いばらを、彼に会わせなければよかったと、彼女は言う。
「あ、いたいた。
昼休み。
いつも通り食堂は、昼食を摂る人で賑わっている。
談笑する人たちの中に二人を見つけて、私は
蒼美さんは小さな歩幅で一生懸命ついてくる。
なんだかそれが可愛くて、思わずもっと速く歩きたくなるけれど、それをグッとこらえて少しだけ速度を緩める。
二人が私に気づいて手を振ってくれる。
「今日は薫もいるんだ? 珍しい」
この学校のお昼休みは長い。
というのも、人間としての食事はもちろん、花人として、枯れないために必要な食事も、この時間に済ませる生徒が多いからだ。
そして、私と了が吸血し合うようになってからは、薫はこの時間にそちらの食事をするようになっていた。
だからこうして、了と薫が座っているところを見るのは珍しい。
「ふふ、今日はもうあちらの食事は済んでいるので」
楽しそうに目を細める薫に、なんだか私まで楽しくなってきてしまう。
けれど同時に、胸の中が少しだけもやっとする。なんだろう、これ。
「ところで、うしろにいる可愛い子は誰なのかな?」
私の思考は、了の問いかけによってどこかへ去っていってしまう。
手で示された方向を見て、紹介を忘れていたことに気づく。
蒼美さんは小さく縮こまって、私の背中に隠れていた。
軽く蒼美さんの背中を押して、私は少しだけ下がる。
「この子、今日私のクラスに来たの。蒼美いばらさん。可愛いでしょ」
私がそう言えば、不服そうに薫が頬を膨らませる。
「二人とも口々に可愛い可愛いって……。私は可愛くないんですか?」
「カオルー、大丈夫ダー、カオルハ世界デイチバン可愛イヨー」
口元に両手を筒のように当てて了が言えば、薫の閉じた瞼が気持ちいくらい綺麗に弧を描く。
「心が籠ってません、やり直しを命じます」
「女王様かよ」
二人のやり取りを見ていたら、クイクイッと制服の裾を引っ張られる。
振り向けば、眉を中央に八の字に寄せて、困っているような、戸惑っているような、そんな表情を浮かべた蒼美さんと目が合う。
「あの……」
そのまま、言い辛そうに、私と薫とを交互に見るので、なにを言いたいのか察する。
「私、性別は男ですよ」
私が口を開くよりも先に、初めて会ったときよりも更に低くなった声で薫が答える。
どうやら蒼美さんが困っていることに私と同じか、それよりも早く気付いていたようだ。
いつものように薫は、女装の理由を知りたいか、と蒼美さんに訊ねる。
蒼美さんは少しだけ悩んでから、恐る恐ると言った仕草で首を縦に振る。
それに応えて、薫が事情を話し出す。
真剣な表情で頷く蒼美さんを見て、安心するのと同時に、なんだか、さっきと同じモヤモヤがよみがえってくる。
視線を感じてそちらを向けば、真正面に座っている了が私を見て片方の口の端を上げている。
なんだかそれに腹が立って頬を膨らませば、了が腕を伸ばしてきて私の頬をつついてくる。
勢いに負けて空気が口から抜ける間抜けな音がする。それに堪えきれなかったようで、了が吹き出しながら、なおもしぼんだ頬をつつき続ける。
「ちょっと、りょ――」
「なにじゃれているんですか、二人とも」
割り込むように青白い筋張った手が視界に入る。
その手は、了の大きな手を掴むと、了の前まで持ってきて、パッと放す。
「じゃれてない」
「うん、じゃれてない」
「私には猫が二匹じゃれているように見えましたよ」
薫からすれば、私たちは人ですらないらしい。酷い。
「ところで、了はもう食べ終えていますし、私もそろそろスムージーを飲み終わりますが、あなたたちはお昼ご飯、食べないんですか?」
薫が、片手で持ったスムージーの器を揺らして見せる。
同時に紫色のドロッとした液体が、かなり下の方でゆらりと揺れる。
薫の言葉に、しまった、と内心舌打ち。
吸血鬼になってから変わったことの一つに、実は、食欲がなくなったことが入ったりする。
吸血への欲求が高まっていくのと比例するように、人間としての食事を食べたいと思えなくなっていったのだ。
それでも、薫がいるのを見つけたときだけは、なんとかサラダなりお粥なりを食べるようにしていた。
同じように食欲がないはずの了が、いつもちゃんと食べているから。
それを見ている薫は、吸血鬼にも食欲があるものだと思っている。
私が食べなければ、それだけで心配される。実際に一度心配されてから、食べるようにしている。
私には、食欲がなくてもご飯大もりのカレーを普通に平らげることができる了が化物のように感じる。
本人に訊いてみれば、物心ついた頃には既に、人間の食事に対しての食欲がなかったため、自分にとってはその状態で食べるのが普通なのだと返ってきた。
質問する相手を間違えた、と思った。他に質問できる相手は、この世にはもういないけれど。
「蒼美さん、お腹空いてる?」
「え? あ、あー……恐らく?」
いや、恐らくってなに。
それ、空いてるの? 空いてないの?
思わず突っ込んでしまいそうになるのを飲み込んで、そっか、と返す。
「まあ、色々と説明がてら、なんか買ってこようか」
「あ、う、うん」
コクコクと頷いて立ち上がる蒼美さん。サラサラと音を立てて横で動く青みがかった黒髪からは、ふんわりと上品な甘い香り。
この香りは知っている。
「蒼美さんって、
歩き出しながら、私は隣を歩く蒼美さんに訊く。
蒼美さんは一度驚いたように黒目がちの瞳を丸くしたあと、ふふ、と声を漏らす。
「わかるんだね……」
「まあ、花人だし?」
「そっか。うん、そうだよね。花人、だもんね」
蒼美さんの瞳が、少しだけ揺れた気がした。
なんだろう。答え方が、なんだかひっかかる。
「あ、あと、その、できれば、なんだけど」
「ん?」
考え込む前に問いかけられて、沈みかけた思考回路が引きずりあげられる。
「あの、あなたのこと、
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