彼女は、血を飲まない選択をした。

 その日はなんだかとても喉が渇いていて。

 それに、ものすごく苦しくて。


 登校早々、私は沙也加さやかちゃんに保健室に連れてこられた。


「いい? ちゃんと休んでよ?」

 保健室にいるはずの先生は、出張でいない。

 代わりに入る予定の先生は、自分の授業があるのでこの時間は保健室にはいない。


 沙也加ちゃんはせっせと私をベッドに寝かせようとする。

 その向こう側にカーテンが閉まったベッドがあるので、きっと一人っきりにはならない。


 ならないけれど、沙也加ちゃんから離れたら、守れない。


 教室へ戻ろうと私に背を向けた沙也加ちゃんの制服の裾を、素早くつかむ。


「……なあに、いばら」

 沙也加ちゃんが振り返る。

 優しく細められた瞳は、私の好きな形だ。

「私も、授業、受ける……」

 だけど、その瞳は私の一言でクイッと吊り上がる。

「駄目。ちゃんと寝て、休んで、具合がよくなったら戻ってきて」

「もう、具合、いいから……!」

「どう考えても、息が荒いからね。ちゃんとよくなってから戻ってこないと、私、一週間口きかないから」


 それは嫌だ。

 だけど、守りたい。


「沙也加、いばらのこと、私が見ていましょうか?」


 シャッとカーテンが開く音がしたと思えば、聞き覚えのあるバリトン。

 沙也加ちゃんと同時にそちらを見れば、かおるさんが普段よりも更に青白い顔をしてベッドに横になっていた。


「え……薫、この時間にいるの珍しいんだけど、どうしたの、そんな顔して……」

「朝早く目が覚めたので登校したんですけど、途中で倒れまして……りょうにここまで運んでもらっちゃいました」

 閉じた瞼と口元が弧を描く。

 綺麗。綺麗だけれど、青白い顔では、ちょっと不気味と言うか、心配になると言うか。

「いや、見ていてくれるのはありがたいんだけど、無理しないでよ……?」

「もちろん。いばらが無理矢理沙也加のあとをついて行こうとしない限りは、無理をしません」


 それを言われると、もう、沙也加ちゃんにわがままを言えない。

 渋々手を放すと、私はもぞもぞと掛け布団を肩までかける。

 それを見て安心したのか、沙也加ちゃんは薫さんに一言二言言ってから、最後に私に、ゆっくり休むように、と言い残して保健室から去っていった。


 パタパタという足音が完全に聞こえなくなったとき。

 いばら、と薫さんに呼ばれた。

 そちらを向けば、青白い顔をした薫さんと目が合う。


「なに?」

「血を吸ったことは、ありませんよね」

「……相手が、どうなってしまうのか、わからないから」


 そうですよね、と薫さんは一度頷いてから、もぞもぞと動き、ベッドからはい出てくる。

 そのまま私のベッドまで来るけれど、立ち上がって歩いてきてもよろよろで、秀と博貴と一緒に見たホラー映画を思い出して、少し怖い。

「えっと……歩かないほうが……」

「これくらい平気です」

 薫さんはそう言って、私のベッドに辿り着けば、ベッドの側面にもたれるようにして、床に座り込んでしまう。

「え、大丈夫?」

「大丈夫です。いばら、私の血を飲んでください」

「嫌だ」

「……即答ですか」

 流石に傷つきますよ、と薫さん。

 でもしょうがない、本当に、嫌なんだもん。

「誰におすすめされても、絶対に飲まない。誰の血でも飲まない。だって、その人のこと、殺しちゃうかもしれないから」

「でも、このまま吸わずに暴走したり、枯れたりしてしまったら、沙也加は悲しみますよ。いいんですか?」

「沙也加ちゃんが……?」


 考えたことがなかった。

 自分が枯れたり、暴走したりすることで、誰かが悲しむかも、なんて。

 でも、それでも、飲めない。


「悲しんだりしても、私は飲めない。だって、誰かを殺してしまったら……」


 目の前で枯れた人を思い出す。


 あとから聞いた話だと、普通、枯れる速度は、体内にどのくらい血液が残っているかで変わるらしい。

 普通に枯れるとき、だいたいはもう少し時間がかかるらしく、一分もかからずに枯れてしまう、なんてことはないそうだ。

 つまり、私の血を吸ったことで、あの花人は一分以内に血液が消えてしまって、枯れた、と言うことで。


 だから、怖かった。


 怖い。


 もしも、目の前で、また枯れたら。

 逆に咲いてしまったら。


 それが、沙也加ちゃんが親しくしている、薫さんだったら。

 沙也加ちゃんはきっと悲しむ。

 私だって、悲しい。


 それに、まちがいなく、苦しい。


「嫌です、絶対に、ぜ――っ」


 苦しい。

 喉が、乾いた。


「いばら?」


 血が欲しい。

 いやだ。

 いやだよ。

 のみたくない。

 血が欲しい。


 必死に掛け布団を握りしめる。

 異常に気づいたのか、薫さんは一言、ごめんなさい、と謝ると、私の腕に注射器を刺した。


 静かに薄れていく意識の中で、吸血について、沙也加には誤魔化しておきます、という薫さんの声が聞こえた。

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