その覚悟は、きっと花人として生きていく彼女には必要なもので。
「身体が動くようになってすぐに、私は
幸せだったのであろうその日々を眺めるように、目を細めて空間を見つめていた彼女は、しかし、一度口を閉じるとその表情に陰りを出す。
「ただ変わったこともあります。それは、薫が私に血を飲ませようとしなくなったこと、そして、
「……え、なんでですか? それまで通りでいいじゃないですか」
どうしてわざわざ相手を変えたのか。
少しだけ考えたけど、よくわからなくて彼女に訊く。
「基本的に
少し寂し気に、彼女は口角を上げる。
「……結局、私と了が付き合ってる、とか、薫だけ仲間はずれにされて可哀想だ、とか、変な噂が飛び交うし、実際、他の人のところへ行っちゃうから、薫と私たちが一緒にいる時間も、それまでよりはちょっとだけ減りました。……少し、寂しかった」
ポツリと呟いた最後の言葉は、きっと聞かせるつもりはないものだと察する。
「では、今現在国内最後の吸血鬼は、あなたなんですね」
「そういうことになりますね……あ」
彼女が、思い出した、と手を叩く。
その仕草に首を傾げれば、薄墨色の瞳が俺を見る。
「私、身体が動けるようになってすぐに、もう一つ、やったことがあるんです」
「やったこと?」
「はい。弟に、手紙を書いたんです」
「それは……届いたんですか?」
初耳だ。
花人からの手紙が届いた、なんて話は聞いたことがないから、てっきり誰も書いてはいないんだと思っていた。
と、彼女は首を横に振る。
「送ってません」
「なんで……」
手紙は、送るために書く物じゃないのか。
それなのに、どうして送らなかったのか。
「花人からの手紙は、送られることはありません。そもそも、ここに出入りする業者は限られていて、その中に個人の手紙や贈り物を受け取って届けてくれる業者はいませんから」
彼女は俺から目をそらして、じっと、隙間の空いたドアを見つめる。
「花人病がなんらかの理由で伝染してしまったら危険だから……。なんて、言う人が多いんですけれど、花人病は伝染病ではないと思いますし。恐らくは、外の人間と共謀してなにかよからぬことをされないための対策なんだと思います。実際、出入りしている業者やそれに関わる人に手紙を渡した瞬間、目の前でびりびりに破かれたり、燃やされたりしている人を、何度か見たことがあります。とてもじゃないけれど、誰にも託すことはできなかったんです」
想像して、うわ、と小さく声が出てしまう。
なんだそれは。
手紙は、書くのにすごく時間がかかるし、内容の多い少ないにかかわらず、気持ちだって込められているわけで。
それを、そんな。
あんまりだと思う。
「……送る予定のない手紙を、どうして書こうと思ったんですか?」
「花人病が収まれば、いつかきっと、ここに人が来ると思っていたからです。……それまでには、私は、死んでいると思ったんですけれど」
眉をキュッと寄せて、彼女は俺を見る。
つまり彼女は、ここに来た人が、この土地のあらゆる場所をあさり、その手紙を見つけるかもしれない、と、そう思って手紙を書いたのだろうか。
その人が、弟に届けてくれるとは限らないのに?
「……それで、その手紙を、俺に届けてほしいってことですか?」
問いかければ、彼女は頷く。
その表情は、今日見た中で一番明るい。
そのぐらい、きっと嬉しいんだろう。その表情に、ふと、あいつを思い出す。
ここに行くと言ったとき、同じような表情で俺を見たあいつを。
――きっともういないと思うけれど、綺麗に咲いていたら、解放してあげてね。
似ている。流石だな、と思う。
「帰りに、できれば、でいいので……。案内は、もちろんします」
「そのまま一緒にここから出ようとか考えないんですか? あなたが直接渡しに行ったほうが、お相手も喜ぶと思うんですけど」
俺の質問に、彼女は目を丸くして、一時停止する。
少しして、彼女は瞼を伏せ、そのまま俯く。その表情から明るさがどんどん消えていく。
言わなきゃよかった。
小さく後悔した。
「吸血鬼であり、花人である私が、人間のいる都市へ行って、正体がばれたら……騒ぎになります。あなたにも迷惑をかけますし、かつての家族にも、迷惑をかける。私はまだ、ここにいます。枯れるか、咲く、その日まで」
「……弟さんには、会いたくないんですか?」
彼女は薄墨色の瞳を俺に向ける。
少しだけ口角を上げるけれど、彼女は答えない。
彼女はふっくらとした赤い唇を開く。
「吸血鬼になって。人とは完全に違うものになって。やっと私は血を飲めるようになりました。花人として、吸血鬼として、生きていこう、生きていくしかないのだと、そう、覚悟を決めました」
もしかしたら、今のこの言葉が、答えなのかもしれない。
でも、あまりにもそれは悲しい気がした。
だって、俺が立ち去れば彼女は一人なのだ。また、独りになるのだ。
このお話をすべて聞き終えれば、蒼い薔薇も解放してしまう。
そうすれば、彼女は今までよりももっと孤独になってしまうだろう。
いいのか、それで。
わかっている、自分の価値観を相手にまで押し付けてはいけないことくらい。
でも……。
「私が吸血鬼なってから、四年の月日が経ちました」
俺が考えているのもお構いなしに、彼女は話を続けていく。
「高校三年生の夏。私は、二人とは別々のクラスになりました。私のクラスに、一人の女の子がやってきました。彼女は上手く周りになじめなさそうで。それがなんとなく自分と重なって、私はその子に話しかけました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます