは、違うところで食べるわけで。

 その理由は……。


 そこまで考えて、薫さんの言う食事が吸血行為のことだと気付いた。

 それなら、今声をかけたら迷惑になってしまう。

 納得して、まだ二人が出ていった方向を眺めている薫さんを見上げる。


「薫さんは……二人のことが好き、なんだよね?」

「そう、ですね。二人とも……大切ですよ」

 その声は、苦しげに震えている。

 机の上に置かれた彼の手を、握る。ビクッと震えたその手は、細くて、筋張っていて、そして冷たい。

「薫さん、苦しそう。……どうして?」

「……いばらは、まだ、あんまりそういったことを知らないんですね」

「うん、私、知らないことばかりだから」


 博貴ひろきしゅうと私。

 三人だけの世界から出れば、生きているこの場所にあふれているのは知らないことばかりだった。


 だから、知りたい。

 どうして薫さんがこんなに苦しんでいるのか。……どうして、薫さんが沙也加ちゃんのことを目で追っているのを見ると、胸が痛むのか。そして、どうして、薫さんと二人でいると、ちょっとした罪悪感を覚えるのか。


「……二人とも、好きですよ。だけど、好きの種類って、いくつかあるんです」

 呟くように言って、薫は頬杖をつく。

 珍しいその動作に、視線は釘付けになる。

「了のことは、好きです。友達として。……私、もともとはすぐに枯れるつもりでいたんです。だけど、彼がいたから。私は、生きることにしたんです。せめて、彼の決心がつく日までは」

「決心って……?」

「……言えません。が、そのおかげで、私は今まで生きているんです。とりあえず、まあ、生きていこうかな、と思えるくらいには、彼が好きですし、約束をしたので、その約束を破りたくはないと思う程度には大切です」

「……沙也加ちゃんは?」

 薫の眉間のしわが、深くなる。

「沙也加のことも、好きですよ。友達としても……いわゆる、恋愛的な意味合いでも」

 ため息を吐くと、薫は瞼を伏せる。長いまつげが栗色の綺麗な瞳を隠す。

「了のように約束をしているわけでもなければ、両親のように血の繋がりがあるわけでもない。それなのに、ずっと私の傍にいてくれました。それに……私を、性別と関係なく私として見てくれていますから」

「私だって」

 口が、勝手に動いた。

 栗色が、私を映す。

「私だって、薫さんのこと、見てます」

 じっと栗色を見つめ返す。

 いつもより大きく開かれた栗色は、少しの間を置いて、細くゆるめられる。

「ふふ、ありがとうございます」

 つられて、私も目を細める。


 私も見ている、ずっと、薫さんのことを。

 それがどうしてか、なんて、私にはわからないけれど。

 いつか、わかる日が来るのかな。来ればいいな。


 そう思いながら、水の入ったコップを、キュッと両手で握りしめる。

 紙コップは、少しだけ形を変えた。

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