そして彼女の記憶を見ることになった。

「……私はそのあと、いばらを……蒼い薔薇ばらを食べながら、生きてきました。花人の花なら、食べれるんじゃないか、と食べてみたら、異変は起きなかったので。食べ続けて、ときどき入れられてくる、枯れかけの花人の血を、吸い尽くして。暴走することもなく、十一年間、ここで暮らしてきました」


 頭の整理が追いつかない。

 いや、頭では理解できているから、これは心の整理か。


 グルグルと、いろんな感情が渦を巻いている。


 枯れたか、咲いたのだと思っていた。

 それは、花人が寿命を迎えるような意味合いで。

 もしくは、人間が交通事故に遭うような形で。


 だけど、実際は違った。


 兄貴は、殺されたんだ。

 今、隣にいる、彼女に。


 コツン、と硬い音が響く。


 見れば、いつの間に持ってきたのか、彼女が俺の目の前の地面に、杭を置いたところだった。


 この杭は、きっと、兄貴の心臓を貫いた杭だ。

 どういう意味だ、と彼女を見上げようとする。

 それよりも先に、彼女は俺の前に正座をして、頭を下げた。


「あなたのお兄さんを殺したのは、私です」


 そのあとも、なにか言っているようだけど、俺の耳は受け付けない。


 どうしたらいいのだろう。


 目の前にある杭。

 それを持ってきたのは、きっと、俺に手を下させるためだ。


 今の国内の法律では、吸血鬼を殺したところで罪には問われない。

 むしろ時と場合によっては、たたえられることだってあったと聞く。

 まあ、どちらもそれがちゃんと効力を発揮できたのは、吸血鬼狩りが終わるまでだったけれども。


 殺すのか、この人を。俺は。


 殺したいのか。


 いつも見上げる位置にあった、兄貴の笑顔。

 覚えているのは、俺がいくつの頃のそれなのか。


 俺が五歳の頃には、兄貴は俺を襲って連れていかれた。

 記憶なんて、あってないようなもので。


 ただいつも、秀、と俺のことを笑顔で呼んでくれたことと、よくキャッチボールと追いかけっこをしていたことだけ、覚えている。


 きっと、優しい人だった。

 きっと、動くのが好きな人だった。

 きっと、俺のことを可愛がってくれていた。


 それだけの記憶だった。

 それだけだとしても、大切な記憶で。


 兄貴が連れていかれたあと、引っ越した町であいつに出会って。


 そうだ。


 あいつの。


 博貴ひろきの、お姉さんを、殺せるはずがない。

 そんなことをしたら、駄目だ。


 兄貴のために、あいつは、お姉さんのために。

 四年近くの時間を使って生み出したそれが、結果、兄貴の心にトドメを刺してしまったのだ。


 この人だけが悪いわけじゃない。


 でも、この人だって、悪くないわけじゃない。


「顔を、上げてください」

 彼女は、ゆっくりと顔を上げる。

 紅を揺らめかせる薄墨色の瞳が俺を、じっと見つめる。


 思った以上に、冷静だった。

 落ち着いていた。


 そして、ずっと気になっていたことを、俺は、訊く。


「本当に花人病は、復讐のための病だったのでしょうか」


 彼女にとっては予想外の方向の質問だっただろう。

 その証拠に、数度瞬きをくりかえしてから、彼女はやっと口を開いた。


「私も……それは疑問に思っていました。花人病は、吸血鬼にとってあまりにも都合がよすぎます」

「……俺、花人の魂を花から解放させられるって言ったと思うんですけど。魂を解放するとき、その人の心に強く残っている記憶をいくつか見ることができるんです」

「つまり……いばらを解放して、その記憶を見る、ということ?」

 俺は頷く。

「そこに答えがあるかどうかは分かりません。でも、ヒントはあるかもしれない。だから、一緒に見ませんか?」

 薄墨色の瞳をこれでもか、というほど大きく開いて、彼女は俺を見つめてくる。

「……あの?」

「あ、ごめんなさい、その……私のこと、憎くないんですか?」

 チラリとその視線が、杭を掠める。

「……よくわかんないです。たぶん、まだ実感として沸いていないだけかもしれないです。それか、ただ、ずっと、もう、死んでいることはわかっていたからかもしれないですけど」

 俺は目の前の杭を持って、自分のすぐ近くに置く。

「この杭は、しばらく俺に預けてください。全国の花人を解放したら、どうするか決めますから」

 彼女は呆気にとられたような表情をしてから、複雑そうな声で一言、わかりました、と答えた。


「で、記憶、見ますか? まあ、約束してたんで見たくない、と言われても、ここにいたら見えちゃうと思うんですけども」

「見ます」

 即答だった。

 さっきとは打って変わって、強い光を捕らえた瞳で、彼女は頷く。

「……わかりました。じゃあ、ちょっと待っててください」


 俺は立ち上がり、蒼い薔薇の前に立つ。


「……」


 ポツリと、精霊の名前を呼ぶ。

 人間が普段使わないような音の並び方をしているので最初こそ舌が絡まって上手く呼べなかったけれど、慣れた今は、するりと出てくる。

 高校のどこかをブラブラと散歩しているはずの彼に、声は届いたようだ。

 だけどすぐ近くにいる彼女を警戒しているようで、姿は見せてくれない。

 それでも、まあ、大丈夫だろうと、俺はその気配に声をかける。

「お願いします、蒼い薔薇の彼女を、解放してあげてください」

 しょうがないな、と返ってくる。


 細かな鱗粉が一瞬見えたと思えば、壁を覆っていた茨と薔薇が輝き始めて、やがて光の粒となり、上がっていく。


 その中に、それは映された。

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