今でも味覚は大丈夫なのかと問えば、彼女はわからない、と答えた。

 私はオムライスのプレート、煤崎すすざきさんはカツカレーのプレートを持って、諏訪すわさんの席に向かう。

 途中で三人分の水を給水器からコップに入れて、自分のトレーに乗せる。と、上から手が伸びてきて、コップを二つ持っていく。

「え」

 見上げれば、ちょうど煤崎さんが自分のトレーの上にコップを置いたところだった。

 目が合うと、煤崎さんは少しだけ口角を上げて、チラリと諏訪さんに視線を投げる。

「あ、気にしないで。あいつがさ、ちょっとでも僕より女の子のほうが重い物持ってるとうるさいからさ」

 そのまま私に背を向けて、煤崎さんは再び歩き始める。

 流石にこれで、いや私が持っていきます、なんて言うのも失礼な気がする。

「はあ……。あ、ありがとうございます」

「ん、どういたしまして」

 そのまま、特に会話もなく、私たちは歩く。

 この場合、なにか話したほうがいいんだろうか。でも、なにを?


「おかえりなさい」

 うんうん唸りつつ悩んでいるうちに、諏訪さんがいる机に着く。

 煤崎さんはただいま、と返しながら席に着き、諏訪さんにコップを渡す。

 変なことを言ってしまうこともなく、無事に辿り着けてよかった、と私は小さく息を吐く。

 机の周りに椅子は五つ。そのうち隣り合った二つには、煤崎さんと諏訪さんが座っている。残る椅子は三つ。煤崎さんの隣に座るか、諏訪さんの隣に座るか。それとも真ん中か。

「あ、心の距離?」

 二人から一つずつ離れた真ん中の椅子に座れば、煤崎さんがにやりと片方の口角を上げて言う。

「あ、いや、えっと」

 心の距離と言われればそうなのかもしれないけれど、それをそのまま、はいそうです、なんて答えられるはずがない。

「隣に来てもいいのにー」

「あらやだ、あなたったら。私というものがありながら、他の女の子にまで好意を向けるだなんて」

 煤崎さんの肩に、諏訪さんが頭をコテンと乗せる。そして、わざとらしく上目遣いで煤崎さんを見上げる。

「あっはー。いやあ、もう年単位の付き合いなんだし、浮気くらい、ねえ?」

「くらい、じゃないわよ、まったくもう」

「ははは、でも本命はお前だからな」

「あらやだ。もう、あなたったら」

「……」

 急に始まったよくわからない掛け合いに、どう反応していいのかわからず、視線をそらす。

「瀬戸さーん?」

 それに気付いたのか、煤崎さんが私を呼ぶ。少し迷ったけれど、私は視線をそらしたままその呼びかけに答えることにする。

「どうぞ、二人の世界で仲睦まじくやっててください」

「いやいやいや、僕らそんな関係じゃないから」

 慌てたような煤崎さんの声に、くすくすと笑う声が重なる。

「そうですねえ。たまに本気で誤解しちゃう人もいますけれど」

「それ、九割以上薫の外見のせいだからな」

「えー? 中々ほかの人と親しくしない誰かさんに付き合ってあげてる人に、そんなこと言います?」

「あのなぁ」

「……いただきます」

 会話に入る隙がない。

 しょうがないので、私は手を合わせて挨拶をする。

 そしてトレーの上に置いたスプーンを手に取り、オムライスを一口、すくって口に運ぶ。

 固めの卵にチキンライス、上にかかっているのはケチャップのみ。プレーンタイプのオムライスの味は、これと言って美味しいわけでも不味いわけでもなく、平均的だ。

 お母さんのオムライスが食べたいな。トロトロのオムの上からハヤシがかかってるやつ。

 夕飯がハヤシライスだった日。その翌日のお昼ご飯は、ハヤシをかけたオムライスと決まっていた。

 鼻の奥がツンと痛む。私は慌ててオムライスを食べることに集中する。


「瀬戸さん、オムライスは美味しいですか?」


 顔をあげれば、諏訪さんがじっと私を見ている。

 美味しい? ……不味くはない、うん。

「……はい」

「それはよかったです。花人はなびとになれば、味覚を失っていきますから。血液以外、味を感じなくなっていきます」

「え」

 初めて聞いた話に、私は目を丸くする。

 少しだけ下げられた目尻は、どこか寂しげに見える。

「食事を楽しめるうちに楽しんでおいたほうがいいと思いますよ。味が無くなれば、あとは食感を楽しむしかなくなりますが、それも段々辛くなっていくものです」

「……諏訪さん、もしかして」

 言葉の続きを肯定するように、諏訪さんの口角は少しだけ上がる。

「血液さえ吸っていれば、大丈夫、咲くまで死にはしませんし、死ねません。でもやっぱり、私たちはもともと人間なんですし、食べ物をちゃんと食べて、生活したいでしょう?」

「と言いつつも、毎日三食すべてスムージーのみだよね、薫」

 煤崎さんが、コツン、と諏訪さんの持つスムージーの容器を人差指でつつく。

「私は元々、そこまで食に対して関心があったわけではないので。食べることができて、死にさえしなければいいと考えていましたから。今だって変わらないだけです。それでも三食スムージーを飲んでいるのは、まあ、暴走しない限りは、まだ人間のように生きていたいからですね。流石に無味の物を黙々と食べるのはきついので、スムージーのみになっていますが」


 淡々とした言い方に、それが見栄とかそういうものじゃなくて、本気でそう思っているのだとわかる。


 私はオムライスを見下ろす。

 美味しくも不味くもない味。

 だけどいつか、これをそう感じることもなくなるんだろうか。


 例えば、大嫌いなピーマンを使った料理に対して不味いとか、大好きなお母さんのオムライスに対して美味しいとか。

 そういったことが無くなるんだろうか。

 そして終いには、他人の血液が美味しいと、そう感じるようになってしまうんだろうか。

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