とうとう彼女は、語り終えた。

沙也加さやか

 ハッと顔を上げれば、茨が張り巡らされていないほうの壁にもたれた薫が、私を見つめている。

 その身体はほとんどが木の枝で覆われていて、その上に生えた葉と花は、やっぱり枯れている。

かおる……!」

 よろよろと立ち上がって、おぼつかない足取りで、私は薫の元へと急ぐ。

 辿り着いてすぐ、薫を抱きしめる。

「どうして、先に行ったの……!」

 私も連れていってほしかった。

 そうすれば、もしかしたらいばらと薫だけでも、救えたかもしれない。

「……たくさんの花人が、行方不明になったとき……。本当は、すぐに、りょうの仕業だと、気付いていました……。だけど、止められなかった……。彼女の生い立ちを聞いて……ああ、了はこの子を、咲かせるか、枯らすか、するだろうな、とも……。でも、それだって、止めることができなかったんです……」

 栗色の瞳から、綺麗な雫が溢れ、透明な線をいつもよりもさらに青白い肌の上に描く。その筋を、いつか薫にしてもらったように、私は拭う。

「どうなるかなんて、彼の生い立ちを、花人病の生まれを、聞いたときから、わかっていました……。私が枯れるか、咲くか……。その原因に、別の子が絡むか。その前に、私が手を下すか、否か……。それが、それだけが、あなたや、いばらが現われたことで、変わったことです……」

 雫を拭う私の手を優しく追い出すように、枝が伸びてくる。

「彼が私の、初めての、友人でした……。必死に考えて、どうすれば、彼を救えるのか、他に、花人病を、終わらせる方法が、ないのか……。探したことも、ありました。だけど、見つからなかった……。……方法がわからなければ、救いようがないんです……。ずっと苦しんでいる彼を……見ていることしか、できなかったんです……」


 私は、どうすればよかったんですかね。


 静かな問いかけに、私はなにも答えられない。

「……本当は、あなたには、なにも、見てほしくなかった……。あなたが、あのタイミングで、来なければ……私が彼を、始末して、そして枯れて……。言ったとおりの、時間に、来ていただければ……。すべてが終わった頃に、あなたは、なにも知らずに、残骸を見たはず、なんです……。枯れた私と、咲いたいばらを見つけて……ただ一人、どこにもいない了だけを、気にしながら……。それでも、日常に戻れた、はずなんです……。……薬、多めに打っておけば、よかったですね」

 ふふ、なんて笑う声は、掠れている。

 胸がきしんだ音を立てる。

「……そんなこと言わないでよ」

「でも、薬、多めに打たなくて、よかったかもしれないです……」

 栗色の瞳が私を静かに見つめている。

 その瞳は、了と同じ空気をまとっていて。

「……やだ」

「ここまで来たら、もう、なにをしても、意味はないんです……。徐々に、徐々に……自分の花に、飲まれて、枯れていくだけ……。ずっと苦しいのが、続くのは、嫌なんです。だから……終わらせてください」

「……」


 薫の血を飲みたいと言った日のことを思い出す。

 その言葉が、こんな形で叶えられるだなんて、思わなかった。

 ただ、好きな人の血を少し飲みたかっただけだった。

 だけど、こんな形でじゃない。でも、薫が苦しみ続けるのはもっと嫌だ。


 木の枝は、首元までやってきている。ずっと気にしていた喉仏のでっぱりは、もう見えない。

 首から血を吸うことはできない。

 どこからなら吸えるかと目を動かす。


 淡く色づいた、薄いそれに、視線が止まる。


「……ごめんね」

 邪魔な髪を耳にかけて、落ちてこないように抑えながら距離を近づける。

 薫の息が当たる。きっと、私の息も当たってるんだろう。

 胸が、はやいテンポで走り出す。

 それに気付かないふりをしながら、うっすらと開いた口、その下唇に、鋭い犬歯を立てる。

「……っ!」

 息を詰める音。

 私は目を閉じて、流れてくる花の香りがするそれを、食むようにして吸う。

 美味しい。

 そう感じることが、ただただ、悔しかった。

 テンポを上げていく胸にも、腹が立った。


 枝が顎に当たって、私は最後に一度舐めてから、やっと顔を離す。

「……いばらが……」

 苦し気に眉間にしわを寄せた薫が、唇を震わせながら、言葉を紡ぐ。

「咲く直前に唇を読んだだけなので、おそらく、ですが……ひとりにしないで、と……」


 ひとりにしないで。


 彼女はどんな気持ちで、それを言ったのか。

 薫の表情が、くしゃりと歪む。


「沙也加……」

「……なに? 薫」

 かすれた声。木の枝が、綺麗な顔を、覆っていく。

 あの、顔に似合わずハスキーな声が、淡く色づいた薄い唇からこぼれることはなかった。

 ただ、動き終わると同時に、かろうじて見えていた口元と瞳が、柔らかくゆるむのが見えた。

 その柔らかな微笑みが、木の枝に囲まれる。

 その上に咲いた花と葉が枯れ、同時にサラサラとした粉になり、消えていく。


 静かだ。

 ただひたすらに、静かだ。


 私は人を殺した。

 心も、身体も。


 誰も、救えなかった。

 私が救えたかどうかはわからない。


 でも、救えるきっかけを、作ることはできたかもしれない。


 どうしたら、よかったんだろう。


 ふらふらと立ち上がって、歩く。

 そして目的の場所へ来て、しゃがみこむ。

 両手を伸ばしてしっかりと握ったのは、ひんやりとした感触。


 まっすぐに腕を伸ばして、勢いよく曲げる。


 そのまま、痛みに貫かれるはずだった。


 それなのに。


 切っ先は、私の服に触れるすれすれで止まっている。

 フルフルと震えるそれは、しかし、手から力が抜けて、その場にへたり込むのと同時に音を立てて床に当たる。


 死ねなかった。


 了のように、死なないといけない理由があるわけじゃなかった。


 薫や、いばらのように、死んでしまうような状態にいるわけでもなかった。


 その事実が、いかに自分が守られていたのかを示していて、情けなかった。

 守られていたのだから、守られる対象として見られていたのだから、私が彼らを守ることができるはずがなかった。

 見ているつもりで、誰のことも、ちゃんと見ていなかった。


 薫の言葉が、動いた唇が、頭の中で蘇る。


 幸せになって、なんて、なれるはずがない。

 あなたたちを助けられなかった私が、幸せになっていいはずがない。


「う……うあぁああああああっ!!!」


 自分の肩をかき抱いて、叫んだ。

 叫んで、叫んで、声が枯れて、喉が切れて、血の味が口に広がっても、それでも叫び続けた。

 疲れて、身体に力が入らなくなっても、叫んだ。


 沈黙が、怖かった。


 誰もいないことが、怖かった。


 大丈夫だよ、と見守ってくれる了も。

 泣かないでください、と頭を撫でてくれる薫も。

 一緒にいたい、と裾を引っ張るいばらも。


 誰もいない。


 消えて、枯れて、咲いた。


 涙は、出なかった。

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