きっと、人には人の生き方があるのだと思った。
「……
「何年でしたっけ?」
諏訪さんが視線を
「三年のはず」
「だそうですよ」
「三年……」
たったそれだけの年数で、私は味覚を失うのだろうか。
質問の意図を察したのか、それとも私の表情が曇っていたのか。
ああでも、と諏訪さんが口を開く。
「味覚を失うまでにかかる期間には個人差があるみたいですから。平均的には八年くらい、らしいですよ。私はかなり早いみたいですね」
諏訪さんは、ふふ、とどこか他人事のように笑う。それがなんだか悲しくて、私は諏訪さんの顔から視線を少し下にそらす。
ふとそらした先で、引っ掛かりを覚える。
「それ、暑くないんですか……?」
諏訪さんが着ているのは、制服のセーラーだ。その襟から、タートルネックが首を覆うように覗いている。
季節は春。
まだまだ肌寒い日だって、あるといえばあるけれど、五月も近くなった四月下旬。暖かい日のほうがはるかに多い。
それなのに、ただでさえそこそこ分厚い生地の制服の下に、そんなものを着るのか。
いや、もしかしたら、男の子なのになんで女の子の制服を着ているのか、とか、どうして髪の毛を綺麗に伸ばしているのか、とか、そちらのほうを訊いたほうがいいのかもしれないけれど。
流石にそれを訊くのは、知り合ってまだ一時間も経っていないのに失礼過ぎると思う。それならまだ、襟から出て首を覆っているタートルネックについて突っ込んだほうが、ハードルが低い。
「このタートルネックのことですか?」
「はい」
「これは、こういうことですね」
諏訪さんは手に持っていたスムージーの容器を机の上に置く。
そして右手の人差指をタートルネックと首の隙間に入れるとグイッと襟を下に引く。
そこには、男性特有のでっぱりがあった。
「喉仏……?」
私の言葉に諏訪さんは頷くと、襟から手を放す。そしてまた、スムージーの容器を両手で覆うようにして持つ。
「そうです。女装している身としては、見せたくない場所なので。暑いと言えば暑いですが、我慢できないほどではないんですよ」
「ああ、なるほど……」
納得しつつも、なんでそうまでして女装しているのだろうか、と疑問が浮かぶ。
「女装の理由が、気になりますか?」
「え」
「ふふ。顔に、気になる、と書いてあります」
「え、いや、あの」
ペタペタと自分の顔を触れば、諏訪さんと煤崎さんが小さく吹き出す。
からかわれたのだと気付いて、私は二人から顔をそらして、オムライスを口に運ぶ。オムライスは、少し冷めてしまっていた。
「ごめんなさい、拗ねないでくださいな」
「拗ねてません」
「オムライス美味しい?」
「美味しいです」
諏訪さんと煤崎さんからの言葉に顔を上げることなく、もぐもぐとオムライスを食べる。
食べながら、女装の理由を訊いてもいいのだろうか、と悩んだ。
正直に気になると言えば、なんだか野次馬精神満載のようでみっともなくて嫌だ。
でも、せっかく教えてくれそうなのに、ここで変に遠慮してしまったら、逆に気を遣われていると感じて不快に思われたりしないだろうか。
オムライスを咀嚼しながら、私は悩む。
悩んで、悩んで、悩んで……。
最後の一口を飲み込んで、私は空のお皿の上にスプーンを置く。
「女装のことですが」
「ん?」
「教えてください」
結局好奇心には勝てなかった。
顔をあげれば、丸く見開かれた諏訪さんの栗色の瞳と目が合う。
諏訪さんは目尻を下げる。
「正直ですねぇ」
「……」
なんとなくばつが悪くなってうつむく。
「別に、そんな風にしていただかなくて大丈夫なんですけれども。私としては、女装に関して触れてはいけないもの扱いされるほうが苦しいので。だから初対面の人にははやめに話すんです」
目線を上げれば、優しく口角を上げた諏訪さんがいる。
「私の両親は、女の子が欲しかったそうです。だけど生まれたのは、男の子でした。どうしても女の子がよかった両親ですが、母の身体は弱く、もう一人生むには身体がもたないだろうと医者から言われていました。だから、彼らは私を女の子として育てることにしたんです」
「それが、女装の理由ですか……?」
「納得できない、という表情をしていますね」
図星を指されて、言葉が詰まる。
ここで、はいそうです、なんて言っていいのか。
どうぞ、と諏訪さんに手で促されて、少し迷ってから私は口を開く。
「両親とはもう、一緒に住んでないんですよね?」
「そうですね。花人病にかかったのは、私だけでしたから」
「ならもう、女装をしなくてもいいんじゃないんですか?」
私の問いかけに、諏訪さんの口角が、つい、とさらに角度を増す。
「あなたは、私がいやいや女装していると思っているんですか?」
「え、違うんですか」
予想外の返答に、私は目を丸くする。
「確かに、最初は嫌々でしたよ。でも今では、両親との繋がりはこれしかないんです。両親は綺麗に着飾った私を見て、可愛らしい言動をする私を見て、いつも嬉しそうにしていました。もう両親の前に出ることはなくても、私は綺麗に着飾って、可愛らしくしていたいんです。……まあ、なかなか本来の性がそうはさせてくれないんですけれど」
眉を寄せつつ、諏訪さんの口元と閉じられた瞼は弧を描く。
言われてみれば、肩幅だって女性よりはあるように見えるし、スムージーの容器を覆っている真っ白な手は、少し筋張って見える。
それでも今はまだ中学生だから、言われなきゃ、男の子だとは思えないくらい美人だ。
だけど、煤崎さんよりも早く変声期が始まったのか、彼よりも少し低い声が物語っているように、これからどんどんと男の子に、そして男性になっていくのだろう。
そしたらこの人は、どうやってそれを隠すんだろう。
どうやって、綺麗に、可愛らしくあろうとするんだろう。……どうやったって、女の子のようにいることは、難しいのに。
「諏訪さんは……」
「ん?」
コテン、と首を横に倒す諏訪さん。その仕草と一緒に、サラサラと音を立てて黒髪が流れていく。それだけで、よく手入れされているのだとわかる。ふわりと香るのは、シャンプーのそれなのか、それとも……花人のそれなのか。
「……綺麗で、可愛いです」
考えていたことなんて、言えるはずがなくて。
結局は、当たり障りのないことしか言えなかった。
それでも諏訪さんは、目尻を下げて、嬉しそうに口角を緩やかに上げる。
「ありがとうございます」
それは、酷く儚くて脆く感じるような表情で。
本当にそこにあるのか。
あるのなら、ここにつなぎ留めなくては。
跡形もなく、消えてしまうその前に。
手を伸ばしかけて、我に帰る。
慌てて机の上から浮き上がりかけていた右手を、左手と一緒に膝の上に置く。
「どうしたの?」
「なんでもないです」
問いかけてくる煤崎さんに、私は首を横に振って答える。
今湧き上がったこの感情に、どう名前を付けていいのかわからなかった。そして、名前のないものを説明できるような言葉を、残念ながら私は知らない。
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